日時 平成24年8月19日(日)
吟行 江の島
句会場 神奈川県婦人会館第1会議室
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江の島吟行句会得点表 (会員5句選)
― 谷地海紅選 ―
特 選 |
鳶どもも音をあげてゐる残暑かな |
堀口 希望 |
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準特選 |
舟虫の群れる岩場に人もまた |
椎名美知子 |
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選 |
夏の雲まーるい海の背に乗りて |
宇田川良子 |
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選 |
滴りの岩屋に消えし手燭かな |
根本 文子 |
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選 |
競ひ合ふ海の青さよ帆の白さよ |
椎名美知子 |
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選 |
月明に弁財天の琵琶聞かむ |
堀口 希望 |
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選 |
八方睨みの亀が見てゐる秋の風 |
根本 文子 |
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選 |
海凪いてヨットの列も動かざる |
中村こま女 |
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互選結果
6点 |
滴りの岩屋に消えし手燭かな |
根本 文子 |
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5点 |
山ふたつ手繰り寄せゐる秋の鳶 |
根本 文子 |
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5点 |
八方睨みの亀が見てゐる秋の風 |
根本 文子 |
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4点 |
江の島線会話に潮の香りする |
椎名美知子 |
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4点 |
月明や弁財天の琵琶聞かむ |
堀口 希望 |
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4点 |
海光るヨットのみこむ雲の峰 |
米田 主美 |
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4点 |
葛の葉の伸び来て島を淋しうす |
谷地 海紅 |
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3点 |
夏の雲まーるい海の背に乗りし |
宇田川良子 |
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3点 |
秋暑し海草ゆらり波まかせ |
水野ムーミン |
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3点 |
江の島や残暑はり付くリュックかな |
磯部 和子 |
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3点 |
潮浴びの影通り過ぎ砂の家 |
中村こま女 |
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2点 |
舟虫の群れる岩場に人もまた |
椎名美知子 |
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2点 |
海凪いてヨットの列も動かざる |
中村こま女 |
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2点 |
海水に足洗はれて秋を知る |
尾崎喜美子 |
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2点 |
島真昼舟虫走る岩屋かな |
伊藤 無迅 |
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2点 |
鳶どもも音をあげてゐる残暑かな |
堀口 希望 |
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2点 |
ヨット群るそれぞれに夢はらませて |
堀口 希望 |
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2点 |
忘られぬひと日の予感法師蝉 |
谷地元瑛子 |
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2点 |
新涼の水琴窟やピアニシモ |
谷地 海紅 |
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2点 |
燈篭は岩礁にあり江の島路 |
谷地元瑛子 |
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1点 |
炎暑避けデイゴの花の下涼し |
米田 主美 |
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1点 |
キャンディの甘さ昭和はサッカリン |
磯部 和子 |
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1点 |
海光り丸い地球の残暑かな |
水野ムーミン |
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1点 |
潮風やレゲエの調べソーダ水 |
西野 由美 |
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1点 |
暗やみの広重の絵岩滴る |
伊藤 無迅 |
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1点 |
滴りに海ひらきある岩屋かな |
谷地 海紅 |
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1点 |
大海原ことばにつなぎ空高し |
谷地元瑛子 |
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1点 |
糸たるる磯の静けさ秋立ちぬ |
尾崎喜美子 |
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1点 |
競ひ合ふ海の青さよ帆の白さよ |
椎名美知子 |
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1点 |
江ノ島やグルリ巡つて夏の果 |
宇田川良子 |
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1点 |
炎天の大海原や波光る |
平塚ふみ子 |
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< 堀口希望記 >
句会に先立ち海紅先生より、次のようなお話があった。
前回、吟行はよい句ができるかどうかよりも、心が満たされることの方が大切であると申し上げたが、心が満たされるとは身体で感じられるということではないか。感じられれば、きっと、すなおな言葉となって、俳句になることを信じていきたい。心を満たしましょう、感じましょう。
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次いで行われた合評の主な内容をお伝えする。
今年の立秋は8月7日で、暦の上ではすでに秋である。9月7日の白露までが残暑であるが、吟行の日はとにかく暑かった。残暑を通り越してまさに炎暑である。見たまま感じたままを詠めばヨット・雲の峰・舟虫・滴りほか、圧倒的に夏の季語が多くなるのも必然であろう。この点については、次のような解説だった。
俳句は古典につながる文芸だから、今日は暦の上の初秋にしばられる。しかし、いま見えるもの、聞こえるものを実感するという文芸でもあるから、今日のような炎天の吟行では、夏の季題の句も出る。それはかまわないだろう。とはいえ、特選句を選ぶとなれば、炎暑の中に秋のはじまりを見つけてくれている句に強くひかれる。それで、今、此処をみごとに描いた次の句を選んだ。
鳶どもも音をあげてゐる残暑かな
希望
鳶は本来冬の季語だが、「残暑」と言う季語によって秋の空を舞う鳶であるとわかる。今日の鳶のあるがままを捉え、暦の上での季節に定着させている点は見事である。
なお、
江ノ島線会話に潮の香りする
美知子
は4人の選に入るほど今日の状況を捉えているが季がない。〈潮の香や江ノ島線は秋に入る〉とでもして、「会話」を捨てるしかない。車中の会話が「潮の香や」に含まれているとするしかない。これが省略の味わい。また、
江の島や残暑はり付くリュックかな
和子
という句は、不在投句ながら、一緒に吟行していたような実感句である。だが残念なことに「や」と「かな」の二カ所で切れてしまうから〈江ノ島の残暑貼り付くリュックかな〉とでもするしかない。
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という話もあった。
参加者 <敬称略>
谷地海紅・堀口希望・伊藤無迅・米田主美・水野ムーミン・谷地元瑛子・宇田川良子・青柳光江・
中村こま女・根本文子・平塚ふみ子・椎名美知子・尾崎喜美子・西野由美
(欠席投句 磯部和子) |
< 尾崎喜美子記 >
( 江の島吟行記 )
前日の雨に洗われて、この日の江の島は抜けるような青空が広がり、真夏の太陽が遠慮なく照りつけている。
到着の電車から、満員の乗客が次から次へと吐き出されていく。実質夏休み最後の日曜日である。
混雑は覚悟のうえであるが、若者と家族連れに目が眩みそうである。
我々は、混雑を避けて舟で岩場に向かうことにする。浜にはモーターボートが並び、遠くには雲の峰が湧き立っている。岩場に降りると磯遊びの人で賑わっている。舟虫が走り、潮が引いた後に残された潮溜の蟹、ハゼに思わず子どもにかえって手が伸びる。
舟虫の群れる岩場に人もまた
美知子
シッタカ貝をとって「酒の肴にする」という人、釣りの戦果をみりん干にしている人、見ていても楽しい。岩に囲まれた自然のプールでは親子が遊び、シュノーケルで潜っている人がいる。靴下を脱いで、海水に足を浸せば、微かに秋の気配がして、海からの風は強い日差しを忘れさせるが、岩場には日陰が無い。長時間いる人達にはきついであろう。海上には、おびただしい白帆が連なり、伴走船もついているので、ヨット競技が有ったのであろう。江の島は昭和39年(1964年)の東京オリンピックでは、ヨット競技の会場となった。
海凪いてヨットの列の動かざる
こま女
岩場から階段を上って岩屋に入ると、汗が一気に引いて行く。入口で手燭を受け取って、その灯りを頼りに進むが、波の浸食により自然に出来たという岩屋は奥が深く、ちょっと怖い。
岩屋は、第一岩屋と第二岩屋からなっていて、洞内湖は真水であるからこれは、岩から滲み出たものであろう。
滴りの岩屋に消えし手燭かな
文子
洞内には与謝野晶子の歌碑が有り、「沖つ風 吹けばまたゝく蝋の火に 志づく散るなり江の島の洞」が刻まれている。
江の島はもともと信仰の島で、岩屋は奈良時代には役小角が、平安時代には空海、円仁が、鎌倉時代には良信(慈悲上人)、一遍が、江戸時代には木喰が参篭して修行に励んだと伝えられている。
一遍は、江の島道場で念仏興行を催しているし、飲料水に窮する島民のために井戸を掘り当てたとされ、今も水をたたえているとあるが民有地のため見られない。その印として江の島大師前の道端の石碑に「一遍上人成就水道」と有るのに気づかれたであろうか。
鎌倉後期の日記文学『とはずがたり』には「岩屋どもいくらもあるに泊まる。これは千手の岩屋といふ」と有り、古くは多くの岩屋があったが、関東大震災で崩れ、その後落石事故などもあって危険な為閉鎖されていたが、平成五年に修復整備されて一般に開放されるようになった。
江戸時代の浮世絵には洞窟を見学する人の姿が描かれている。
「山ふたつ」という場所があったが、洞窟が崩れて出来た地形で、そこからは遥に雲の峰の下に霞む島が見えた。「あれが、大島よ」と谷地元さんが教えてくれた。
洞窟を後にして、階段を登って稚児淵を見下ろす踊り場の右から2番目に芭蕉の句碑がある。
疑ふな潮の花も浦の春
はせを
江の島は、猫が多く句碑の裏に暑さを避けた猫が寝ていた。
岩屋道を更に登って「奥津宮」に至る。拝殿の天井画「八方睨みの亀」は江戸時代の酒井抱一画で有名である。ただし、現在我々が見ることが出来るのは模写である。本物は江の島神社宝殿にある。ウーン、残念。
多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)・市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)・田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)の三女神を祀り、古くは窟を本宮とした。奥津宮は本宮御旅所、中津宮を上の宮、現辺津宮を下の宮と呼んでいた。寿永元年(1182)に源頼朝の祈願により文覚が弁才天を勧請し、頼朝が鳥居を奉納したことをきっかけに、武士の信仰を集めた。弁財天は海の神、水の神の他に、幸福・財宝を招き、芸道上達の功徳を持つ神として信仰され、特に江戸時代には、庶民の弁財天信仰により、賑わった。人々が、砂州を渡って訪れる様子が、これも浮世絵に遺されている。ちなみに日本三大弁財天といわれるのは・江の島・安芸の宮島・近江の竹生島である。
江の島の弁財天は、江の島神社(辺津宮)に並んだ奉安殿に安置されている50センチ程の木造胡粉塗りの座像で、裸弁財天(妙音弁財天)と呼ばれ、琵琶を手にしている。
月明や弁財天の琵琶聞かむ
希望
通常と逆のルートを辿る我々は弁財天・辺津宮に参詣する前に和洋折衷で南国ムード溢れる植物園サムエル・コッキング苑に寄った。何十年に1度花を咲かせ、咲き終わると枯れるというアオノリュウゼツランが2本あったが、1本は既に上の方まで茶色くなり、枯れる寸前。あとの1本も残念ながら盛りを過ぎていた。3メートルにも伸びた花茎から交互に花枝を出して、小さい黄色い花を1塊りになって咲かせる風情は意外と日本的である。展望灯台に昇れば、360度の景色が見渡せ、まさに地球丸ごと独り占めである。
途中ヨットハーバーを見ながら、中津宮までくだり水琴窟の音に耳を傾けた。
新涼や水琴窟のピアニッシモ
海紅
ようやく、本来ならば参道を昇って最初にお参りをする辺津宮・弁財天にやってきた。潔斎の茅の輪をくぐり参拝をした。手水舎の横に小さな池が有って、銭を洗って池の中のさい銭箱に巧く入れれば、御利益が有るというが、これがなかなか思うように行かない。
参道は人でごった返していた。思い思いの場所で昼食を摂って句会場の「神奈川県女性センター」へと向かう。広い建物に、この日はふた組の利用しかない。辺りの喧騒が嘘のようで、何とも贅沢である。
今回の御世話役は堀口希望さんと西野由美さんであった。お疲れさまでした。そして、貴重な体験を有難うございました。
< 尾崎喜美子記 >
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