白山句会会報 No.16   ホーム

白山句会 白山句会報第16号
日時   平成26年4月12日(土)、13時〜16時
句会場  神代植物会館2F 中会議室A

 今回は武蔵野の古刹、深大寺周辺での久し振りの吟行である。朝から晴れ渡り絶好の俳句日和となった。中村こま女さん、水野ムーミンさんが、花の時期を見定めた上での日にちの設定であったが、気まぐれ桜前線は残念ながら一週間ほど早く通り過ぎたようである。こればかりは、人為を超えたもので仕方のないことである。しかし葉は出ているが、未だ咲き誇っている桜も多い。季語には、残る花、残花、遅桜など、桜花への名残季語があり、これは、これで俳句には絶好の句材となる。さらに、隣の句会場である神代植物公園は、都内有数の名の花の名所である。句材には事欠くことはない。
 今回は、欠席投句の方が九名と、今までの最高であった。それぞれに事情があることで、いた仕方ないことであるが、俳句は同座の文芸でもある。次回は直接お顔を拝見し、その後の音信に話に花を咲かせながら、是非句会をご一緒したいものである。


〈 俳 話 少 々 〉

 前回に引き続き二回目となるが、今回は伊藤無迅から「句作時における説明」という内容で話をさせて戴いた。 →資料「俳話少々2」(伊藤作成)
@ 最初に俳人宇多喜代子が新聞に寄せた「作句のポイント」を説明。 
  宇多さんが俳句初学の時詠んだ「夕風やさやさや揺れる花野かな」「木犀や夜はたっぷりと匂いけり」という句が、なぜ悪いのかを宇田さんが自ら説明したものを紹介。
   →双方共に上五の言葉を中七、下五で、単に説明しているに過ぎないことを知る。
   →花野に揺れ、木犀に匂う、花に咲く、雨に降る、死に悲しいは不要。
   →季語だけでなく、言葉も本意を持っている、それに更なる説明は要らない。
A 同様に無迅の初学時も「写生」を曲解、実写の説明に終始した体験を通し、
   →言葉には自から内包するもの、特に季語にはそれが多く且つ重いことを知る。
B つまり、俳句は十七文字の世界最短詩型、説明している猶予はない。核心をズバリと突く詠み方が大事である。


〈 句 会 報 告 〉
* 一部の作品については、作者の意図をそれない範囲で、原句表現の一部を改めたものがあります。

☆ 谷地海紅 選 ☆

つくしんぼ川は明るく響きたり 由美
ひとしきりおしゃべりやがて春惜しむ ひぐらし
水噴いてあそべる浅蜊火に架けり むらさき
花吹雪唱歌の出だし出でぬまま 宏美
さくら狩り五台連なる車椅子 靖子
百本のしだれ桜をくぐりけり 梨花
風光る気働きある若女将 うらら
嫋やかに生きよと吾に雪柳 つゆ草
両脇に枝垂桜のお出迎へ 窓花
若葉風瑠璃光如来開帳す 瑛子
ほどほどに切り上げて出る花の門 莉由
掃除機と話してゐたる春の昼 酢豚
春うらら烏の影に横切らる うらら
一片の桜が付いて荷が届く 和子

☆ 互選結果 ☆

6 一片の桜が付いて荷が届く 和子
5 さくら狩り五台連なる車椅子 靖子
5 春日差し掬ひて胸にしまひけ つゆ草
4 若葉風瑠璃光如来堂の中 瑛子
3 名残り花受け取るやうな仏の手 喜美子
3 花吹雪唱歌の出だし出でぬまま 宏美
3 目の前は紅八重桜深大寺 ふみ子
3 ほどほどに切り上げて出る花の門 莉由
3 髪白くなるまで生きて桜狩 海紅
2 花嵐父を攫つて往きしまま 梨花
2 蕾みゐて女雛のやうな椿かな むらさき
2 ひとしきりおしゃべりやがて春惜しむ ひぐらし
2 職を引きペンだこ痒し柿若葉 無迅
2 植替への出番を待つてすみれ草 和子
2 嫋やかに生きよと吾に雪柳 つゆ草
2 水温む蕎麦うつ手元かろやかに こま女
2 蘭植うる翁へ風の柔らかし 松江
2 過ぎゆける夢やはらかに散る桜 由美
2 曲線のうつくしき籠はるの色 むらさき
2 たゆたふと水車ごっとん散る桜 こま女
2 けふひとひ桜蘂降る深大寺 ひぐらし
2 あけぼのが染むる白木蓮開くとき 奈津美
1 深大寺流れを見てる二輪草 喜美子
1 乾門開いて夢の桜かな 和子
1 散る桜老舗の屋根に大下駄が 美雪
1 つくしんぼつくしんぼまたつくしんぼ 酢豚
1 独居の主去りたり沈丁花 宏美
1 花筏すこし流れて流されて 酢豚
1 風なくて柳すらりとのびやかに 山茶花
1 神代の花さまざまに風薫る 美知子
1 くちびるの厚き御影や春灯 海紅
1 掃除機と話してゐたる春の昼 酢豚
1 足元に蒲公英もよう一休み ふみ子
1 坂の町桜蕊濃き昼下り 瑛子
1 大木の新芽さわやか希望燃ゆ 光江
1 若葉萌え滝音軽ろし鯉の群れ 美雪
1 喧騒を忘れて一座長閑かな 窓花
1 さくらにも奥手のありけり皆が見る ムーミン
1 葉のひまに風を待ちゐる桜かな 海紅
1 新じやがを丸ごと茹でし窓の風 ふみ子
1 一本のしだれ桜の言はんとす かずみ

☆ 合評 ☆

 互選後、時間が約三十分あり、皆さんから感銘句の鑑賞を述べてもらった。総じて和子句(「一片の・・」)と、宏美句(「花吹雪・・」)への鑑賞が多かった。和子句については、花と言えば満天に咲き誇る桜を思うが、その花のただ一片の花びらを上手に詠み込んだ点に評価が集った。ただ類想に流れやすいという意見もあった。宏美句については、唱歌の題名にまで話題が及んだ。着想の妙が成功した例であろう。
以下、僭越ですが当日筆者が述べた鑑賞を記します。
    くちびるの厚き御影や春灯    海紅
    ・長年「春灯」句を見てきたが、「くちびる厚き御影」の取り合わせは新鮮。
     上手く説明できないが絶妙と思う。
    掃除機と話してゐたる春の昼    酢豚
    ・この句には驚きました。たぶん大方の人は採れない句かと思います。
      この句は「春の昼」がすべて、他のどんな季語を持ってきても駄目と思います。
     あるいは最近、対話する掃除機が販売され、その掃除機と話しているかも
     知れません。
     が、それでは「春の昼」が効きません。これは、やはり作者の境地を詠んだ
     句ではないかと思い採りました。


☆ 総評 ☆
 最後に先生から、総評の代わりに幾つかの句に添削がありました。(割愛)



☆ 簡単な吟行記 ☆

 深大寺は、天平五年創建の関東を代表する古刹、当初は満功上人により法相宗寺院として開かれたが、後に天台宗に改宗。本尊は釈迦如来像であるが、明治期にある堂の壇下から発見さたという仏教美術上有名な銅製の白鳳仏「釈迦如来椅像」(重要文化財)をも蔵し、「深大寺縁起絵巻」と共に当寺の代表的な寺宝となっている。「深大寺縁起絵巻」には満功上人の両親の微笑ましい恋物語が記載されており、寺名はその中に出てくる水神「深沙大王」に由来する。因みに「深沙大王」とは唐の三蔵法師が天竺に旅した際、大河を渡る難事を救ったとされ、疫病・魔事を遠ざけるというご利益があるという。
・・・と、ここまでは物の本によりました。
  深大寺には歌碑・句碑が多い。句碑では芭蕉、高浜虚子、中村草田男、石田破郷、皆吉爽雨、星野麥丘人などの句碑が広い敷地に点在している。蛇足になるが皆吉爽雨は、最近お見えにならない菅原通済さんが属している「雪解」を創設した虚子のお弟子さんである。
     春惜しむ深大寺そば一すゝり    爽雨
実に判りやすい句で、この日我々も経験した感興が素直に詠まれている。
  深大寺を愛した俳人の一人に上田五千石がいる。正確には深大寺よりも境内の蕎麦屋にあったようである。これは五千石のお弟子さんから直接聞いた話であるが、何かにつけて理由を作り、弟子を深大寺吟行に誘った。その目的は、蕎麦と酒と俳句談義にあったようで、いつも吟行を早く切り上げようと弟子達を急かしていたとのこと。弟子達も先刻承知で、師匠を焦らして楽しんでいたようである。
  私事であるが、深大寺は五年前に当時所属していた結社の吟行会で来たことがある。句会場も今回と同じ会議室であった。その結社には同人会があり、年二回の鍛錬句会があった。各支部を代表する俳人が集まるせいか、いつも堅苦しい雰囲気があり、正直余りよい印象は残っていない。今回の句会前日、その時の吟行句を俳句手帳から探し読んでみたが、予想通り酷い句である。点取り俳句に悩んでいた時期で、句も当時の心境を表しているように思う。その後、結社を辞してから、芭蕉が点取俳諧を終生嫌悪していたことを知った。俳句も同様で点数に拘ったら終りであると思う。当時その結社は点取り、それも主宰選が絶対的な権威を持っていた。他の結社の状況は知らなかったので、俳句とはこんなものと思っていた。しかし、今から見れば、やはり閉鎖された社会であったように思う。たまたま深大寺と言うことで、昔のことを思い出したが、今改めて思うことは、「俳句は点数ではない」ということである。
  句会後、先生のブログを拝見していたら、早速、深大寺吟行の事が掲載されていた。短文なのでオフライン会員の方のために、以下に紹介したい。

蕎麦掻きと蕎麦湯◆深大寺の落花に遊ぶ
 我のみの柴折りくべるそば湯かな  蕪村(句集)
 江戸店や初蕎麦がきに袴客     一茶(八番日記)
 十二日(土)の白山句会は、Kさん、Mさんのお世話で深大寺と神代植物園を歩いた。終わって蕎麦屋「門前」(深大寺元町)で会食。芭蕉会議編集長の所望で、予定外の蕎麦掻きがふるまわれた。飲みものである蕎麦湯にくらべて、食べものの蕎麦掻きは贅沢なもの。そんな違いを理解するために蕪村と一茶の句をあげてみた。蕪村句には彼の好んだ閑居の味が出ており、一茶句には大都会で目撃したであろう晴れがましい人事がよく表現されているように思う。なお、ボクらの蕎麦湯はお店のすすめで焼酎を割って楽しんだ。蕎麦湯・蕎麦掻きともに冬季の横題(俳諧題)。

 江戸時代の庶民に、蕎麦掻きと蕎麦湯が、かくも違うものとして扱われていたとは全く知らなかった。食べものである蕎麦掻きは贅沢品として扱われたのだ。そう言われてみれば蕎麦湯はたしかに蕎麦を茹でた後のただの湯である。
 しかし俳句は凄い!そういうことが時代考証の証しとして、今に残しているのだ。待てよ、そうすると、先生が蕎麦湯で、我々が蕎麦掻き・・・と言うことになる。そうか、江戸時代であれば、とても蕎麦掻きなど贅沢品を追加注文は出来なかったのだ!
 文中、「芭蕉会議編集長」というのは、どうやら筆者(正確には「編集長代理」)のようであるが、内実を話すと蕎麦屋「門前」に入る直前、さる人から「池波正太郎の本に、蕎麦掻きで一杯やる場面があって前から憧れていた、今日は是非これをやりたい」と持ちかけられていたのである。
 先生には申し訳なかったが、あのように美味しい蕎麦掻きは、今まで食べた事がない。
<おわり>

☆ 参加者 ☆ <順不同・敬称略>
谷地海紅・尾崎喜美子・根本梨花・椎名美知子・小出山茶花・水野ムーミン・中村こま女・谷美雪・米田かずみ・三木つゆ草・谷地元瑛子・平塚ふみ子・眞杉窓花・鈴木松江・荒井奈津美・天野喜代子・宇田川うらら・伊藤無迅 (以上18名>
<欠席投句者> 
礒部和子・西野由美・むらさき・莉由・植田ひぐらし・安居酢豚・青柳光江・丹野宏美・園田靖子 <9名>

<海紅選・互選のまとめは宇田川うらら、他は伊藤無迅・記>



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