白山句会 白山句会報第17号
日時 平成26年6月14日(土)、13時〜16時30分
句会場 西与野コミニティーホール1F会議室
今回は米田かずみさん、谷深雪さん、そして伊藤嘉章さんのお骨折りで、さいたま市中央区与野本町界隈を吟行した。ちょうど梅雨の中休みで、夏日ではあったが木陰に入ると心地よい風が通り気持ちが良かった。参加者は12人と、いつもの句会より少なかったが、その分推敲時間や選句時間がゆったりと取れ、句会の進行もスムーズに行った。当日の天気同様気持ちの良い句会であった。今回はまことに久しぶりの伊藤嘉章さん、二度目の丹野宏美さんの参加があった。句会後は全員が懇親会に出席、沖縄料理に舌鼓を打ちながら、それぞれに親交を深め合った。
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〈 俳 話 少 々 〉
三回目となるが、古参の会員の方が今回は参加が無かった。このため急遽、伊藤無迅から「季語と付け」という内容で簡単な話をさせて戴いた。
→資料「俳話少々(3)」(伊藤作成)
@ 最初に俳人能村登四郎が、かつて新聞に寄せた俳論を説明。
内容は「俳句の季語というものは風雅さをもつ一方で、人間の行為や心理の象徴となることができる」というもので、下記の二句を例にその説明を述べている。
「終い歯に麻酔の浸すそぞろ寒」
→抜歯の不快感と季節の感覚をたくみに重ね合わせて成功。
「秋逝くや心の冷えの盗み酒」
→「心の冷え」という自己反省の表現と、秋から冬に移る季節の透明感が上手く重なり合い成功。
A 結局、俳句の骨法は17文字の制約を如何に超え、表現力を高めるかの問題。
B 季語の持つ力に上手に「付ける」ことは、俳句の一般的な手法として定着している。
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〈 句 会 報 告 〉
* 一部の作品については、作者の意図をそれない範囲で、原句表現の一部を改めたものがあります。
☆ 海紅選 ☆
梅雨休みぽつんと傘が待ちぼうけ |
奈津美 |
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紫陽花も目立たぬやうに古刹かな |
ひぐらし |
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噴水の飛沫を浴びて句会場 |
無迅 |
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紅薔薇の名はタイムレス与野の町 |
ふみ子 |
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五月晴池の真ん中に亀の山 |
奈津美 |
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夫帰る頃ひらききるらん白牡丹 |
由美 |
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多宝塔由緒正しく雲の峰 |
ひぐらし |
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弁財の池に浮かべし濃紫陽花 |
光江 |
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☆ 互選結果 ☆
6 |
多宝塔由緒正しく雲の峰 |
ひぐらし |
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5 |
万緑や意思ある如き蔵造り |
嘉章 |
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4 |
名残薔薇一期一会の与野公園 |
喜美子 |
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3 |
卵嚢をいだく樹もあり夏木立 |
むらさき |
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3 |
バラ残るバラの蕾もまだ残る |
海紅 |
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3 |
薔薇の香や与野本町は空広し |
海紅 |
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2 |
咲き誇る薔薇に生老病死かな |
ひぐらし |
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2 |
椎若葉古代のごとく昼餉かな |
由美 |
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2 |
誕生日一輪重しバラの花 |
光江 |
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2 |
碧空に真紅の薔薇ののびゆけり |
かずみ |
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2 |
蒼天や車窓はるかに雲の峰 |
喜美子 |
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2 |
薔薇の野辺土の香りの漂つて |
窓花 |
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2 |
弁財の池に浮かべし濃紫陽花 |
光江 |
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1 |
父の日や児らの初めし遠近画 |
宏美 |
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1 |
梅雨晴れや亀の親子がスイミング |
ふみ子 |
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1 |
草むらの泡ごと蛍手に掬ふ |
深雪 |
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1 |
梅雨休みぽつんと傘が待ちぼうけ |
奈津美 |
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1 |
紫陽花も目立たぬやうに古刹かな |
ひぐらし |
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1 |
遠雷や友の退職耳にせり |
ふみ子 |
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1 |
薔薇の香や寄り添ふ数の数へ顔 |
宏美 |
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1 |
かるがもの親子啄ばむぐみの下 |
かずみ |
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1 |
それぞれの薔薇に名のあり匂ひあり |
かずみ |
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1 |
炎天下カルピスソーダ回し飲み |
窓花 |
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1 |
赤き薔薇好きと云ひ置き旅立ちぬ |
松江 |
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1 |
ばら崩る大音声の音もなく |
無迅 |
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1 |
バラの枝の進路定めし鋏入れ |
光江 |
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1 |
空豆の莢はじけるや蔵の中 |
こま女 |
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1 |
シーシャトル旋回せしとき夏馨る |
むらさき |
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1 |
見つめゐてやがて黒づむ薔薇真紅 |
無迅 |
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1 |
薔薇散つて嘆息の空乙女像 |
嘉章 |
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1 |
梅雨晴れ間フル回転の洗濯機 |
喜美子 |
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☆ 合評 ☆
互選後、時間があったので、皆さんから感銘句の鑑賞を述べてもらった。
以下は主要句の鑑賞。
・多宝塔由緒正しく雲の峰 ひぐらし
今回の最高点句である。てっきり吟行句と思っていたが開いてびっくり、欠席投句者のひぐらしさんの句であった。たぶん事前にひとり吟行していたのではないかという結論になった。「雲の峰」が効いた句である。
・万緑や意思ある如き蔵造り 嘉章
嘉章さんは、初参加であるが歴とした地元の俳句会「白鳥」の重鎮である。堂々とした句で、昼食を取った蕎麦屋の百年を越える家屋を詠った句と思われる。
・名残薔薇一期一会の与野公園 喜美子
「名残薔薇」が好評でした。
質問が一点あった。
「今日のような吟行後の句会の場合、出句する句は吟行句以外の句でも良いのか」
→ 先生から以下の回答があった。
・原則、吟行句優先と考えてください。
・吟行の目的は、詠句の鍛錬にあり、見ることで心の訓練をすることにある。
・従って「見たもので」勝負するが基本です。
・しかし、見ても出来ない場合もあります。その時は手持ちの当季雑詠句を出すというふうに考えてください。
☆ 総評 ☆
先生から、
紅薔薇の名はタイムレス与野の町 ふみ子
を挙げた上で、以下のような話があった。
吟行をした土地への挨拶句を詠むことも吟行の楽しみである。この句は与野の町を代表する薔薇園の存在と、その薔薇の一株に付いていた[タイムレス]という名前に目を付けて、古い歴史のある町が、町興しに一所懸命なイメージと重なり、とても良い句に仕上がっている、本日一番の佳句と思うとの話があった。
最後に先生から、今回の吟行を、企画、会場確保、案内と協力戴いた伊藤嘉章さんへの御礼の言葉があり散会した。
☆ 簡単な吟行記 ☆
与野町は懐かしい町である。私が二十代のころ、親友が与野町の閑静な住宅街の借家で同棲生活をしていたので数回訪ねて行ったことがある。当時女性には夫がいて、正式に縁が切れずに隠れるように棲んでいた。現在のようにフォークソング「神田川」や「赤ちょうちん」がヒットし「同棲生活」というものが、ある程度市民権を得ている時代ではなかった。世間を憚りながら暮らす二人の二間続きの部屋は、ガランとしていて生活感はなかったが独身の私には眩しかった。そのころ二人と薔薇園を歩いた記憶がある。その後二人は結婚したが、友人は昨年9月に末期の肺癌で苦しみながら逝ってしまった。
その後、与野へは、俳句結社時代に一回だけ吟行に訪れたことがある。歩いたコースは、ほぼ今回と同じで、円乗院と薔薇園であった。俳句ノートをめくってみると2007年の5月で所属句会の鍛錬会であった。句会場がどこであったかは覚えてないが、「薔薇園の真中にゐておちつかず」という句を作っている。どうもその頃から薔薇は苦手な花だったようだ。
前回の白山句会で吟行した神代植物公園にも広大な薔薇園があったが、薔薇の手入れは多くの手間と維持費が掛かるようなので、四千株に近い大規模な薔薇園をもつ与野公園の負担は大変なものであろう。
途中寄った円乗院は室町時代に創建されたという立派な多宝塔をもった、それこそ「由緒正しき」古刹である。前回来た時の記憶では多宝塔や寺内は色褪せて、文字通り古寺という印象が強かったが、今回参拝すると境内は良く整備されており、綺麗なお寺に様変わりしていた。綺麗にはなったが、いたる所に「○○禁止」の立て札が立っている。うっかり立ち入ってしまった立入禁止区域では、お坊さんに大声で追い払われてしまった。先代の住職から新しい住職に変わったようで、お寺の経営方針も変わったのであろうと、追い払われた憂さ晴らしもあるのか、皆で大きな声で噂し合った。(なんと大人気ない!)
懇親会場は沖縄出身の女性が切り盛りする古い民家を改造した店であった。ちょっとした多目的ホールで、沖縄特産品の展示、ジャズの演奏会、町内の町興しの企画展などが、よくそこで開かれるそうだ。
食材はすべて沖縄から調達しているという自慢の沖縄料理に舌鼓を打ち、泡盛で一献を傾けながら、しばし話に花を咲かせた。
<おわり>
☆ 参加者 ☆ <順不同・敬称略>
谷地海紅・尾崎喜美子・谷美雪・丹野宏美・伊藤嘉章・米田かずみ・青柳光江・平塚ふみ子・眞杉窓花・鈴木松江・荒井奈津美・伊藤無迅 (以上12名>
<欠席投句者>
西野由美・むらさき・植田ひぐらし・中村こま女 <4名>
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<伊藤無迅・記>
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