白山句会 白山句会報第38号
□ 日時 平成31年3月9日(土)〜10日(日)
□ 会場 能登屋(山形県尾花沢市・銀山温泉)
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〈 俳 話 少 々 〉
俳話と呼べるほどのものではないのですが、今回は一泊吟行の旅でしたので、〈「名句を作る」より、「よい旅にする」ことの方が大切です。俳句はお作り(刺身)に添えられた山葵のようなもの。俳句があれば旅がおいしくなる〉というような話をしました。
<海紅>
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〈 句 会 報 告 〉
一部の作品について、作者の意図をそれない範囲で、表現を改めた句が含まれています。
☆ 海紅選 ☆
〇印は本選
〇 |
上野発春を見つけに吟行へ |
智子 |
〇 |
日を溜めてえくぼのやうな雪間かな |
梨花 |
〇 |
銀山の春日わたしの影を生む |
真美 |
〇 |
春愁やのんべんだらり湯につかり |
奈津美 |
〇 |
土産屋をのぞけばこけし鄙の春 |
つゆ草 |
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春の風湯上がり美人の髪を梳く |
美雪 |
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銀山へ続く奥羽路名残り雪 |
美雪 |
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靴底の春泥流す銀山湯 |
香粒 |
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銀山の雛が迎へる笑顔かな |
香粒 |
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ぼんやりと山寝ころんで雪解風 |
しのぶこ |
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一人旅走る車窓に山笑ふ |
しのぶこ |
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春の空咳をしてみる疏水坑 |
糀 |
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みちのくの旅のはじめや深雪晴れ |
喜美子 |
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雪解けの山肌の木の生き生きと |
智子 |
☆ 互選結果 ☆
6 |
みちのくの旅のはじめや深雪晴れ |
喜美子 |
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4 |
靴底の春泥流す銀山湯 |
香粒 |
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4 |
太陽をひとり占めして雪残る |
海紅 |
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3 |
日を溜めてえくぼのやうな雪間かな |
梨花 |
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3 |
ぼんやりと山寝ころんで雪解風 |
しのぶこ |
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3 |
雪解けのたばしる瀧は谷の奥 |
香粒 |
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3 |
残雪に句碑尋ねえず沢の奥 |
泰司 |
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3 |
萌え初むる田圃に遊ぶ小白鳥 |
喜美子 |
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3 |
雪残る心の襞を正すごと |
海紅 |
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2 |
土産屋を覗けばこけし鄙の春 |
つゆ草 |
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2 |
師の思ひ吾らの思ひ春灯下 |
つゆ草 |
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2 |
雪解けの山肌の木の生き生きと |
智子 |
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2 |
春の空咳をしてみる疏水坑 |
糀 |
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2 |
銀山へ続く奥羽路名残り雪 |
美雪 |
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2 |
十年の時を刻みて雪雫 |
梨花 |
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2 |
雪の果て平成昭和にあともどり |
こま女 |
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2 |
銀山の雛が迎へる笑顔かな |
香粒 |
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2 |
集ふとは賑やかなもの雪解川 |
海紅 |
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1 |
春の風湯上がり美人の髪を梳く |
美雪 |
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1 |
湯の宿は四層木造春の川 |
美雪 |
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1 |
山形は山また山や残る雪 |
しのぶこ |
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1 |
一人旅走る車窓に山笑ふ |
しのぶこ |
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1 |
銀山の春日わたしの影を生む |
真美 |
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1 |
着地する羽と脚より水温む |
真美 |
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1 |
春愁やのんべんだらり湯につかり |
奈津美 |
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1 |
白き肌連ねし峰の遠霞 |
つゆ草 |
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1 |
山雪解白き衣ぬぐそろそろと |
右稀 |
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1 |
はやばやと雪解水引く田畑かな |
こま女 |
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1 |
白銀の滝のいきほひ風光る |
糀 |
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1 |
雪解川指さす先の動く影 |
喜美子 |
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☆ 参加者 ☆ <順不同・敬称略>
三木つゆ草・相澤泰司・鈴木香粒・村上智子・尾崎喜美子・中村こま女・
谷 美雪・荒井奈津美・根本梨花・大石しのぶこ・梶原真美・山崎右稀・
月岡 糀・谷地海紅 (以上、14名)
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<糀の旅日記・初日>
今回の銀山温泉吟行(1泊2日)の旅は実に9年ぶり。2度目の人も初めての人も含めて14名の参加を得た。3月初旬という日程が幸いしたようで、滞在中は見事な快晴に恵まれた。
参加者全員元気に銀山温泉に到着。宿は9年前と同じ能登屋旅館。前泊していた私は少し早めに着いて、宿の人と一緒に出迎えた。そして、まだ雪がたっぷり残る銀山温泉界隈をゆっくり吟行した。
みちのくの旅のはじめや深雪晴れ 喜美子
十年の時を刻みて雪雫 梨花
温泉ゆえ、足湯に浸ってみたり、お土産物屋で会話したりと、吟行は各々自由な散策で、それが何よりの句材となった。銀山は旅館数13軒ほどの小さな温泉街で、台湾からの観光客や、若い人たちも多く、ほどよく賑わっていた。
土産屋をのぞけばこけし鄙の春 つゆ草
靴底の春泥流す銀山湯 香粒
句会場は宿泊の1室に座卓をつなげてしつらえた。句会準備・進行はすべて谷地先生にお任せし、皆さんの吟行句を味わい、先生の選評や俳諧のお話なども聞きながら、有意義な時間を過ごした。
夕食は先生退職のお祝会を兼ねた。食事は山ぶどう酒(食前酒)に始まる14品のメニューで、山の幸をベースに、鯉の甘露煮、尾花沢牛など、ボリュームがありすぎて、その後の懇親会の段取りが狂うことになる。食事の席に能登屋の女将が挨拶に来られ、銀山温泉や旅館の歴史などを話してくれた。前回登場の大おかみはご健在ながらもお留守とのことで、お目にかかれず残念。
湯の宿は四層木造春の川 美雪
残雪に句碑尋ねえず沢の奥 泰司
食事の後、ガス燈通りを散策する。木造の旅館を包み込むような灯りに、尾花沢に育った私は、雪解け水の川音を聞きながら、しばし幼いころにタイムスリップした気分を味わう。
懇親会も先生を囲んで雑談に盛り上がり、尾花沢の幻の米「さわのはな」の醸造に成功した純米酒「翁山」や、地元ワインなどを提供して喜んでもらった。お風呂は大浴場に加えて、地下の貸切洞窟風呂に交替で入浴。源泉のお湯で温まって、旅の疲れは吹き飛んだ。
<糀の旅日記・二日目>
1泊の旅の滞在時間は短い。それで効率よく廻れる観光タクシーをお借りすることにした。気合いの入ったタクシー運転手さん達と2台に分かれて出発。銀山温泉を出て、雪に覆われた徳良湖を一廻りして、まっ白な湖面に白鳥を発見。晴れ渡った青空と、残雪の山々が美しく、この季節でなければ見られない光景をたんのうした。
太陽をひとり占めして雪残る 海紅
最初の訪問は尾花沢市の「芭蕉、清風歴史資料館」。鈴木家十五代当主の鈴木正一郎氏がご健在なことを知り、資料館館長に面会のお願いをしたところ快諾いただいた。
私は資料館近くに高校卒業まで住んでおり、ご当主は母校の教師で、幼なじみの父上でもあった。尾花沢を転居した後、全く訪ねることもなく40数年ぶりの訪問だったが、昔のままの懐かしい言葉で、館内を案内してくださった。
そして、鈴木家が紅花だけでなく出羽諸藩の蔵元、大名貸商人として繁栄していたことがわかる証文などを見て、金融・商業活動の範囲が広かったことに驚く。江戸期、尾花沢は幕府代官の陣屋町で、羽州街道の宿場町。この小さな町はどんな賑わいを見せていたのだろう。
また御当主は、念通寺というお寺の本堂が清風独力で寄進したものであること。ただし、自分と鈴木家の墓を作ることを許さず、共同墓地としての歴史を歩んだことを話され、またそれに共感している姿を拝見して、清風の精神は今も受け継がれていると思った。
次は芭蕉が7日宿泊したという養泉寺へと向かう。当初は、豪雪地帯ゆえ、タクシー車中から拝むだけと提案されたが、地元に住んで、寺の檀家だという友人が除雪してくれていて、芭蕉句「涼しさを我宿にしてねまる也」を刻む「涼し塚」も、山寺に「蝉塚」を建てた壺中の碑も見て、雪が残るでこぼこ道を踏みしめながら本堂に入って参拝した。
尾花沢から大石田へ移動。室町時代のころに始まった大石田河岸。元禄のころが最上川舟運の最盛期だったという。今は石垣や塗り壁を600m余りの壁画で再現して、昔を偲ぶことができる。
昼食は、大石田蕎麦街道として賑わっている店で、名物の「板そば」を味わい、最後のコースである大石田町内の乗舩寺へ。そこの釈迦堂に横たわる2mを超える釈迦涅槃像を参拝した。小さなお堂で窮屈そうだが、塗料が剥がれ落ちたあちらこちらに、古くから人々の信仰をあつめていた痕跡を窺えた。本堂にある鎌倉末期作といわれる木造千手観音像を拝見させていただく予定だったが、住職不在で断念。時間が少し余ったので、運転手さんの機転で、もう1ヶ所案内してもらう。山を少し上がったところに、最上川や奥羽山脈、市街地や遠くに銀山温泉まで見渡せる場所があった。天気が良かったので、雪が解けてきてザクザクした土を踏みながら、残雪の山々と最上川の深い緑、里の家並みのなどの景色を一望した。
はやばやと雪解水引く田畑かな こま女
雪解けの山肌の木の生き生きと 智子
ここ駅に向かう時刻となり、14時の電車で帰られる方々を見送り、15時で帰る7名はまたタクシーに乗り込み、芭蕉が訪れた向川寺へ向かう。急な坂を上って雪に囲まれたお堂の前で車を降りたのはよいが、残雪の深い間は寺に人がいないらしい。つまり、入れない。雪が遮る寺を断念して、徒歩で坂を下り、最上川に架かる長い橋を歩いて渡り、タクシーを呼んで斎藤茂吉が昭和21年から約2年間住んだ「聴禽書屋」へ向かう。
大石田町立歴史民俗資料館に併設された書屋でしばし寛ぎ、ここで生まれたという歌集『白き山』の学習をし、折から地元の雛人形も見学した。中に最上川を運航していた「ひらた舟」の模型もあって、急流を何トンもの荷物を運んだ堅固の様子を想像した。大きな舟なら米俵300俵以上も積むことができたようで、そのイメージは先に見学した最上川の河岸の壁画に重なった。そして、雪解けがすすむ町を徒歩で大石田駅に向かい、無事に旅を終えられることを喜んだ。
末尾ながら、今回の吟行旅行の企画・段取り、旅館手配など、下準備は無迅さんの御世話によるものであることを記し、改めてお礼申し上げます。
先生ならびに参加された皆さんには、ご協力いただき、本当にありがとうございました。心から楽しい旅となりました。この旅を通して、先生が皆さんのつぶやきを聞き逃さず、言葉の中の「詩」に気づかせてくれました。日々、詩となるようなつぶやきができるよう精進します。一緒に楽しく準備をすすめてくださった右稀さん、真美さんに心から感謝します。(月岡糀)
<海紅からのお礼>
新幹線「つばさ」は「やまびこ」と連結されているが、行き先は別で、車内の通り抜けは不可能。よって、うっかり「やまびこ」に乗り込まないよう、時間に余裕を持って駅にゆくこと。旅を前に気をつけたことはこの一点。指定席に着いたあとは榛名、赤城、那須、安達太良、そして月山の残雪を見逃すまいとして、しのぶこさんが偵察に来るまで、すぐ前の席に真美さん、斜め後ろに香粒さんがいることさえ気づかなかった。
前回の銀山温泉ツアーは平成22年2月27日(土)〜28日(日)だから9年ぶり。今回も無迅さんの御世話だが、体調不良で欠席。それを糀・右稀・真美の女性トリオが引き継いでくれた。とりわけ、尾花沢が郷里の糀さんは山形に前泊して万端を整えてくれ、そのお蔭で、御高齢にもかかわらず、鈴木清風家の御当主が逢いに来てくださったこと、糀さんの同級生が養泉寺の雪を掻いて迎えてくださったこと、お別れの大石田の駅に尾花沢の市長さんが駆けつけてくださったことなど、心の奥までしみ込んで、一句に結実するには時間がかかりそうだけれど、夢のような旅になった。
立案の折に、無迅さんから「先生の退職祝いも兼ねる」と聞いて困ったが、逃げ込む穴もないので、御厚意に甘えることにした。お祝いの品々に加え、「月の石句会」からの寄せ書き、私の生まれた日の新聞など、趣向豊かなおもてなしに厚くお礼申し上げる。今、能登屋の9年前とこのたびの「おしながき」を見くらべながら、この稿を書き終えるが、今後も需められるうちはお手伝いをしようと、心を新たにしている。ありがとうございました。(谷地海紅)
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< 了 >
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