白山句会 白山句会報第30号
□ 日時 平成29年6月10日(土)
□ 句会場 江東区中川船番所資料館会議室
今回の白山句会は、月岡糀さん、大石しのぶこさんのお世話で都内江東区にある中川船番所跡周辺を吟行した。句会は船番所跡に隣接した中川船番所資料館の会議室で行った。また新しい参加者がお二人参加された。一人は備後春代さんで群馬県伊勢埼市から。もうお一方は最近東洋大を卒業された梶原真美さんである。
当日は常連の尾崎喜美子さん、荒井奈津美さんが出席を予定していたが、直前のアクシデントで出席できなかった。その代わりと言ってはお二人に申し訳ないが、昨年4月以降体調を崩されてお休みだった植田ひぐらしさんがお顔をみせてくださり、賑やかな句会になった。
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〈 俳 話 少 々 〉
今回は大江月子さんにお願いした。以下お話のポイントを列挙する。
・ 俳句を始めるきっかけになった句は「淋しさの距離に緋目高ひろごりし 海紅」である。情景も鮮明ながら、この俳句の世界に自分を発見し、そのことに感動した。つまり、この句のめだかは自分であり、周囲と距離を置くめだかたちは、それぞれが言葉を持っているという気がした。
・ 今、芭蕉と蕪村の全句を毎日少しずつ読んでいる。その中の心に届く句が日々を慰めてくれる。ただ先人二人と自分には距離も感じている。たぶん、それは私にはない言葉を二人が持っているからだが、それが私の共感を呼んでいることも事実である。
・ 選句とは自分が共感する句を探すこと。そういった目で自分が作った句を読み返してみると、共感を覚え慰められるものがないことに気付く。自分の思いを一句に托しただけではだめなのだろう。
・ 「寂しさのあまり、うっかり共感してしまうのはただの錯覚であり、自分にとっての名句に非ず。自分にとっての名句とは、寂しさを恐れず孤を極めた時に心を震わす句が名句ではないかと思うようになった。
・ 言葉を送る側と、受ける側の距離はとても大事であると思う。「淋しさの距離に緋目高ひろごりし」という句の中にある「さびしさの距離」は、言葉と同時に人でもある。
・ 一般に言われている俳句の制約とは別に、他にもこのように大事なものがあるのではないかと思うようになった。これからはそれを探してゆきたい。
<以上、伊藤無迅記>
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〈 句 会 報 告 〉
* 一部作品については、作者の意図をそれない範囲で原句表現の一部を改めた句があります。
* 海紅選は互選点数に含まれておりません。
☆ 海紅選 ☆
聞き流すことも大事と夏の川 |
つゆ草 |
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小名木川一直線に夏つばめ |
ひろし |
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蛞蝓の這ひ跡光り家静か |
泰司 |
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黒南風や川に流れの物語 |
憲 |
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庭園の池は姿見カキツバタ |
むらさき |
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夏の蝶休む姿に風見えし |
うらら |
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中川の水陸バスや夏に入る |
山茶花 |
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薫風と書いてメールで無沙汰詫ぶ |
月子 |
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船番所跡の柳や川涼し |
無迅 |
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万緑の風を呼び込む小名木川 |
喜美子 |
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しほの道梅雨の晴れ間の句会かな |
貴美 |
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薫風や翁の過ぎし船番所 |
泰司 |
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緑陰に囲む昼餉や三世代 |
うらら |
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くちなしの香に招かれし吾も虫も |
糀 |
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鳥の巣も民家も留守の薄暑かな |
真美 |
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旅立ちの川面は高きビル映し |
美知子 |
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夏句会潮の香のする船番所 |
貴美 |
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梅雨晴れ間疎水めぐりて番所跡 |
美雪 |
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ランナーもカヌーも走る夏木立 |
糀 |
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片陰や信号待ちの二三人 |
うらら |
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スケボーの巧みなる技雲の峰 |
喜美子 |
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☆ 互選結果 ☆
7 |
年ふれば目を閉ぢてみる青葉かな |
ふみ子 |
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6 |
古きあり新しきあり町薄暑 |
ひぐらし |
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6 |
町工場鉄の匂ひや江戸風鈴 |
つゆ草 |
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4 |
小名木川一直線に夏つばめ |
ひろし |
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4 |
サングラス忘れて帰る資料館 |
和子 |
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4 |
卯の花の頃や俳誌を終刊す |
月子 |
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3 |
ホームレスとふたこと三言川涼し |
海紅 |
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3 |
万緑の風を呼び込む小名木川 |
喜美子 |
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3 |
薫風や吾に吹け病む彼に吹け |
つゆ草 |
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2 |
聞き流すことも大事と夏の川 |
つゆ草 |
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2 |
短夜やまた荷積みする小名木川 |
智子 |
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2 |
夏帽子押さえて問へば草騒ぐ |
しのぶこ |
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2 |
船番所跡の柳や川涼し |
無迅 |
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2 |
花菖蒲舫ひの舟にゆれてをり |
和子 |
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2 |
しほの道梅雨の晴れ間の句会かな |
貴美 |
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2 |
薫風や翁の過ぎし船番所 |
泰司 |
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2 |
鳥の巣も民家も留守の薄暑かな |
真美 |
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2 |
夏句会潮の香のする船番所 |
貴美 |
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2 |
スカートの女裾波打たせ若葉道 |
静枝 |
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2 |
かその村今年の田にも何もなし |
春代 |
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2 |
ランナーもカヌーも走る夏木立 |
糀 |
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2 |
片陰や信号待ちの二三人 |
うらら |
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2 |
傘の距離近し卯の花腐しかな |
真美 |
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2 |
絵本読む父子の窓に額紫陽花 |
静枝 |
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2 |
香水の悲愴なる香や出口A |
無迅 |
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1 |
辛抱して魚捕る鷺や風かをる |
松江 |
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1 |
中川や荷船にまじり船遊び |
ムーミン |
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1 |
緑陰やゆかしき庵の石畳 |
ふみ子 |
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1 |
蛞蝓の這ひ跡光り家静か |
泰司 |
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1 |
夏の川行きかふ人の塩の道 |
貴美 |
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1 |
屋上の琴座の近く苗を植う |
由美 |
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1 |
庭園の池は姿見カキツバタ |
むらさき |
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1 |
夏の蝶休む姿に風見えし |
うらら |
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1 |
中川の水陸バスや夏に入る |
山茶花 |
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1 |
薫風と書いてメールで無沙汰詫び |
月子 |
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1 |
涼風は止めず中川船番所 |
酢豚 |
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1 |
橋梁の鳩の巣の下とは涼し |
海紅 |
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1 |
小名木川故人はるかに夏の雲 |
松江 |
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1 |
夏場所や昭和が響くふれ太鼓 |
静枝 |
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1 |
緑陰に囲む昼餉や三世代 |
うらら |
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1 |
まだ汗を拭つてゐたる若々し |
海紅 |
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1 |
江戸情緒残す駅の名薄暑かな |
ひぐらし |
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1 |
歩け歩け江戸の果てまで日盛りを |
ムーミン |
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1 |
その方と呼びとめられし夏袴 |
智子 |
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1 |
梅雨晴れ間疎水めぐりて番所跡 |
美雪 |
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1 |
まだ淡き紫陽花に会ふ小雨道 |
美知子 |
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1 |
白玉や悔いて戻らぬ日数あり |
酢豚 |
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1 |
吾が花の重さが揺るる花菖蒲 |
無迅 |
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1 |
昔日や船番所跡葦茂る |
月子 |
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1 |
輪に入れずさそひにのれず新茶すふ |
山茶花 |
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1 |
ゼラニウム答へを探す少女かな |
しのぶこ |
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1 |
梅雨入りといふには暑い句会かな |
美知子 |
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1 |
スケボーの巧みなる技雲の峰 |
喜美子 |
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☆ 参加者 ☆ <順不同・敬称略>
谷地海紅、梶原真美、大江月子、宇田川うらら、三木つゆ草、谷地元瑛子、
尾見谷静江、水野ムーミン、村上智子、平塚ふみ子、荻原貴美、椎名美知子、
小出山茶花、備後春代、谷美雪、鈴木松江、植田ひぐらし、相澤泰司、
伊藤無迅、月岡糀、大石しのぶこ (以上、21名)
☆欠席投句者☆(敬称略・順不同)
安居酢豚、尾崎喜美子、梅田ひろし、柴田 憲、礒部和子、中村こま女、
むらさき、西野由美 (以上、8名)
<大石しのぶこ、記> |
<中川船番所跡の吟行記>
平成29年6月17日 伊藤無迅
句会場になった「中川船番所資料館」は、都営新宿線東大島駅下車徒歩5分の旧中川と小名木川が交わる地点にあった。旧中川と小名木川が合流する角地は両面が川で広々とした景観が広がっていた。旧中川の対岸は一面の青葉で気持ちがよい。地図によれば旧中川の東側には大河である荒川が滔々と流れていて、その外側に中川が流れている筈である。つまり旧中川と中川は荒川で分けられていることになる。どうしてそうなのだろうとふと疑問が湧く。空想を逞しくすれば、江戸時代から続けられてきた都市開発が、ある時代にはるか上流で荒川の外を通す大工事が行われたのではないかとついあらぬことを考えてしまう。江戸時代初期、先ず家康が行った大事業は、この旧中川と市中を流れる隅田川を運河で結ぶことであった。江戸人口の急増に対応するため、当時製塩業が盛んだった行徳の塩や関東地方の農産物を速やかに市中に運ぶ必要があった。家康はこの事業を小名木四郎兵衛という人物に命じたらしい。この運河が後に小名木川と呼ばれるのは彼の功績によるものであった。運河が出来ると江戸市中に入る船を検閲する検問所が必要になる。その目的のため、この角地に作られたのが「中川船番所」であった。文字通り、ここで「入り鉄砲出女」を見張っていたことになる。江戸中期になると成田さん参詣が流行し旅行客の船も頻繁に小名木川を通過するようになり運河は混雑したようだ。中川船番所の反対側、つまり小名木川が隅田川に突き当たる門地に芭蕉稲荷があり、少し離れて芭蕉記念館がある。その辺りに住んでいた芭蕉は、例の『鹿島詣』で貞享4年(1687)8月14日の早朝に芭蕉庵を発ち、この小名木川を通って鹿島に向かった筈だ。
薫風や翁の過ぎし船番所 泰司
それにしても芭蕉の移動は敏捷で、15日早朝には鹿島に着いているのだ。実は句会場になった中川船番所資料館の2,3階は資料室で船番所に関する多くの資料展示がなされている。入室料200円が掛かるが大変見応えがある。生憎時間がなく30分で出ざるを得なかったが機会があれば後日ゆっくり見直したいと思う。この資料室の古地図を見ると芭蕉は小名木川を経て、どこかは不詳であるが下船して陸行し、その日の夕方には利根川沿いの木下(布佐)に着いている。そこで「よひのほど、其漁家に入てやすらふ。よるのやど、なまぐさし」とあるから、布佐のとある船宿で鹿島に向かう船待ちをしたようだ。
実際の船番所跡は現在町工場になっており残念ながら立ち入ることは出来ない。
町工場鉄の匂ひや江戸風鈴 つゆ草
資料室に展示されている錦絵を見ると、船番所の前は旧中川と小名木川が丁度十字路のように交差している。小名木川から旧中川に突き当たった延長線上に東に向う川が見える。しかし現在はそのその川は跡形もなく万緑茂る堤防が続いている。錦絵を見ると対岸は長閑な寒村という感じである。
近年になりこの辺りは地番沈下が激しく遂に旧中川と隅田川の水位差が1メートルになってしまった。このため昭和51年に小名木川の中央付近に扇橋閘門(こうもん、ロックゲート)という水位差を解消させる水門を作った。パナマ運河と同じ方式で水位を調整するためのプールで、航行船はここで進行方向の水位にしてもらう。せっかく家康が作った運河も現代は江戸時代のようにスムーズな運航はできない運河となってしまった。地盤沈下は明治以降の急激な近代化、つまり工場建設のラッシュがもたらしたもので、工業用水(地下水)の揚水や水溶性天然ガスの採取が原因であった。それでも現在は再整備が進み中川船番所資料館周辺は広い公園と高層住宅が立ち並び、都内では見れない広々とした景観を楽しめる。資料館前には川の駅があり水陸両用バスが運航している。そこには陸から川に入るスロープがありバスが水しぶきを上げて川に入るたびに乗客の歓声が上がる。
中川の水陸バスや夏に入る 山茶花
句会後の懇親会は一駅離れた船堀駅近くにある居酒屋で行われた。前回はネット句会であったため懇親会はなく、2月句会以来の久しぶりの懇親会となった。このためか、いつもより和気あいあいの内に2時間が過ぎてしまった。 |
< 了 >
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