日時 平成23年2月20日(日)
場所 甫水会館
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― 谷地海紅選 ― ※一部推敲の結果を掲載しています。
◎初硯まだ見ぬ吾に出会ひたし |
馨子 |
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マッチ売る少女ゐるよな雪が降る |
いろは |
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遠い日の音楽堂やクロッカス |
良子 |
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蠟梅をおしやべり雀らお茶菓子に |
こま女 |
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釣り人の映る川面や水温む |
富子 |
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ハイヒールこつこつこつと春が来し |
つゆ草 |
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寒月や記憶の中の下駄の音 |
美知子 |
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「福は内」日本が好きと思ふ時 |
天野さら |
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手ぶくろを編むイニシャルと孫の顔 |
みゆき |
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初詣姉妹揃つて吉を引く |
由希 |
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岩田帯巻く手にホッと春日受け |
こま女 |
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故郷の雪解け案じ旅支度 |
富子 |
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なごり雪をのこの夢の淡淡と |
千寿子 |
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熱唱の若者ひとり春浅し |
憲 |
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互選結果
回想の巡りは尽きぬ梅の里 |
美規夫 |
1 |
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春浅し摺子木棒の辺(へた)の色 |
無迅 |
2 |
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梅ばやしそろそろ進む押車 |
宏道 |
1 |
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降る雪や息吹くつぼみを隠しけり |
宗之 |
1 |
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サザエ焼く泡に無念の音聞こゆ |
宏道 |
1 |
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その話前に聴いたな春の雲 |
無迅 |
1 |
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◎罪一つ隠してをりぬ春の雪 |
月子 |
4 |
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雪催ひ匂ひでわかると母言ひし |
馨子 |
2 |
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初硯まだ見ぬ吾に出会ひたし |
馨子 |
2 |
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寒椿ためらひためらひ一つ咲き |
かずみ |
2 |
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冬日向猫のかたまる壁の影 |
光江 |
2 |
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◎マッチ売る少女ゐるよな雪が降る |
いろは |
3 |
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雪解けの丸い輪の中草萌ゆる |
美知子 |
1 |
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遠い日の音楽堂やクロッカス |
良子 |
2 |
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◎竹馬の出来てボクよりオレになり |
つゆ草 |
2 |
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◎和紙を揉む僧の空臑(すね)四温光 |
無迅 |
1 |
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護摩の銅鑼(どら)冷たき廊下渡りゆく |
こま女 |
1 |
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風光る沓(くつ)脱ぎ石に男下駄 |
月子 |
1 |
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春雷や新燃岳に悪さすな |
喜美子 |
1 |
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寒月や記憶の中の下駄の音 |
美知子 |
3 |
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土湿り愛はかたちにふきのたう |
瑛子 |
1 |
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梅一輪ルネッサンスのこころざし |
さら |
1 |
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鳥帰る導く風を疑はず |
文子 |
3 |
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来る海へ潜らう春の海 |
失名 |
1 |
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氏神の石段軽き新入生 |
光江 |
1 |
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「福は内」日本が好きと思ふ時 |
さら |
4 |
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初詣姉妹揃つて吉を引く |
由希 |
1 |
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うすらひの動きぬ朝日差しくれば |
瑛子 |
1 |
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車窓には春光はじけ胸はやる |
ふみ子 |
1 |
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岩田帯巻く手にホッと春日受け |
こま女 |
1 |
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◎長欠の子が立春の塵を掃く |
海紅 |
10 |
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雪解水がんこな岩に裂かれをり |
千寿子 |
1 |
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◎石像の大耳ひと吹き春の風 |
いろは |
3 |
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◎なごり雪をのこの夢の淡淡と |
千寿子 |
1 |
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参加者
谷地海紅 奥山美規夫 つゆ草 米田かずみ 大江月子 小出富子 水野千寿子 中村美智子
菅原宏通 伊藤無迅 谷地元瑛子 尾崎喜美子 平塚ふみ子 根元文子 宇田川良子 情野由希
大川宗之 椎名美知子 天野さら 柴田憲 佐藤馨子 吉田いろは 谷美雪
欠席投句者: 青柳光江
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「おてもと句会」 (席題「菜の花」・・定例句会の二次会で)
作 品 |
作 者 |
点 |
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道の辺の菜の花灯り海暮るる |
美知子 |
19 |
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菜の花の嫁が来て欲し一人者 |
文子 |
15 |
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菜の花や二両の電車走りゆく |
由希 |
14 |
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菜の花の土佐の浜風なつかしき |
海紅 |
13 |
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椀とれば菜の花浮かぶ宴の席 |
かずみ |
11 |
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菜の花や今宵は君のためにだけ |
いろは |
11 |
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菜の花や小学校の通学帽 |
さら |
8 |
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食材の菜の花一輪花入れに |
千寿子 |
8 |
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帯〆て菜の花畑傘さして |
月子 |
7 |
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そよ風にゆれて菜の花うれしさう |
富子 |
6 |
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菜の花の沖には司馬の夢の跡 |
蒼子 |
4 |
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菜の花の一面に染む決り道 |
憲 |
4 |
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菜の花を求めて歩む昼下り |
こま女 |
3 |
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上よりも下に菜の花花祭り |
酔朴 |
3 |
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菜の花や富士と朝日のよく似合ふ |
宏通 |
3 |
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初ものの菜の花一品夕の膳 |
美雪 |
3 |
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菜の花や色鮮やかなからし和へ |
馨子 |
2 |
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菜の花を額にして絵を描きをり |
喜美子 |
2 |
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和へものは芥子ときめて花菜摘む |
良子 |
2 |
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菜の花や臍の緒のしまいどこ |
無迅 |
2 |
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富士を背に菜の花の丘笑みの丘 |
つゆ草 |
1 |
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一寸鑑賞
美知子句:ほぼ満点の支持を得ました、「菜の花灯かり」で決りました。
文子句:せつない親の想いを判って下さい。(本人の弁)
由希句:まるで映画のワンシーンを観ているようです。 (無迅記) |
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講話「イヤな句」を聞いて
「イヤな句」とは衝撃的なタイトルである。そのイヤな句とは、次にあげる杉田久女の著名な句であった。われわれは不完全で人間であるから、その時々の悲しみに正直で、他者には読むに堪えられない句を作ることが少なくないが、そうした句は最後には自分で捨てられる人間であってほしいというのが講話の主旨であった。
足袋つぐやノラともならず教師妻 久女
案の定、講話終了後に不満や不服が表明された。聴講者の中に、杉田久女のファンや研究者がいたからである。誰かが「イヤな句にならないために」とタイトルを変えてはどうかと言った。しかし、そうしたところで、穏やかになるのはタイトルだけで、主旨は変えようがないだろう。講師は確信犯的に、あえてこうしたタイトルを付けたのではないか。そのあたりの海紅氏の本音を、もう少し時間をかけて聞いてみたいと思った。
本名杉田久は大正六年に初めてホトトギス一月号に出句、その年の五月に初めて高浜虚子と会う。四十歳の時の句で代表作と言われる「谺して山ほととぎすほしいまゝ」は昭和六年大阪毎日、東京日日両新聞の主催、虚子の選による帝国風景院賞(金賞)を受賞している。昭和九年ホトトギスに入会、昭和十一年除名という履歴から、空白の期間が気になるところである。除名された理由は明らかでないが、昭和二十一年栄養障害に起因する病により精神病院で亡くなった。享年五十七歳。
除名後も久女はホトトギスに投句していたというから、何やら只ならぬ思いを秘めていたのかもしれない。虚子との確執を除名の理由とする説もあるが、恵まれた環境に生まれ育った杉田久女の奔放的な考え方は、虚子からすれば鬱陶しいものであったのかも知れない。
高級官吏の家に生まれ、たいして不自由のない高学歴の道を進み、恵まれた環境にあった久女が、どういう経緯で結婚を決意したのか、必ずしも明らかではない。「ダイヤを捨て、馬車を捨て、芸術家の夫に嫁したが、一枚の絵も描かず、田舎教師に堕ちてしまった。」というのがくちぐせだったと山本健吉が書いている。
久女は初め小説家志望だったが、兄で俳人の赤堀月蟾から俳句を教えてもらう内に、俳句にのめり込んでいった。昭和七年、女性だけの俳誌「花衣」を創刊して主宰となる。五号で廃刊となるが、その前向きなエネルギーはきわめて強いものであったろう。
除名された後もホトトギスに投稿していたという心理の根拠は何だろうか。疎まれても投稿続ける程の価値がホトトギスにあったのだろうか。海紅氏は、ホトトギスに一句選ばれると「赤飯を炊いたものだ」という逸話を紹介していた。それほどまでにホトトギスは絶対的であったのだ。子規の後を継いだ虚子は俳諧の天皇だったのだろうか。作品が人を過大評価していく。人の発す作品が神聖化されていく。星となって人を集めて行く。星にはなれないが、身近な花にならなれそうな気がすると人は思う。
高浜虚子が長野に疎開した頃、一人の若者村松友次、俳号紅花(こうか)が虚子という星を訪ねて師事した。代用教員から、昭和三十七年東洋大学の夜間部を卒業し、大学院に進んで研究者となり、東洋大学短期大学学長就任。平成二十一年逝去。享年八十八歳。
その句「貧乏を妻子にさせて卒業す」というまでに求めた研究者への道の動機には何があったのだろうか。上京後、東京都の一部でありながら東京と思えぬ伊豆大島に赴任して、妻子を残していた埼玉の住居で幼子を亡くすという悲しい秘話があったらしい。寒さから子どもを守ろうとする親の愛が仇となり、炬燵の中で死なせてしまった悔恨が、職を辞し勉学の道を選ばせた。その反骨の姿勢は「蜘蛛打って読み終へし書を肯はず」という句の通りで、芭蕉学者としては異端視されたこともある。その「芭蕉忍者説検討」というのは、斬新で刺激的であるゆえに一般から注目されたが、研究者の中には眉をひそめた者も少なくなかったと聞いている。
実はその村松先生には、通信教育部の履修科目「おくのほそ道」で御世話になった。むろん尊顔は知らず、リポートのやり取りだけではあったが。そのリポートに自信はあったのだが、一回目は落第、添削で指摘された箇所を書き直して、二回目は合格した。ほめ上手な先生であった。その後俄然やる気がでたのを覚えている。
卒業生の集まりの会で、先生の講演を聞く機会があった。その時も芭蕉忍者説を力説していた。曽良日記に見える記号の解読は興味深いものだった。同性愛関係にある曽良と芭蕉が交わった日とか、隠密の曽良が芭蕉に金子を渡した日とか、聴講者の空気を読んだ、そのやさしい話しぶりには興味がそそられるものばかりだった。欠伸を噛み殺しなながら聴く難しい話より、難しいことを、おもしろおかしく話すことは難しいと思われるが、それをこなせるのも「晩学や露の都電に辞書を繰り」という下積みの苦労があったからではなかろうか。
久女と紅花を比較しながら、切れる名刀よりも、確実に生きる鈍牛のほうに息の長さを感じた。
( 酔朴記 )
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