白山句会 白山句会報第36号
□ 日時 平成30年10月13日(土)
□ 句会場 潟泣mアール貸会議室プラザ八重洲北口3階6号室
今回は日立市の「たしなみ句会」代表世話人である杉本勝人さんの参加を頂きました。杉本さんは村松紅花先生の俳句門下生で、同門の紅海先生とは俳句を通しての古い友人とのことです。句会は東京駅八重洲北口に近い貸会議室を句会場とし、皇居周辺や日比谷公園が吟行地になりました。なお句会場は交通の便が良いことから一部の方に好評でした。近年貸会議室を利用した句会が普及しつつあります。しかし20名を超える貸会議室を継続的に確保することは大変難しいものがあります。一方芭蕉会議は先生の退職により来年3月以降は研究室が無くなります。反面、先生の日程に余裕が生まれるなどの環境変化が生じてきます。このため3月以降は「座(場所)」の確保を最優先した日程を考える必要があります。残された数か月、皆様の声を聞きながら、例えば従来の土・日開催から、夜間や平日も視野に入れた検討を行ってゆきたいと思います。ご協力をお願い致します。
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〈 俳 話 少 々 〉
今回は事前調整が付きませんでした。
<以上、伊藤無迅記>
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〈 句 会 報 告 〉
*一部作品については作者の意図をそれない範囲で原句表現の一部を改めた句があります。
*また、海紅・勝人選は互選点数に含まれておりません。
☆ 海紅選 ☆
※歴史的仮名遣いに統一しました(奪ふ・さつさう)。また月子句「カネタタキ」は漢字に、うらら句「咲きし」を「咲いて」にしました。
台風は金木犀の香も奪ふ |
春代 |
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数寄屋橋ここにありきと秋の蝶 |
美雪 |
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竹の春ただ真つ直ぐに実直に |
右稀 |
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ご無沙汰をとがめるやうに秋の薔薇 |
喜美子 |
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美智子様のお風邪はと馬場先門の前 |
瑛子 |
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十月桜のつぼみ口紅ほどの赤 |
梨花 |
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鶏頭や診察室に笑ひ声 |
馨子 |
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地下鉄の階段の先銀杏散る |
奈津美 |
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秋霖や銀座に座るライオン像 |
月子 |
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寝間へゆく夫を目で追ふ鉦叩き |
月子 |
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外国人とめぐる皇居の水澄めり |
ムーミン |
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はらからと展墓の旅や雲高し |
ムーミン |
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先生と草の実ばかり見て憩ふ |
勝人 |
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触知図へ点字ブロック初紅葉 |
勝人 |
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平成の最後の秋や大手門 |
うらら |
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秋の街二階建てバスさつさうと |
うらら |
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街路樹の隙間に咲いて赤まんま |
うらら |
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☆ 勝人選 ☆
キャンバスの汚れに見せて鳥渡る |
無迅 |
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ふところに片道切符鰯雲 |
つゆ草 |
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式部の実東京に出て五十年 |
海紅 |
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ルノアール昭和の匂ひ秋深し |
つゆ草 |
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日比谷公園青春今に秋ひと日 |
ムーミン |
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江戸城の白き櫓や初紅葉 |
喜美子 |
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身に沁むや風土記の国の人迎ふ |
無迅 |
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手のひらの団子ころころ十三夜 |
山茶花 |
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原敬の無念の通路破れ芭蕉 |
美雪 |
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秋あかね声をひそめて滑り台 |
しのぶこ |
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白萩や一人を二人して偲ぶ |
海紅 |
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☆ 互選結果 ☆
9 |
すれ違ふ人の空似や薄紅葉 |
無迅 |
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6 |
ふところに片道切符鰯雲 |
つゆ草 |
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6 |
白萩や一人を二人して偲ぶ |
海紅 |
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3 |
参観の静かな列に秋の風 |
喜美子 |
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3 |
江戸城の白き櫓や初紅葉 |
喜美子 |
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3 |
身に沁むや風土記の国の人迎ふ |
無迅 |
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3 |
平成の最後の秋や大手門 |
うらら |
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3 |
街路樹の隙間に咲きし赤まんま |
うらら |
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3 |
はらからと展墓の旅や雲高し |
ムーミン |
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3 |
鶏頭や診察室に笑ひ声 |
馨子 |
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3 |
十月桜のつぼみ口紅ほどの赤 |
梨花 |
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2 |
キャンバスの汚れに見せて鳥渡る |
無迅 |
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2 |
数寄屋橋ここにありきと秋の蝶 |
美雪 |
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2 |
朝顔や資材置場の華やげり |
瑛子 |
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2 |
堀端に寄る鯉の呑む秋思かな |
月子 |
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2 |
触知図へ点字ブロック初紅葉 |
勝人 |
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2 |
ご無沙汰をとがめるやうに秋の薔薇 |
喜美子 |
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2 |
秋あかね声をひそめて滑り台 |
しのぶこ |
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2 |
車窓いま走る穭田遠筑波 |
勝人 |
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2 |
甘柿の一つへこみぬ皇居跡 |
真美 |
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2 |
先生と草の実ばかり見て憩ふ |
勝人 |
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1 |
蜩や終る平成惜しみ鳴く |
和子 |
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1 |
東京に夢置きにけり秋の朝 |
窓花 |
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1 |
親子して羽織りまた脱ぎ秋の声 |
静枝 |
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1 |
外国人とめぐる皇居の水澄めり |
ムーミン |
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1 |
秋風や皇居の松は深き色 |
ふみ子 |
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1 |
竹の春ただ真つ直ぐに実直に |
右稀 |
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1 |
式部の実東京に出て五十年 |
海紅 |
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1 |
大歌舞伎ひいき役者の秋公演 |
美雪 |
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1 |
二種ありや団栗追ひて手にあふる |
静枝 |
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1 |
人気なき休耕田に鴫のたつ |
泰司 |
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1 |
求めても遠くとどかず秋の雲 |
由美 |
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1 |
静かさの空ふるはすや鉦叩 |
しのぶこ |
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1 |
ささやきに微かに揺るる吾亦紅 |
馨子 |
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1 |
初の汐徐徐に徐徐に湛へけり |
憲 |
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1 |
天守閣ありし跡には色なき風 |
右稀 |
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1 |
単線のホームに秋の蝶と待つ |
真美 |
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1 |
ハトバスが停まりて集ふ菊御紋 |
智子 |
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1 |
蟷蜋の動く目玉や西東 |
ふみ子 |
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1 |
薄紅葉日比谷公園より電話 |
海紅 |
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1 |
20へ皇居ランナー駆ける秋 |
千寿 |
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1 |
美智子様のお風邪はと馬場先門の前 |
瑛子 |
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1 |
米粒をこぼし敷くごと白き萩 |
松江 |
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1 |
江戸城の石垣あふれ葛の花 |
梨花 |
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1 |
地下鉄の階段の先銀杏散る |
奈津美 |
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1 |
本ひろげ読んではもどる破芭蕉 |
奈津美 |
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☆ 参加者 ☆ <順不同・敬称略>
谷地海紅、杉本勝人、相澤泰司、大江月子、尾崎喜美子、谷地元瑛子、谷美雪、尾見谷静枝、梶原真美、鈴木松江、橋千寿、根本梨花、平塚ふみ子、村上智子、三木つゆ草、宇田川うらら、水野ムーミン、荒井奈津美、山崎右稀、伊藤無迅 (以上、20名)
☆欠席投句者☆ (敬称略、順不同)
柴田憲、礒部和子、藤井啓子、西野由美、備後春代、眞杉窓花、大石しのぶこ、
佐藤馨子、小出山茶花 (以上、9名)
<以上取りまとめ、梶原真美> |
<海紅先生の講評>
互選の披講に入る前に、海紅先生から「座の文芸とは」という題でお話があった。
「連句のみならず、俳句も「座の文芸」である。「座の文芸」とは、一人で俳句を作ることではなく、句会に出るということ。自分の句を人の目にさらして、独り善がりの鼻をへし折られるということ。自分の名前が書けること。自分の句のみならず、他人の句を正しく書けること。自分の句を読み上げられたら、礼儀としてしっかり返事ができること。信頼する人の選(互選の結果と同じであることが望ましい)を受け入れて、その選句が納得できること。そして、その句と、その句の作者と、いま此処に一座していることを喜ぶこと。次の句会に出るためにワクワクすること。」(配布資料より)
加えて句会における出句前の時間の使い方について以下のようなお話があった。
「写生句はある程度経験を積めばいくらでも出来るようになる。しかしそれをそのまま句会に出しても良い成績は収められない。出句前に写生した俳句の上に人生を乗っける時間が必要です。この時間はだいたい30分から40分掛かります。出句前の時間は静粛にして欲しいとお願いしているのはそのためです」 |
<日比谷公園をぶらつくの記>
地下鉄の出口を出ると、そこが日比谷公園の入口だった。爽涼と言うよりは秋冷に近い季感の中を公園に入った。心字池を左に見て直進すると比谷花壇(お花屋さん)隣にある茶廊で結婚式が行われていた。小人数だが全員がカップルと歓びを共感していた。慶びを少し貰って大噴水へ向かう。途中カフェ・スタンドで熱いコーヒーを買い、第二花壇前のベンチに座る。実はそこから私が社会に船出したビルが見えるのだ。もう半世紀も前で、日比谷通りには都電が走り、代々木に移る前のNHK社屋が日比谷公会堂のはす向かいにあった。また現在は明治村に移築された米国人ライトが設計した旧帝国ホテルも隣で営業していた。ビルは通称「電電ビル」と呼ばれ、電電公社の他に浜松町に移る前の東芝の本社機構もあった。私はその一角にある計算センターに同期4人と共に配属された。そこには米国製の中型計算機と国産化されたばかりの小型計算機2台があった。私は米国製の方を担当させられた。以後日本語が全く通じない怪獣のような計算機に翻弄される日々が続いた。とんでもない所に配属されたと後悔した。そんな辛い毎日を癒してくれたのは窓から見える日比谷公園の緑だった。昼休みには売店でパンと牛乳を買い公園で過ごした。丁度いま座っている辺りだったと思う。あれから約半世紀、同期二人はすでに鬼籍に入った。二人とも私より遥に優秀だった。余談だが私の妻は、そのビルでキーパンチャー(いまでは死語に近い)だった。縁とは不思議なもので、私の娘も結婚前の一時期を、そのビルにあるIT会社に勤務した。奇しくも親子二代が勤めたビルを見ている時、どうやら私の前を杉本勝人さんが「無迅に似ているが他人かも」と思いながら通り過ぎたようだ。
すれ違ふ人の空似や薄紅葉 無迅
長い追憶から覚め、ようやく俳句モードになった時、海紅先生に声を掛けられた。先生が携帯電話で杉本さんと連絡を取り、その後3人で公園内をしばらくぶらついた。
触知図へ点字ブロック初紅葉 勝人
昼食は松本楼で取ったが、三人ともカレーだった。松本楼は正岡子規が没した翌年(明治36年)に日比谷公園開園と同時に開店した。モダンな外観をもつ洋風レストランは、明治、大正、昭和を通して多くの文化人に愛された。「松本楼でカレーを食べてコーヒーを飲む」のが当時の庶民の憧れだったという。その立派な洋風建築も昭和46年沖縄返還に関係したデモが過熱し、過激派の火炎瓶により焼失する。昭和48年に再建されたのが現在の建物である。
若い時分に一時ではあるが憂鬱な日々を送った日比谷は、その後足が向かなくなった。今回、日比谷公園を訪れたのは約半世紀振りである。日比谷公会堂や大小2つの音楽堂は、私の褪せた記憶に頼っても、昔とそう変わっていないように見えた。
帰途、公園出口付近で見つけたムラサキシキブと白萩がとても綺麗だった。
白萩や一人を二人して偲ぶ 海紅
<平成30年10月19日 伊藤無迅>
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< 了 >
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