白山句会 白山句会報第34号
□ 日時 平成30年4月8日(日)
□ 句会場 品川区立荏原第五地域センター3F和室会議室
今回は鈴木松江さん、小出山茶花さん、山崎右稀さんのお世話で都内品川区の戸越公園周辺の吟行を行いました。例年4月句会は別称「お花見句会」で、花を楽しみ、花を詠む句会です。今年も満開を期待していましたが生憎と桜は盛りを過ぎ、すっかり葉桜となっていました。それでも戸越公園の隣にある文庫の森では、数組の「名残りの宴」が開かれていました。それだけ今年の開花時期は例年よりも早かったようです。松江さん、山茶花さんには足元不如意にも拘らず下見まで御足労をお掛けし一同厚く御礼申し上げます。句会には新しく木村由里子さん、橋千寿さんの参加を頂きました。お二人共先生の教え子と拝聴しましたが俳句は初めてとのこと、これを機会に芭蕉会議の仲間となり俳句や連句を楽しんで頂ければと思います。
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〈 俳 話 少 々 〉
今回は小出山茶花さんにお願いしました。
(なお、後日小出さんと内容を調整しましたので当日の話と一部異なるカ所があります)
・今回吟行地に選んだ戸越公園は私の生まれ故郷ともいうべき地です。私はここで小学校低学年まで過ごし、戸越公園は当時通っていた隣接する戸越小学校の校庭と庭続きでよく遊びまわったところです。戦争が始まり疎開(富山県八尾町)のためこの地を離れ、その後は訪れることはありませんでした。先日下見の際、久しぶりにこの地に立ちましたが、綺麗に整備されて景観が一変していました。しかし公園内の庭園周辺や小学校の配置に当時の面影が残っていました。
・私と俳句の出会いは、小学か中学時代に教科書に出ていた小林一茶の句「痩せ蛙負けるな一茶これにあり」や「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」でした。その後長い間俳句とは縁のない生活をしてきました。このため今こうして芭蕉会議の皆さんと俳句を詠むとは思いもよりませんでした。特に先生には高浜吟行の折、光栄にも俳号を賜り大変喜んでおります。今後ともご指導のほどよろしくお願いします。
<以上のとりまとめ、伊藤無迅記>
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〈 句 会 報 告 〉
* 一部作品については、作者の意図をそれない範囲で原句表現の一部を改めた句があります。
* 海紅選は互選点数に含まれておりません。
☆ 海紅選 ☆
★本選★ |
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涅槃像厨子の中まで花吹雪 |
光江 |
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戸越銀座南部若布の来てをりし |
梨花 |
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残る鴨番ひで泳ぐ池広く |
右稀 |
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黄金の鯉に春日ののつたりと |
つゆ草 |
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うららかや路地に干さるる子供靴 |
うらら |
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世帯主我が名に替る二月尽 |
和子 |
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塗りたての郵便ポスト春うらら |
馨子 |
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水音はカラスの水浴び水温む |
ふみ子 |
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中陰といふ旅にあり花は葉に |
無迅 |
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春の水のぞき込む子に鯉はねる |
智子 |
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曽遊の図書館跡は春の庭 |
泰司 |
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子育ての頃の公園若楓 |
喜美子 |
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春風に子亀ひたすら甲羅ほす |
山茶花 |
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こころまだ散りゆく花に追ひつけず |
啓子 |
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☆ 互選結果 ☆
8 |
うららかや路地に干さるる子供靴 |
うらら |
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8 |
春の水のぞき込む子に鯉はねる |
智子 |
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6 |
こころまだ散りゆく花に追ひつけず |
啓子 |
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5 |
目を閉ぢて耳を澄まして春の中 |
うらら |
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5 |
戸越の名由来の寺の老桜 |
美雪 |
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5 |
春泥のくつ並びゐる塾静か |
山茶花 |
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4 |
中陰といふ旅にあり花は葉に |
無迅 |
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4 |
春の灯や色褪せぬまま母の帯 |
馨子 |
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3 |
白椿無垢の光を貯へり |
光江 |
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3 |
涅槃像厨子の中まで花吹雪 |
光江 |
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3 |
つむじ風桜蘂降る通学路 |
美雪 |
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3 |
塗りたての郵便ポスト春うらら |
馨子 |
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3 |
枝先へ先へと逃げて花残る |
海紅 |
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3 |
薬医門潜れば江戸の春の日や |
千寿 |
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3 |
句友ひとり欠けたる春を愁ひをり |
ムーミン |
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2 |
二人して何語らふや藤の下 |
泰司 |
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2 |
桜ひとつ見つけてうれし曲りかど |
智子 |
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2 |
ひとひらの花を乗せたる風の色 |
啓子 |
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2 |
春うららうららといふ子とハイタッチ |
月子 |
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2 |
幾年も桜見上げて新たなる |
右稀 |
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2 |
花曇かめと鯉との水面の輪 |
智子 |
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2 |
曽遊の図書館跡は春の庭 |
泰司 |
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2 |
葉桜がいいね降つてくる母の声 |
梨花 |
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2 |
艶めきぬ若葉を妬む心あり |
美知子 |
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2 |
木蓮の舟のかたちの落花かな |
ムーミン |
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2 |
桜蘂降る鳥居まで鈴緒まで |
真美 |
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2 |
園児らはおひさまとなる花の庭 |
静枝 |
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1 |
笑ひ顔ふり撒いたのは誰たんぽぽの花 |
美知子 |
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1 |
戸越銀座南部若布の来てをりし |
梨花 |
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1 |
満開の桜の下に咲く雑草 |
千寿 |
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1 |
黄金の鯉に春日ののつたりと |
つゆ草 |
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1 |
竹垣に満点星の花整列す |
糀 |
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1 |
若芝のまわり踊る幼な子ら |
由里子 |
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1 |
小指立て化粧する手や花みづき |
無迅 |
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1 |
寂しさを乗せてさらりと飛花落花 |
こま女 |
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1 |
春愁や靴制服の新なれど |
静枝 |
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1 |
しやぼん玉戸越公園さんざめく |
山茶花 |
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1 |
眼裏に蝌蚪追ふ影や姉弟 |
喜美子 |
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1 |
おたまじやくしあの子この子と名をつけて |
梨花 |
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1 |
碧き空はにかむ如く花曇り |
由里子 |
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1 |
教科書の屑と出されて春の暮 |
泰司 |
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1 |
懸垂の二回目途中鳥の恋 |
無迅 |
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1 |
この辺あなたの気配朧影 |
つゆ草 |
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1 |
葉桜が好き思ひだす日々が好き |
海紅 |
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1 |
のどかさや佇む鷺は何思ふ |
千寿 |
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1 |
花の影波郷顕す館かな |
憲 |
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1 |
ふはふはり淀みを撫でゐる雪柳 |
こま女 |
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1 |
春の日や同じ動作の二羽の鴨 |
ふみ子 |
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1 |
春風に子亀ひたすら甲羅ほす |
山茶花 |
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1 |
川土堤で土筆背伸し張る謳歌 |
春代 |
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1 |
らんまんも昨日の今日よ落花踏む |
憲 |
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1 |
赤き糸結ぶも切るも雪の日に |
和子 |
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☆ 参加者 ☆ <順不同・敬称略>
谷地谷地海紅、相澤泰司、青柳光江、伊藤無迅、大石しのぶこ、大江月子、
尾崎喜美子、宇田川うらら、尾見谷静枝、梶原真美、木村由里子、小出山茶花、
椎名美知子、鈴木松江、橋千寿、谷美雪、月岡 糀、根本梨花、平塚ふみ子、
備後春代、三木つゆ草、水野ムーミン、村上智子、山崎右稀 (以上、24名)
☆欠席投句者☆ (敬称略、順不同)
柴田憲、礒部和子、中村こま女、谷地元瑛子、むらさき、藤井啓子、西野由美、
佐藤馨子 (以上、8名) <以上のとりまとめ、月岡 糀> |
<海紅先生の俳話要諦>
今回は時間に余裕がなく、お話の時間が取れませんでした。 |
<戸越公園周辺吟行記>
当日は東急大江町線の戸越公園駅で下車、先ず「書庫の森」に向かった。下見の折は「戸越公園」に長居したため「書庫の森」は道路からを見ただけで通り過ぎた。このため今回はゆっくりと園内を歩いてみた。日曜日でもあり近隣住民の数組が青いシートの上で葉桜を仰ぎ名残りの宴を開いていた。園内の奥まったところに古風な洋式建築が一棟建っており、その前に「旧三井文庫第二書庫」と書かれた案内板があった。「書庫の森」はこの建物の由来から採られたものと分かる。大正時代に日本初の壁式鉄筋コンクリートの建物として建てられ、あの大正大震災にも耐えた、と書かれてあった。またこの建物が戦後間もない時期に「文部省資料館」として国に買い上げられ、1972年に「国文学研究資料館史料館」に改称されたとある。その後2008年に同史料館が立川市に移るまで国文学に関する貴重な資料を収蔵し多くの人に利用されていたとのこと。そう言えば下見の折に松江さんが、海紅先生が「あそこには随分通いましたので懐かしい」と話されたことを私に教えてくれた。戸越公園は書庫の森から戸越小学校を挟んで直ぐのところにあった。
この辺一帯は今回お世話戴いた松江さん、小出さんにとって幼少時代を送った思い出深い地であることを下見の時に聞いた。また会員の尾崎喜美子さんもこの近隣に実家があり数年前までは御母堂が健在でおられたとの話も漏れ聞いている。
子育ての頃の公園若楓 喜美子
調べてみると戸越公園は江戸時代初期、熊本藩細川家の下屋敷があった所で、その後所有者が松江藩の松平家、出羽藩の松平家などに移ったとのこと。明治以降も所有者が転々と変わり最終的には三井家が所有したようだ。その後1932年に庭園部分のみが東京都に寄贈され「戸越公園」となった。庭園は江戸時代初期に細川藩下屋敷時代に造園され、その後の所有者もよくこれを守り通した。これら代々の所有者の功徳をもって現在もその景観を楽しめるとのことである。このため戸越公園は江戸時代初期の回遊式庭園の雰囲気を残す数少ない公園として知られている。そう言えば下見の折に山茶花さんが「小学校の休み時間には校庭を抜け出し、あの辺を駆けまわっていたのよ」と池の向かい側を指さしていた。そこはまさしく回遊式庭園の中心地であった。つまり歴史ある庭園を遊び場にしていたことになる。しかし幼い山茶花さんは当然ながら当時それを知る筈もない。思えば、なんと贅沢な遊び場であったことか、さらに言えば実に羨ましい思い出話でもある。
<平成30年4月23日 伊藤無迅>
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< 了 >
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