白山句会会報 No.19   ホーム

白山句会 白山句会報第19号
□ 日時   平成27年4月11日(土)、14時30分〜17時
□ 句会場  玉川区民会館(東京都世田谷区等々力3-4-1)
□ 吟行   健脚コース  <大田区宝莱公園〜多摩川台公園>
        穏やかコース1<大田区せせらぎ公園>
        穏やかコース2<九品仏浄真寺>

昨年十月の神保町句会から約半年ぶりの白山句会である。今回は根本梨花さん、三木つゆ草さんのお骨折りで、多摩川・九品仏界隈の吟行を楽しみ、等々力の玉川区民会館で句会を行った。半年ぶりの句会を待ちかねた総勢二十二人での句会となった。さらに今回は嬉しいことが二つ重なった。一つは吉田いろはさんが欠席投句してくれたこと。所要で上京した折に時間をやりくりし今回の吟行コースを巡られたようで、「今春から俳句のある暮らしを少しずつ始めようと思います」という文が欠席投句に添えられていた。
もう一つは、大石しのぶこさん、山崎右稀さんという二人の新メンバーが参加くれた。初参加で緊張したと思いますが、誰もが一度は通った道です。私の経験から言えば、三回目ぐらいから楽しくなりますので次回も是非参加して戴きたいと思います。
また句会冒頭、海紅先生から芭蕉会議が、今年十年目に入ったというお話があった。


〈 俳 話 少 々 〉

 根本梨花さんから日頃俳句を作る際に心がけている事として以下のようなお話があった。→配布資料:「俳句を作る際に心がけていること−先人に学びつつ−」
・紀貫之の『古今集』仮名序を句作の支えにしている。
  →俳句は何度でもやり直せる魔法の呪文である。
・小さな感動、言葉の断片を手帳に書き留めている。
  →『三冊子』にあるように「いまだ心に消えざる中に」書き留めるようにしている。
・推敲を大事にしている。
  →先人の推敲の例を俳論集から得て、その推敲課程を学んでいる。
・今後は、芭蕉が晩年提唱した「かるみ」というものを考えて行きたい。

<以上、伊藤無迅記>


〈 句 会 報 告 〉
* 一部の作品については、作者の意図をそれない範囲で、原句表現の一部を改めたものがあります。

☆ 海紅選 ☆

花灯り一人の部屋を広くして 礒部和子
散る花をたどりて迷ふ路地の裏 相澤泰司
春の雨下品下生に頼みごと 安居正浩
人消えて仏足石に花の塵 三木つゆ草
花冷や埴輪の少女紅仄か 植田ひぐらし
雨後もよし青葉の光九品仏 椎名美知子
多摩川を見下す古墳残る花 伊藤無迅
散る花や二羽のカラスの問答歌 平塚ふみ子
散策の古墳の丘に若葉風 千葉ちちろ
覗きこむ子等の瞳キララ蝌蚪生る 三木つゆ草
幼子の歩みに合はせ花見かな 礒部和子
ゆるやかな風に旅する桜かな 鈴木松江
清らなる葉の重なりて通せんぼ 小出山茶花
春の泥一人離れて句友かな 伊藤無迅
せせらぎは落花の声を聞いたか 米田かずみ
多摩川の堰あいてをり鮎の道 根本梨花
馬酔木咲く縄文人の眠る丘 尾崎喜美子

☆ 安居酢豚選 ☆

花灯り一人の部屋を広くして 和子
松の木に手を触れてみる花の雨 しのぶこ
花冷や埴輪の少女紅仄か ひぐらし
散る花や二羽のカラスの問答歌 ふみ子
雨上り早や囀りの大樹かな 無迅
九体の阿弥陀おはすや春の夢 月子
おびんずるさまお願いします花は葉に 梨花
ゆるやかな風に旅する桜かな 松江
浄真寺折目正しき若葉かな ムーミン
遮断機の上がれば駆くる春の町 泰司
父と子のことばあそびや花の風 むらさき
馬酔木咲く縄文人の眠る丘 喜美子
花の雨青い御髪の九品仏 ふみ子

☆ 互選結果 ☆

6 父と子のことばあそびや花の風 むらさき
5 雨上がり早や囀りの大樹かな 無迅
5 散る花をたどりて迷ふ路地の裏 泰司
5 花惜しみサキソフォン吹く人のゐて つゆ草
4 花灯り一人の部屋を広くして 和子
3 ささやかな罪のごとくに蝌蚪生まる 酢豚
3 九体の阿弥陀おはすや春の夢 月子
3 春の雨下品下生に頼みごと 酢豚
3 馬酔木咲く縄文人の眠る丘 喜美子
3 花散るや古き本屋の閑散と 泰司
3 多摩川の堰あいてをり鮎の道 梨花
3 清らなる葉の重なりて遠せんぼ 山茶花
3 散る花や二羽のカラスの問答歌 ふみ子
3 桜船船頭寡黙を通しけり 月子
3 花冷や埴輪の少女紅仄か ひぐらし
3 松の木に手を触れてみる花の雨 しのぶこ
2 花の雨滞りなき七七忌 海紅
2 桜蕊ふる道来し方思い出し ちちろ
2 如来像すずやな瞳春の闇 山茶花
2 遮断機の上がれば駆くる春の町 泰司
2 春の旅三十二ヵ目の駅に降り うらら
2 遅桜下品の吾れの自己べスト 宏美
2 老いどちの草引く背に残花かな 梨花
2 虹橋に架かる桜の無上かな いろは
2 花の雨青い御髪の九品仏 ふみ子
九品仏浄真寺にて
2 三棟の屋根に雨降る桜降る 美知子
1 ここにいていいかいいのよ蝶の昼 宏美
1 ひらひらの波紋の下に蛙の子
1 八重桜初吟行に枝広げ しのぶこ
1 遅桜ビル群近し多摩川台 喜美子
1 囀りの止みたるところ一古墳 海紅
1 蛙の子我をまねくや尾を振りて こま女
1 点描の花葉ただよふ小糠雨 由美
1 桜蕊降るや萌える古墳の連なりに こま女
1 石段を登りきって花の雨 うらら
1 覗きこむ子等の瞳キララ蝌蚪生る つゆ草
1 川音に花筏を追う初吟行 右稀
1 雨後もよし青葉の光九品仏 美知子
1 甦へる等々力渓谷の芽吹きかな 喜美子
1 春の泥一人離れて句友かな 無迅
1 亀鳴くや雨に害獣駆除の檻 ひぐらし
1 ゆるやかな風に旅する桜かな 松江
1 葉桜や本音のやふに好きといふ 宏美
1 古大木おたまじゃくしを見守りし ふみ子
1 幼子の歩みに合わせ花見かな 和子
1 足伸べん花の宝莱山古墳 いろは
1 おびんずるさまお願します花は葉に 梨花
1 花散るやみどり葉ささふ九品仏 松江

☆ 参加者 ☆ <順不同・敬称略>
谷地海紅、安居酢豚、根本梨花、尾崎喜美子、椎名美知子、小出山茶花、
水野ムーミン、米田かずみ、中村こま女、大江月子、千葉ちちろ、鈴木松江、
三木つゆ草、宇田川うらら、平塚ふみ子、植田ひぐらし、相澤泰司、丹野宏美、
大石しのぶこ、月岡糀、山崎右稀、伊藤無迅 (以上22名)
<欠席投句者>
吉田いろは、礒部和子、西野由美、むらさき、(4名)

<以上、三木つゆ草記>


☆ 合評 ☆

 今回は時間の関係もあり十分な合評時間が取れなかったが、安居酢豚さんから次のようなお話があった。
 俳句の二大要素は季語と定型、特に初心者の方は、五・七・五の形を守る癖をつけて欲しい。この習慣は初心時につけることが肝要です。本日の作品の中にも字足らず、字余りが目立ちました。特に中七にそれが多いのは残念です。それだけで句が緩みます。まず定型に納める努力を心がけて欲しいと思います。(二,三の例をあげて添削された)


☆ 総評 ☆
 句会後、海紅先生から以下のお言葉が届いています。
今後の参考に、句会の目的と選句の基準について少し記します。
 まず、句会の目的について。それは自分の句の欠点を学ぶことにあります。自分の句の得点を気にしていては詩人にはなれません。すぐれた句を発見する力をつけて、自分に足りない点を自覚したいものです。
 次に「春の雨下品下生に頼みごと」を例に、海紅の選句基準の一例を述べます。まず「下品下生に頼みごと」とはどのような景色かを考えました。そして、このたびの吟行をヒントに、浄真寺の阿弥陀さんに手を合わせる「下品下生」、つまり私ども人間を想像しました。次に阿弥陀さんに祈る人々の姿が、季語「春の雨」のイメージに似合うかどうかを考えました。厳密には「春の雨」と「春雨」の意味は異なるとされていますが、いずれにしても華やぎと暗さを併せもつ優しいことばで、それは祈願の人々の心によくなじむと判断しました。

<以上、伊藤無迅記>



〈多摩川・九品仏界隈 吟行記 〉

◇ 健脚コース<多摩川の古墳群を行く> 尾崎喜美子
 4月11日(土)午前10時30分、健脚コース4人が田園調布駅改札口に顔をそろえた。4人か。誰と誰だろうと思っていたが、予想通り、無迅さん、こま女さん、ちちろさん、そして尾崎であった。雨は上がりそうで、まだしょぼしょぼと降っていた。桜はさすがに、もう終りであったが、代わって駅前の花水木が白い花を開きつつあった。
 田園調布は名にし負う高級住宅街である。駅前で選挙カーらしきものが、がなり立てていたが、それっきり人の気配がしない。改札口を出て左の階段を上り、浅みどりが美しい銀杏並木の緩い上り坂をおしゃべりしながら歩いて行く。
 バブルの頃、地価が高騰しすぎて、相続の時に住み慣れた家を売るしかないがどうにかならないだろうかとテレビを賑わしたものだ。瀟洒な住宅街をしばらく行くと、宝莱公園に行き着く。そこにある宝莱古墳、小さな8〜1号古墳(私達は逆方向から歩いたのだ)と南側の亀甲山古墳を含めて多摩川台公園を成している。歩いてみると良く分るが、小山のように見えるのが古墳で、古墳の間を抜けて下り、開けたところに広場や公園南には今迄とは趣の違う水生植物園、野草園が点在する。
 つゆ草さんが送ってくれた桜の写真にあった展望台からは、多摩川の流れとその対岸に林立している武蔵小杉のビル群が目に入る。2010年にJR横須賀線の西大井駅、新川崎駅間に武蔵小杉駅が出来て東急東横線、JR南部線武蔵小杉駅がつながった事で、此の周辺は大変貌を遂げつつあるのだ。
 多摩川台公園の魅力は、何といっても武蔵野の面影を留めた自然林の中を縦横に走る小道の中を歩けることである。巣造りを迎えたカラスが騒がしい。
     散る花や二羽のカラスの問答歌      ふみ子
 北へ向かうヒヨドリが集結して群れている。八重桜はこれからだ、きっと会えると思いながら歩きはじめたが、やはりあった。ちょうど見頃を迎えていた。天気が良ければ芽吹き始めたケヤキ、クヌギの林を歩くのは気持ちが良いであろう。生憎の小雨模様で足下がぬかるんでいる。不覚にも転んで、皆さんに心配をかけてしまった。晴れていれば、多摩川の水も煌めいて生き生きとしていたのではないかと思うと少し残念だ。しかし山吹、著莪、馬酔木、満天星、花ニラ、つつじ、今にも咲きそうな藤などが、次々に現れて目を楽しませてくれる。多摩川台公園は広い。今回は古墳群を中心に歩いたが、花見の時季には花見と目的を絞って複数回来ないことには本当の良さは分からないのではないかとつくづく思った。
 無迅さんの案内で私達が運動広場に下りて行くと片隅に小さなテントが有って、おまわりさんが2人いた。「お花見の警戒ですか」と尋ねると「はい!」と言う返事。もう、花は終りである。でも、今日は土曜日。雨が上がれば、それなりの人出が見込まれるのかもしれない。二つの大きな広場には三百本以上の桜が植えられているそうだ。「寒いのに、大変ですネ。お疲れ様」と頭を下げて、公園管理事務所を兼ねた「古墳展示室」に入った。
 そこには、多摩川古墳群を発掘調査した時の副葬品が収蔵されている。武器や、耳飾り、管玉等の装身具、埴輪、須惠器等がある。鉄製の剣は酸化してボロボロで、長い年月を思わせた。驚いたことに多摩川一帯、大田区田園調布から世田谷区野毛にかけての古墳は、50基以上も確認されていたのだ。古墳時代は3世紀後半から7世紀末まで頃とされるので、この地には古代から人々が生活を営んでいて、日本が国家として形成されていく過程で、古墳に埋葬されるような力を持った首長が多摩川の地にも出現していたのではなかろうか。
 しばし、タイムスリップして古代に思いを馳せていると、偶然、麹さん、しのぶこさん、かずみさんと出会う。合流して多摩川駅へと向かった。

◇ 穏やかコース1<大田区立せせらぎ公園> 伊藤無迅
 穏やかコース1は、東横線多摩川駅の駅隣にある大田区立「せせらぎ公園」内を逍遥してもらうコースである。集合時間に厳しい人、時間に縛られたくない人、また脚に自信のない人が、この公園で自由に句作してもらうために設けた。希望者は六人いたが、その中の米田かずみさん、月岡糀さん、大石しのぶこさん、山崎右稀さんの四人は、健脚コースを逆に辿り多摩川台公園まで足を伸ばしたようだ。運よく古墳会館で健脚組四人と合流、一緒にせせらぎ公園に向かった。せせらぎ公園では、根本梨花さんと遠路からの宇田川うららさんが待っていた。
     多摩川の堰あいてをり鮎の道      梨花
     春の旅三十二ヵ目の駅に降り      うらら
この「せせらぎ公園」は、東急が経営していた遊園地「多摩川園」が閉園するのを機に大田区が買収したか、あるいは東急が寄贈したかは定かでないが、その地跡を公園にしたものである。私事で恐縮であるが、私は独身の頃日吉にある寮から都内の職場に通ったことがある。日吉で満員電車に乗り多摩川の鉄橋を渡ると、右手に「多摩川園」の観覧車などの遊具施設が、また田園調布駅との間にはローマのコロセウムに似せた「田園コロシアム(テニスコート)」があった。しかし今はその二つともない。私の記憶では当時の東横線は全体が丸みをおびた緑の電車で、多摩川駅は確か駅名が「多摩川園前」だったと記憶している。ホーム続きではなかったが、駅舎を出て少し歩けば目蒲線(当時)に乗り換えられた。もう四十年も前の話である。
 その「多摩川園」という遊園地は、もともと湧水地のある湿地帯を整備して作ったらしい。だから大田区は元に戻して公園にしたことになる。園内には、名称に違わず、せせらぎが園内に巡らされ、奥には人工だが落差のある立派な滝と滝壺があった。滝壺には大きな鯉が泳ぎ、下流のせせらぎにはオタマジャクシが沢山泳いでいた。
     ひらひらの波紋の下に蛙の子      糀
     川音に花筏を追う初吟行        右稀
 都会にあって里山の風情があり入場料もないので、ベンチで暫し無心に浸るサラリーマンや周辺住民が多く訪れると聞く。園内には屋根つきの広いテラスがあり、座り心地のよさそうなベンチが幾脚も並んでいる。私の当初の思惑は、その椅子でゆっくりと吟行後の句作をめぐらしてもらう予定であった。ところが、皆さん、すでに句作は終わっている様子で、心はすでに昼食モードになっている。仕方がないので、そこで弁当組と食堂組とに分かれ、以後は句会場集合ということで別れた。雨はようやく上がり空が少し明るくなっていた。

 ◇ 穏やかコース2<九品仏浄真寺> 椎名美知子
 九品仏の駅では今回のお世話役つゆ草さんが待っていてくれた。駅から数歩で九品仏浄真寺になる。久々の邂逅の山茶花さんと昨夜からの雨に洗われ、桜から新緑に季節を移した清々しい参道を歩く。この街中にこんな静かな広い敷地を持つ寺院があることを知らなかった。ここには奥沢城というお城があったという。 
 浄真寺は浄土宗の寺で、山号は「九品山」、「九品仏」(くほんぶつ)は同寺に安置されている九体の阿弥陀如来像である。御堂が三棟あり、「上品(じょうぼん))」の三体を収めた御堂を真ん中に、右に「中品」の三体、左に「下品」の三体が収められている九体とも同じ大きさの阿弥陀如来像で 九体の阿弥陀如来像は、上品上生、上品中生、上品下生、中品上生、中品中生、中品下生、下品上生、下品中生、下品下生という浄土教の極楽往生の九つの階層(九品往生)をあらわしていて、九品仏と呼ばれている。「上品」の三体のみ頭が鮮やかな青である。
 雨は上がって、三御堂の荘厳な阿弥陀像を拝観すると敬虔な気持ちになっていた。
     春の雨下品下生(げぼんげしょう)に頼みごと        酢豚
     遅桜下品の吾れの自己べスト                 宏美
 九品の意味を解していて出来た句と思う。それにしても随分と謙遜したお二人である。
 桜は蕊を散らし葉桜となり、山吹の黄色の群れが明るい。もみじの若葉から水滴が時折落ちる。新緑が清浄な境内によく映える。
     清らなる葉の重なりて通せんぼ         山茶花
 昨夜の雨で一気に勢いを得た新緑の葉の重なり、出来れば、通せんぼを理由に余裕を持ってまわりたい浄真寺である。
 ところで九体阿弥陀が日本に現存するのはここの九品仏浄真寺と、京都木津川の浄瑠璃寺(西の浄瑠璃寺)の二カ所である。浄瑠璃寺の九体阿弥陀はひとつの御堂に九体が並び、一体(中尊像)のみが大きい。地理的には奈良に近く、堀辰雄の『大和路・信濃路』の「浄瑠璃寺の春」に登場している。
 鈴木松江さん、尾崎さん、こま女さんとも御一緒できた。今回拝観したのはほんの一部であった。廻れなかった方も是非ゆっくり足を運んでいただきたいし、また訪れたい。
 御世話をして下さった無迅さん、つゆ草さん、梨花さん、ありがとうございました。

< 了 >




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