白山句会 白山句会報第18号
□ 日時 平成26年10月11日(土)、14時30分〜17時
□ 句会場 神保町「和亭なにわ」(神保町1−34、弘報社ビル1F)
6月の与野本町吟行会から早や4ヶ月経ち、久し振りの白山句会である。今回は宇田川うららさん、平塚ふみ子さん、佐藤馨子さんの仲好し3人組(何方かが掲示板で「AKBスリーシスターズ」と名付けていた)が世話役で、事前段取りと当日のお世話をして戴いた。台風シーズンで心配していたが、運よく二つの台風に挟まれ句会当日は絶好の吟行日和に恵まれた。長い歴史をもつ白山句会だが、泊まり込みの句会を除き、いきなり句会を料亭で開くのは初めてである。そういうこともあり、当初幹事さん達は料亭句会の開催に戸惑いがあり、恐る恐る先生にメールでお伺いを立てたそうだ。その結果「結構、結構!」と、ふたつ返事の返信があり、一挙に弾みがついたという裏話を後から聞いた。
神保町と言う町自体の醸し出す独特の雰囲気もあるが、料亭句会も会議室句会とは、また違った味わいがあり中々良かったと思う。皆さんが待ちに待った久し振りの句会で、参加申し込み者は当初20人(体調等の理由で最終的には18人)という盛況であった。皆さんは、句会もさることながら、若き日の思い出に満ちた旧懐の街、神保町をたっぷり楽しまれたようである。
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〈 俳 話 少 々 〉
今回も諸事情から伊藤無迅が俳人清崎敏郎の「断絶」という俳話を紹介し、「切れ」の効用について簡単な話をさせて戴いた。→ 資料「俳話少々(4)」(伊藤作成)
@ 最初に俳人清崎敏郎が、かつて新聞に寄せた俳話を紹介した。
清崎の師、高浜虚子が著わした『虚子俳話』から、「十七音と切れは俳句の骨格を成すもの」という一文を引き、一句の中に「切れ」を入れる重要性を説く。特に清崎は「切れ」を「断絶」と独自の捉え方をしており、例句を挙げて説明。
文豪の旧居を閉ざす春障子 ・・・・ @
文豪の旧居や閉ざす春障子 ・・・・ A
A 次に伊藤から以下のような補足を行った。
清崎は上記Aの「切れ字」の効用について、紙幅の制約からか@→Aに添削した後、「効用がお判りいただけるでしょう」と結び詳細な説明を省略している。このため、伊藤が補足の解釈を紹介した。つまり、「断絶」は時間的な断絶であり、そこに「間」を入れることで、読み手の創造(解釈)をより膨らませることができる。このように「切れ」は、一句の世界に「広がり」と「充実」をもたらしてくれる。
<以上、伊藤無迅記>
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〈 句 会 報 告 〉
* 一部の作品については、作者の意図をそれない範囲で、原句表現の一部を改めたものがあります。
☆ 海紅選 ☆
名月に座して阿吽の犬閑か(静か) |
月子 |
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秋日和歩いてみやう一駅を |
喜美子 |
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賑はひは常に変らず神の留守 |
喜美子 |
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半ドンの笑顔の並ぶや秋のカフェ |
瑛子 |
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宇宙との交信の色木守柿 |
由美 |
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泣きながら砂場で遊ぶ赤トンボ |
富士子 |
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迷ひ道ワゴンの辞書に秋の蝶 |
こま女 |
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秋うらら天井までも古書の街 |
ひぐらし |
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団扇絵に話しかけてる秋思かな |
富士子 |
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鰯雲おやぢ居るかと書肆覗く |
酢豚 |
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秋風や鉛筆削れば匂ひ立つ |
月子 |
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書架裏に秋思隠れてゐたりけり |
酢豚 |
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御くわし屋の紺地の暖簾さはやかに |
馨子 |
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アイパッド静かに閉ぢて秋の川 |
瑛子 |
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☆ 互選結果 ☆
6 |
新蕎麦や皆在りし日の神保町 |
宏美 |
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5 |
いま買ひし書を解く茶房秋ともし |
希望 |
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5 |
鰯雲おやぢ居るかと書肆覗く |
酢豚 |
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5 |
末枯といふたまさかに揺るるもの |
海紅 |
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4 |
アメ色のシネマポスター秋深し |
つゆ草 |
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4 |
秋の風人待ち顔の古書の山 |
喜美子 |
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4 |
書架裏に秋思隠れてゐたりけり |
酢豚 |
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3 |
又逢えた又逢えた草紅葉行く |
海紅 |
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3 |
淋しいと云はぬ弧影の秋袷 |
梨花 |
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3 |
澄む秋や楷樹の守る孔子廟 |
ふみ子 |
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3 |
秋風を連れて古書肆の扉押す |
希望 |
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3 |
文坂のゆるき傾斜や秋の雲 |
うらら |
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3 |
町ひとつ色なき風の中に在り |
無迅 |
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2 |
なつかしい年への手紙街の秋 |
梨花 |
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2 |
古店主の銜へ煙草やそぞろ寒 |
つゆ草 |
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2 |
月蝕の騒ぎ鎮めの秋の風 |
酢豚 |
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2 |
追憶のカルチェラタンや秋の雲 |
ひぐらし |
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2 |
墓守は私がしますと曼珠沙華 |
和子 |
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2 |
常連と呼ばれたき町秋高し |
馨子 |
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2 |
御くわし屋の紺地の暖簾さはやかに |
馨子 |
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2 |
秋うらら天井までも古書の街 |
ひぐらし |
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1 |
名月の座して阿吽の犬静か |
月子 |
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1 |
忌の過ぎて人に教はる菊膾 |
松江 |
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1 |
秋日和歩いてみやう一駅を |
喜美子 |
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1 |
ミロンガの揺らぐワインや秋深し |
ふみ子 |
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1 |
聖橋放るレモンのもう無くて |
うらら |
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1 |
半ドンの笑顔の波や秋のカフェ |
瑛子 |
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1 |
天高し赤白ガンバレ青の勝ち |
美雪 |
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1 |
迷い道ワゴンの辞書に秋の蝶 |
こま女 |
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1 |
古本の街の餃子屋残る秋 |
宏美 |
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1 |
立読みの書を買ひにけり秋真昼 |
憲 |
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1 |
所狭し古書肆の悠よ秋団扇 |
憲 |
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1 |
古書の街みつけた師の書秋うらら |
美雪 |
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1 |
秋風(しゅうふう)や立ち止まりつつ聖橋 |
ふみ子 |
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1 |
秋の古書街富士山盛(も)りのナポリタン |
梨花 |
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1 |
行く秋やニコライ堂の鐘の鳴る |
ひぐらし |
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1 |
木犀や少女を誘ひ毬つかせ |
由美 |
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1 |
古書店に一途な恋が埋もれをり |
ムーミン |
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1 |
アイパッド静かに閉ぢて秋の川 |
瑛子 |
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☆ 参加者 ☆ <順不同・敬称略>
谷地海紅、尾崎喜美子、根本梨花、小出山茶花、大江月子、水野ムーミン、谷 美雪、
三木つゆ草、伊藤無迅、ひぐらし好太郎、谷地元瑛子、丹野宏美、鈴木松江、
荒井奈津美、月岡富士子、平塚ふみ子、佐藤馨子、宇田川うらら(以上18名)
<欠席投句者>
堀口希望、安居酢豚、柴田 憲、礒部和子、西野由美、中村こま女、むらさき(7名)
<以上、佐藤馨子、宇田川うらら記>
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☆ 合評 ☆
互選後、時間があったので、皆さんから感銘句の鑑賞を述べてもらいました。
互選結果から言えば、やはり吟行句が上位を占めた。このため自選した吟行句についての鑑賞が大部分を占めた。また参加者の中からは、今回のような句会では出句は吟行句でないといけないのか、あるいは欠席投句の中に吟行句と思われる句があるが、どうなのかといった質問があった。たしかに今回の句会案内では、吟行するもよし、会場に直行でもよしと、皆さんの自由行動を尊重し、出句に関しても特に制限は設けずに「当季雑詠三句」としました。しかし、会場の土地柄、どうしても吟行という性格を帯びるのは仕方が無いところでした。このため少数の方から当季雑詠句の出句があったが、吟行句の勢いに押されてしまったのは多勢に無勢、致し方ないところがあるように思います。要は作品本位なのですが、吟行で見て来た直近の印象が皆さんの選句に影響するのは致し方ないところと思いました。
☆ 総評 ☆
ひぐらしさんが、「事前に句を作ってきたのだが、吟行をしてみると、事前に用意してきた句は色あせてしまい、結局吟行で得られた句を投句して、よい結果が得られた」という主旨の感想を述べた。それをうけて先生から次のような話があった。
吟行では、まず目にしたものを言葉にするから、理屈や情に惑わされない感動や発見につながることが多い。しかし、事情で吟行に出席できなくとも、過去の経験を生かして佳句が構成されることも少なくない。その意味で、よい句ができない場合でも吟行は将来の財産になる。そのいずれも場合でも大切なことは、平生から句の型(かた)を学ぶことだ。この型とは5+7+5ではない。全体で17音にすることだ。それは5+12(12+5)、10+7(7+10)、あるいは14+3(3+14)のことだってあるだろう。実際には17+0(0+17)となる場合も考えられる。俳句も芸道の一つだから、剣道や柔道、茶道や華道同様に基礎となる型を学びたい。その際、「自分の気持ちに正直に」などという難しいことは考えず、季題が持っている世界に従順な方が上達は早い。型を学べば、心は後からついてくる。型破り(個性)はそのずっと先のことでよいのである。
<以上、伊藤無迅記>
〈 神保町界隈吟行記 〉
10月11日、台風18号が去った後、大型の台風19号が日本列島を窺っていた。幹事さんとすれば、当然天候が気になるところである。
折角の秋の一日、もし天気が良ければ歩いてみようと思って朝、雨戸を開けると絶好の吟行日和だ。9時過ぎに家を出て、御茶ノ水駅を目指した。自分では方向音痴とは思っていなかったが、位置関係が見事に逆転していて、御茶ノ水駅のホームを端から端まで歩いて聖橋口に出る。神田川を渡れば、すぐ目の前が湯島の聖堂である。
湯島聖堂は、徳川五代将軍綱吉が元禄3年に創建し、上野忍岡の林家私邸にあった孔子廟殿と林家の家塾をここに移した。その後、寛政9年幕府直轄学校として「昌平坂学問所(通称『昌平校』)」を開設した。時は移り、明治4年わが国最初の博物館(現在の東京国立博物館)が置かれ、翌5年には東京師範学校(現在の筑波大学)、明治7年には現在のお茶の水女子大学の前身東京女子師範学校が設置された。謂わば、ここ湯島聖堂は近代教育発祥の地なのだ。大正12年の関東大震災で、入徳門と水屋を残して焼失したあと、昭和10年に寛政時代の旧制を模し、鉄筋コンクリート造りで再建されたのが、現在の湯島聖堂である。
杏壇門をくぐれば、その奥に孔子が祀られている大成殿がある。杏壇門の前に大きな2本の木が守護神のごとく立っている。スダジイと楷樹である。
澄む秋や楷樹の守る孔子廟 ふみ子
楷の木は学名トネリバハゼノキ、 うるし科の植物で中国では普通に自生しているとのこと。曲阜にある孔子の墓に植えられていて、大正4年白澤博士が曲阜から持ちかえった種から苗を育て、近年ようやく日本で実生の育苗に成功した銘木である。聖堂内には何本もの巨木があって、孔子ゆかりの木であることが知られる。大成殿でお参りをしていると「神田明神はどこですか」と声を掛けられた。エッ、こちらが聞きたいのにと思いながら「ここを出て、広い通りに出たら右にいけば、神田明神に着くと思います」と答えておいた。まあ、当たらずも遠からずで良かったが、私は聖堂を一回りして仰高門から出たので、神田明神には、少し戻ることになった。
神田明神は1,300年近くの歴史を持つ。出雲系の氏族が大己貴命を祖神として祀ったのに始まるとされ、現在の将門塚周辺に創建された。慶長5年、家康の関ヶ原戦いの戦勝祈祷を行い、それ以降徳川将軍家の手厚い保護を受けてきた。 大己貴命(オオナムチノミコト、だいこく様)、縁結びの神、少彦名命(スクナヒコナノミコト、えびす様)、平将門命(タイラノマサカドノミコト、まさかど様)、除災厄除けの三柱を祀り、神田祭りは日本三大祭の一つで、隔年に行われる。
門をくぐると越天楽の音が聞えて来た。本殿では結婚式が行われていて、二人の巫女さんが舞い、やがて三三九度の杯と続く。暫く見入っていたが境内に目を移せば、危なっかしい 足取りの可愛い主役たちが目に入る。七・五・三の晴姿をカメラに納めようと大人たちは忙しい。天気もお祝いしている今日の佳き風景である。
今年の3月の出雲大社に行った時の事である。季節外れの雪に見舞われて自由行動になった。このため、ふだんは寄らないであろう宝物館には入った。徳川将軍が式年遷宮の折に奉納した太刀をはじめ国宝・重文が目白押しで、なんだか得した気分になった。その後そこを出ようとしたら、係の人に「どちらからですか?」と声を掛けられた。どうやら、私達が関東訛だったので、懐かしく思われたらしい。話が弾んで、その人が神田明神の三男坊であることが分った。修行に来ているとのことだが「帰えらないかもしれない」とも、言っていた。
そんなことを思い出しながら、神田明神を後にして、ニコライ堂に向かった。ところが、入口が分からない。「紅梅坂」という洒落た名前の坂を上って、そこからは入ったが、堂は閉まっているし、関係者らしき人の「不審者?」と言う視線に、たじろぎ神保町を目指すことにした。後刻、「ニコライ堂に入れなかった」と言うと、瑛子さんがすかさず「そんなこと無いわよ。入れるわヨ」と教えてくれたが、下調べもせず、地図も持たずの怠惰がこのような結果をもたらしたのだ。
谷地先生が立寄られた漱石ゆかりの金華小学校(現区立お茶の水小学校)は、うららさんが「芭蕉会議」ホームページに心を込めた書込みがあったのに見逃してしまった。ニコライ堂にしても見学は午後1時からで、あと少し待っていれば入れたのだ。
山の上ホテル、明治大学リバティタワーをやり過ごして、駿河台下に至る。さあ、神保町書店街。言わずと知れた「三省堂」に入る。地図を探したいのだが、何処に有るのやら。見つることは見つけたが、今度は目移りしてしまう。しばらく、ウロウロしたあと外に出て、店先を覗きながら歩いていると、やれ嬉し、見知った顔に出逢った。山茶花さんだ。彼女が手にしていた地図を私が欲しそうにしていたのか「そこで貰ったのヨ」と案内してくれた。山茶花さんが探していたお店は反対方向のようだったのに、わざわざ有難うございました。
10月1日のつゆ草さんのブログに、
本棚に残った本の数々をとうとう手放す事にした。神保町の古本引き取り業者が今日来ました。もう30年も前に亡くなった義理の父は、本の収集が趣味とかで全集が沢山本棚にあり、それらはもう古いため色も茶色で褪せているし字体も古いしで、結局引き取ってくれたのは30冊位の日本古典全集だけでした。他にも世界歴史全集やら源氏物語全集やら、世界美術全集やら夏目漱石全集やらと沢山あったのですが、価値なしという事のようでした。塵として捨てる他無く何だかもったいないようなのですが、仕方ないようです。欲しい方に無料で差し上げたいくらい・・・です。本は余程高価なものでないと需要がないという時代に悲しい思いさえしました。
とあったが、人々で賑わっている古書の街の本たちにも、色々な運命があったであろうか。
秋うらら天井までも古書の街 ひぐらし
もう少し見て歩きたかったが、1時30分頃には句会場「なにわ」に、三シスタアーズが来ているはずである。いた、いた。「なにわ」では、すでに女将と一緒にテーブルを動かして会場作りが始まっていた。
「なにわ」は、すっぽん、ハモ、河豚の高級食材や旬の食材を生かした料理と、おかみさんの温かい人柄で多くの常連客を引きつけている。そのうちの一人高野公彦氏の色紙も飾られていた。今回は、ふみ子・良子・馨子の三シスターズのお骨折りと「なにわ」さんの、ご好意で素晴らしい句会となった事を改めて感謝したい。新しい方、久しぶりの方、皆さん、とても良い笑顔でした。それに心配した天気もまずまずで、本当に良かったです。聞けば、うららさんは、職場が句会場「なにわ」に近いとか、いわば地元だから詳しいはずである。谷地先生がおっしゃるように「神保町は裏切らない、まことに奥が深い」町である。
途中で、新蕎麦の張り紙に惑わされて、昼食を済ませてしまったが、神保町は本の街であるが、また食べ物もおいしい(・・・・)街であるようだ。
秋の古書街富士山盛(も)りのナポリタン 梨花
今度、来る事があったら、絶対にたべようっと!!
では、みなさま、また次回お目にかかりましょう。
(*湯島聖堂と神田明神の記事の一部に各々のホームページを引用させて戴きました)
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<尾崎喜美子 記>
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