日時 平成24年6月30日(土)
吟行 新座市平林寺
句会場 志木市ふれあいプラザ会議室
句会の冒頭で海紅先生から以下の言葉があった。もって、銘記したい。
「良い俳句ができるかどうかは二の次でよろしい。俳句以前に、自分の心を満たすこと、
まず吟行を、平林寺を、この出逢いと時間を堪能することを大切にしたい。」
心から頷けたのではないだろうか。「吟行で大切なことは、頭を使わないで、目・耳・心で感じること」とも。今回は佳句が多く、海紅先生の言葉は知らず知らずのうちに実行されたのかも知れない。句会での海紅選・互選の結果は下記の通りであるが、「夏もみぢ」が話題に上った。「紅葉の頃に平林寺に来たことがあるが、素晴らしかった」とつゆ草さんが教えてくれたが、平林寺は確かに楓が多い。楓には、芽出しの赤い種類があって、色の濃淡、感じは真っ赤なものから、ほのかに赤いもの、えんじに近いものと様々であるが、やがて緑に変わって秋に紅葉する。春に赤い葉が黄色に変身する種類もある。 夏木立の中の紅(くれない)は確かに目を引くが、果たしてそれを「夏紅葉」と言って良いのか・・。ちなみに「夏紅葉」と言う季語はないようであるが、しかし、そう表現したくなる美しさではある。
<尾崎喜美子記>
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― 谷地海紅選 ―
夏衣竹林ぬける僧一人 |
月子 |
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丹を残す阿吽の仁王若楓 |
月子 |
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紫陽花や九十九用水小流れに |
通済 |
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○「小流」を「小流れ」にしました。 |
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髪結へる金剛力士南吹く |
由美 |
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○「髪結った」を「髪結へる」にしました。 |
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丈山の書は簡素なり風青し |
由美 |
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野火止の水万緑を潤せり |
草栞 |
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煩悩の擡ぐる頃や木下闇 |
草栞 |
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釈迦牟尼に六月の風献じけり |
希望 |
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野火止といふ名ゆかしき緑かな |
希望 |
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若竹や修行の僧の背中のごと |
良子 |
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夏の蝶山門に来て迷ひけり |
良子 |
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○「辺りで」を「に来て」にしました。 |
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経蔵の戸袋の下蟻地獄 |
無迅 |
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若楓重ね重なりかくれんぼ |
ふみ子 |
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門前の竹林涼し平林寺 |
喜美子 |
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でで虫の垣根に遊ぶ平林寺 |
ムーミン |
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水馬若葉の影に円を描く |
美雪 |
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○「陰」を「影」にしました。 |
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平林寺丸太のままの椅子涼し |
佳子 |
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○「木陰」を「涼し」にしました。 |
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注・以上句会における海紅選句。推敲(○)句を含む。
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互選結果
7 |
竹落葉土竜住みよき寺格かな |
海紅 |
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6 |
夏紅葉重ね合はせて陽の淡し |
かずみ |
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5 |
蜘蛛の糸獲物が動くまた動く |
通斎 |
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4 |
禅僧の清めし路や夏木立 |
つゆ草 |
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4 |
夏衣竹林抜ける僧一人 |
月子 |
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4 |
草深き業平塚や守り蜘蛛 |
ふみ子 |
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4 |
蜘蛛の子の袖に見つけて寺しづか |
つゆ草 |
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3 |
経蔵の戸袋の下蟻地獄 |
無迅 |
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3 |
智恵伊豆の墓を皐月の風渡る |
希望 |
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3 |
でで虫の垣根に遊ぶ平林寺 |
ムーミン |
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3 |
蜘蛛の井に煩悩あづけし平林寺 |
良子 |
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3 |
野火止の水万緑を潤せり |
草栞 |
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3 |
朝曇仏殿の闇覗き込む |
無迅 |
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3 |
夏の蝶山門辺りで迷ひけり |
良子 |
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2 |
高野槙意のまゝならず枝下ろし |
かずみ |
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2 |
短夜やもぐらに当るまつぼくり |
月子 |
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2 |
夏蝶の来て華やげり平林寺 |
つゆ草 |
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2 |
薄紅を引いて黙せる四葩かな |
草栞 |
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2 |
業平塚蜘蛛の巣はらひて文字拾ふ |
かずみ |
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2 |
薫風の平林寺僧うやうやし |
富子 |
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2 |
野火止といふ名ゆかしき緑かな |
希望 |
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2 |
願はくば根となる人に夏の雲 |
ひぐらし |
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2 |
髪結つた金剛力士南吹く |
由美 |
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1 |
煩悩の擡(もた)ぐる頃や木下闇 |
草栞 |
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1 |
禅堂の静寂の迷ひ夏の雲 |
ひぐらし |
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1 |
若楓重ね重なりかくれんぼ |
ふみ子 |
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1 |
竹林を抜けて来し風寺涼し |
通斎 |
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1 |
丈山の書は簡素なり風青し |
由美 |
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1 |
水馬若葉の陰に円を描く |
美雪 |
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1 |
信綱が夏夢みるや平林寺 |
支考 |
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1 |
緋鯉跳ね沼の水面もはなやげり |
こま女 |
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1 |
丹を残す阿吽の仁王若楓 |
月子 |
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1 |
青蔦や島原の乱供養塔 |
無迅 |
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1 |
禅寺の木立歩けば竹落葉 |
ふみ子 |
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1 |
こころみに息を吸へとぞ寺深し |
海紅 |
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1 |
わき起こる声明の声梅雨晴間 |
由美 |
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1 |
本尊を阿吽の闇に夏木立 |
ひぐらし |
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1 |
釈迦牟尼に六月の風献じけり |
希望 |
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1 |
水無月の風吹き渡る平林寺 |
ムーミン |
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1 |
若竹や修行の僧の背中のごと |
良子 |
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1 |
紫陽花や九十九用水小流に |
通斎 |
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1 |
金環を心に刻む雲間かな |
喜代子 |
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1 |
見上げれば朴の花早や傷みをり |
むらさき |
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参加者 <敬称略>
谷地海紅 尾崎喜美子 三木つゆ草 米田かずみ 大江月子 宇田川良子 小出富子
水野ムーミン 谷 美雪 平塚ふみ子 中村こま女 菅原通斎 堀口希望 西野由美
植田ひぐらし 平岡佳子 鈴木草栞 義野支考 伊藤無迅
<欠席投句者> 天野喜代子 むらさき
<伊藤無迅記>
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◆ 平 林 寺 吟 行 ◆
6月30日(土)午前10時、東部東上線志木駅に集合した総勢19名は、南口より西部バス「ひばりヶ丘行き」に乗り込む。この時間帯は1本しかない。久しぶりに会った皆は、おしゃべりに夢中で意に介さない。幹事さんは気が気ではないだろう。
15分ほどで平林寺に着くが、二停留所ほど前に「平林寺参道」の標識があった。進行方向右手、フェンスの向うに境内とおぼしき雑木林が広がっている。広い!!そのはずである。なんと、平林寺境内は13万坪という。海紅先生は「僕、独身時代に暫くこの近くに住んでいたんだ。マンションと言うのに住んでみたくてネ。それで、平林寺には何度か来たことがあるんだ。懐かしいナアー」。と感慨深そうであった。
平林寺は、禅修行の専門道場をもつ臨済宗妙心寺派の禅刹で、総門に掲げられた「金凰山」、山門の「凌霄閣」の扁額は、京都詩仙堂の石川丈山の揮毫である。左右に金剛力士像を配した山門をくぐると右手に樹齢500年の高野槇が目を引く。
堂宇の配置は山門、仏殿、本堂が、一直線上にある典型的な禅様式である。仏殿中央の須弥檀には釈迦・阿難・迦葉の三尊像が安置されているという。その一画は、塵一つ、雑草1本ないほどに清められ、人影もほとんどなく静まり返っている。
禅僧の清めし路や夏木立 つゆ草
本堂の奥は一般の人が立ち入れない美しい心字池をもつ林泉境内が有るらしい。本堂にお参りして、武蔵野の面影が残る林の中へ踏み分けると、次のような人生訓があった。
根となる人
茎となる人
花となる人
それぞれに生きる場所がある |
願はくは根となる人に夏の雲 ひぐらし
少し進むと、放生池がある。思ったより小さい。池と言うより沼のようだが、水は澄んでいて、池の中に水が噴き上げている。池の緋鯉は、去年か今年放されたものか1匹を除いて小さい。その上、超過密で「早晩淘汰される」と思いながら奥へ進めば、野火止用水が平林寺堀となって、境内を潤している。
野火止の水万緑を潤せり 草栞
野火止用水は、水に恵まれないこの台地の灌漑と生活用水確保のために、玉川上水掘削の功により分水を許された徳川三代将軍家光の懐刀「知恵伊豆」と称された松平信綱が、安永金右衛門に命じて造らせたものである。寺の周辺にもその名残を留めている。一時枯れた流れを保存活動により復活させた。先の放生池も心字池も、かつては野火止用水が使われていたが今は地下水を利用しているとのこと。
平林寺堀の手前に、「島原の乱供養塔」がある。信綱は島原に出兵して原城を攻めて乱を鎮めた。この功績を讃えるとともに、犠牲者の冥福を祈ったものである。ここが墓所の入り口になるのでろうか。安永金右衛門の墓も一画にある。更に奥の林の開けた場所に三千坪に及ぶ、大河内松平家の廟所があり、その中でもひときわ大きいのが、松平信綱の墓である。
平林寺は、もと岩槻に在った。大河内秀綱が死去した時葬送の地となり、その後、松平信綱が大河内松平家の祖廟とした。信綱は野火止に寺を移築しようとしたが果せず、その志しは輝綱に引き継がれた。 墓に参って、更に散策路を進めば、武蔵野の面影が残る自然林は、夏の日差しを遮り、吹き抜ける風は心地よい。道のわきにモグラの盛土が続き、松ぼっくりが沢山落ちていた。
竹落葉土竜住みよき寺格かな 海紅
短夜やもぐらに当るまつぼくり 月子
杉や松は枝打ちされ、目立たない所で手入れが行き届いている。散策路を外れて野火止塚、業平塚を見に行く。業平塚は、在原業平が京より東国へ東くだりの折、武蔵野が原に駒を止めて休んだという伝承があって、インターネット探索すれば次のようにある。
江戸名所図会によると、野火止塚(九十九塚)と同じく、古へ野火を遮り止むるために築きたりしものなるべきを後世好事の人、伊勢物語によりて名付けしなるべし。塚上石碑を建てて和歌の一首をちりばめたり。その詠にいはく「むさし野にかたり伝へし在原のその名を忍ぶ露の小塚」とあるが、この歌碑は今はない。
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気が付くと集合時間が迫っている。急いで近くの坂を下る。と、桜の大木が目に入った。上半身にビローのような艶々とした緑の苔を纏っている。ウン?何か違うな。しばらく考えた。屋久島で見た苔も美しかった。が、それは倒木や、土の上に出た木の根、幹の下の方に生えていた。「そうか、枝が折れて、そこから苔むしているんだ。だからの上の方が濃いのだ」と納得して先に進む。見ると谷地先生が「こっち、こっち」と言うように手招きをしている。そこはどうやら、林泉境内か道場のようだ。竹の垣根と思ったら、プラスチックであった。まあ、仕方がないか。竹はすぐ黒ずむし、腐るから。しかし、その先には、美しい竹林がある。門前にも竹林があった。あくなき好奇心は、止めることが出来ず、意を決し受付の方に尋ねた。
「あの〜う、つかぬことをお伺い致しますが、あの竹林は、平林寺さんのでしょうか。」
「いえ、あれはあのお店のです。」そうか、やっぱり。それは、平林寺参詣者憩いの、鄙びた店のものであった。竹林の手入れは大変である。それがほとんど、去年竹、今年竹の若竹である。昔は籠、笊、桶など、日常生活に竹は使われていた。しかし、今はそれがない。切った竹の始末はどうしているのであろうか。
若竹や修行の僧の背中(せな)のごと 良子
バスが来た。私達は、志木駅へと戻る。句会場の有る北口は、志木市、バス停のある南口は新座市なのだという。
今回のお世話役は伊藤無迅さんと平塚ふみ子さん。無迅さんは、それとなく冊子を掲げてみんなを誘導してくれていた。また平塚さんの手配して下さった句会場は8階で、見晴らしの良い素敵な所であった。そして、堀口希望さんが迷子になりそうな人をそれとなくフォローしていた。皆、気持ちの良い仲間達である。久しぶりに満ち足りた1日であった。
<尾崎喜美子記>
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