白山句会 白山句会報第12号
日時 平成25年6月8日(土)
吟行 千葉県市川市、真間界隈
句会場 喫茶室 「つぎはし」
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☆ 谷地海紅選 ☆
白秋の身を寄せし寺濃紫陽花 |
美知子 |
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木洩れ陽の十薬の場所教へけり |
うらら |
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万葉の道を歩けば濃紫陽花 |
ちちろ |
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仲間増え捨てられさうな青蛙 |
松江 |
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青竹のかけひの水の薄暑かな |
こま女 |
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青田風寺あり三つ句碑のあり |
月子 |
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弘法寺の高き階段夏帽子 |
喜美子 |
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サイダーの自販機のあり真間の寺 |
由美 |
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句碑の仮名読めぬは木下闇のせい |
美知子 |
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一茶句碑囲めば和む夏句会 |
つゆ草 |
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十薬の香も悪からず古希となる |
ちちろ |
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釣鐘を守るや十薬咲くところ |
こま女 |
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吟行の朝の目覚やほととぎす |
梨花 |
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花南天真間の小路の小間物屋 |
無迅 |
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寺大樹薄暑をふつと忘れをり |
由美 |
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真名寺や漸々修学の一日佳し |
瑛子 |
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商店街抜ければ崖の緑さす |
ちちろ |
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椎若葉薄荷(はっか)のやうな風を生み |
梨花 |
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真間の寺天蓋のごと楠若葉 |
ムーミン |
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☆ 根本梨花選 ☆
黒南風や乙女の影を連れ去つて |
窓花 |
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天上扇くるくるくるくる句座涼し |
海紅 |
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いつしかに真間の継橋夏帽子 |
憲 |
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梅雨晴れの今日の出合ひや手児奈堂 |
馨子 |
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夏風や万葉の歌なでゆきし |
うらら |
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一茶句碑囲めば和む夏句会 |
つゆ草 |
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真間の寺天蓋のごと楠若葉 |
ムーミン |
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花南天真間の小路の小間物屋 |
無迅 |
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緑なる法衣なびかせ伏姫桜 |
喜美子 |
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弘法寺の高き階段夏帽子 |
喜美子 |
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☆ 伊藤無迅選 ☆
天上扇くるくるくるくる句座涼し |
海紅 |
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万葉の道を歩けば濃紫陽花 |
ちちろ |
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ハート絵馬手児奈霊堂青葉ゆれ |
山茶花 |
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青竹のかけひの水の薄暑かな |
こま女 |
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石段を登れば遥か夏の海 |
ひぐらし |
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真間の井の苔の滴り風通る |
光江 |
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つつましき蓮花咲ゐし手児奈堂 |
山茶花 |
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十薬の香も悪からず古希となる |
ちちろ |
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守宮すむ蔦のからまるジャズの街 |
光江 |
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商店街抜ければ崖(まま)の緑さす |
ちちろ |
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花菖蒲道問ふ奥は刃物店 |
月子 |
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☆ 互選結果 ☆
8 |
真間の井の苔の滴り風通る |
光江 |
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6 |
青竹のかけひの水の薄暑かな |
こま女 |
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6 |
椎若葉薄荷(はっか)のやうな風を生み |
梨花 |
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4 |
この辺昔入江か花菖蒲 |
ひぐらし |
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4 |
万葉仮名指でなぞれば青葉風 |
つゆ草 |
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4 |
こんこんと冥き清水や蜥蜴来る |
由美 |
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4 |
真間の寺天蓋のごと楠若葉 |
ムーミン |
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3 |
弘法寺の紫陽花静かに雨を待つ |
馨子 |
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3 |
山門の見ゆるを行かな磴青葉 |
憲 |
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3 |
常なき世手児奈今もぞ未草 |
憲 |
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3 |
花南天真間の小路の小間物屋 |
無迅 |
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3 |
夏風や万葉の歌なでゆきし |
うらら |
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3 |
十薬の香も悪からず古希となる |
ちちろ |
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3 |
万葉の寺を遠目に涙石 |
光江 |
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3 |
黒南風や乙女の影を連れ去って |
窓花 |
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2 |
万緑が上総の寺を覆ひけり |
ムーミン |
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2 |
あかあかと夾竹桃や白き雲 |
松江 |
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2 |
緑なる法衣なびかせ伏姫桜 |
喜美子 |
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2 |
真間の井の寺内に我と蟻の黙 |
無迅 |
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2 |
風涼し石段高き古刹かな |
馨子 |
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2 |
弘法寺の紫陽花青に極まりぬ |
喜美子 |
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2 |
弘法寺の高き階段夏帽子 |
喜美子 |
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2 |
梅雨晴間真間のつぎ橋三歩半 |
無迅 |
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2 |
一茶句碑囲めば和む夏句会 |
つゆ草 |
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2 |
珊瑚樹の花のもとにて蝶契る |
むらさき |
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2 |
木漏れ陽の十薬の居場所教へけり |
うらら |
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2 |
天井扇くるくるくるくる句座涼し |
海紅 |
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2 |
万葉の道を歩けば濃紫陽花 |
ちちろ |
|
2 |
石段を登れば遥か夏の海 |
ひぐらし |
|
2 |
青田風寺あり三つ句碑のあり |
月子 |
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1 |
梅雨の蝶一茶句碑の在り所 |
通済 |
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1 |
商店街抜ければ崖(まま)の緑さす |
ちちろ |
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1 |
弘法寺(ぐほうじ)の青葉老眼宥めけり |
つゆ草 |
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1 |
花菖蒲道問ふ奥は刃物店 |
月子 |
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1 |
手回せば手児奈詠ふや夏木立 |
ひぐらし |
|
1 |
守宮すむ蔦のからまるジャズの街 |
光江 |
|
1 |
梅雨晴れの今日の出合ひや手児奈堂 |
馨子 |
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1 |
店の名もつぎはしといふ句座涼し |
海紅 |
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1 |
句碑の仮名読めぬは木下闇のせい |
美知子 |
|
1 |
つつましく蓮花咲きし手児奈堂 |
山茶花 |
|
1 |
石段に日の毀れゐし青葉闇 |
ふみ子 |
|
1 |
ハート絵馬手児奈霊堂青葉ゆれ |
山茶花 |
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1 |
仲間増え捨てられそうな青蛙 |
松江 |
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1 |
句友あり継橋といふ万緑に |
梨花 |
|
1 |
いつしかに真間の継橋夏帽子 |
憲 |
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<伊藤無迅 記>
☆ 合評 ☆
別掲した尾崎さんの吟行記にあるように、句会進行の不手際もあり充分なる合評の時間がなく、先生の句評・総評の時間が十分に取れませんでした。そのようなことからか、後日先生がネットの芭蕉会議「掲示板」に句評・総評に相当すると思われる内容を書き込まれていました。「俳句を詠む前の心構え」とも言える重要な内容と思われますので、ここに再掲いたします。<伊藤無迅>
―――― 以下、掲示板から抜粋(一部編集)して転載 ――――
◇ 一茶句碑囲めば和む夏句会 つゆ草
差し支えがあるといけませんので、近代俳句については言及しません。ただ芭蕉の心に沿えば、句会の最大の目的はこの「和む」です。一ヶ月ぶり、二ヶ月ぶりの再会を喜び合い、心地よい時間を共有する、親和するのが句作の結果より大切です。その意味でまことにありがたい一日を設定して下さった椎名さん、尾崎さんに厚くお礼申し上げます。
この句は中七「囲みて和む」で詩になっています。ただし「夏句会」という言葉は締まりがない。「一茶句碑」で俳句の世界は描かれましたので、「夏句会」という人事は捨てて、夏木立・若葉風・街薄暑などの植物や時候を添えると更に感性的で余韻のある世界が生まれます。失礼ながら、つゆ草さん以外の方の参考にもなるかと思い、ここに書かせていただきました。
◇ 真間の寺天蓋のごと楠若葉 ムーミン
この句は「天蓋」という言葉が強すぎる気がして初めは海紅選には入れず、披講を聞いていてきわめて名句であることを実感、追加させてもらった句です。強すぎると思った「天蓋」が最後には最大の魅力となりました。名句とはこのように人を迷わせるものだと改めて思いました。丈(品位)の高いこと、この上ないと判断します。
真間の井は手児奈(古代伝説の主人公)という美しい女性が真水を汲んだと伝える井戸。このあたりの昔は入江で、真水を汲める井戸は少なかったにちがいない。その貴重な井戸が物語を生んだ。「真間」は宛て字で、正しくは「崖」のことだと思います。昨日、ちちろさんが「崖」に「ママ」とルビを振って、広辞苑に立項されていることを教えてくれました。そのときにひらめきました。この入江ばかりの湿地帯では、真間(崖)は入江をつなぐ貴重な名称であったと思います。
<伊藤無迅・記>
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☆ 参加者 ☆ <順不同・敬称略>
谷地海紅・根本梨花・三木つゆ草・大江月子・椎名美知子・小出山茶花・
水野ムーミン・中村こま女・菅原通済・宇田川(良子改め)うらら・平塚ふみ子・
谷地元瑛子・西野由美・真杉窓花・青柳光江・佐藤馨子・鈴木松江・千葉ちちろ・
尾崎喜美子・伊藤無迅
<欠席投句者> 植田ひぐらし・柴田憲・むらさき |
<伊藤無迅・記>
【市川市・真間界隈吟行記】
4月頃から「千葉で句会をやりたい」みたいなことを椎名さんが言ってきた。昨年4月から持ち回りで句会の幹事をやるようになったが、椎名さんは自分も幹事を引き受けなくてはいけないと思っていたに違いない。
尾崎と一緒なら、とのことだったので、あれやこれや考えてみた。
市川・松戸周辺で皆さんを案内したい所は結構あるが、二人の居住区には名所がない。
他の市町村となると、公共の集会場は借りられない。大概そこに住んでいるか、勤務場所があることが条件となっているからである。
「万葉の道」を歩いてきたが、どうかと打診があった。が、案の定句会の場所がみつからないのである。幾つか、当たってくれたのだが、どこも市川市に住んでいることが条件で、所によっては、参加者の半数以上が市川市民であること言う条件が付く厳しいものであった。私が日ごろ散歩にいっている施設の管理人によると「今年から特に厳しくなって、確認の電話が行くので名前を借りるのも難しくなった」と。そこは、余り使われたことのない集会場が有って「空いているのに」と言いたいところであるが、税金を払ってない人には貸せないのも無理はないか。しかし、なんと椎名さんは友達と食事をした喫茶店と交渉をして、食事とお茶を条件に午後の4時間を貸し切りにしてもらってしまったのである。それが、今回の句会場真間の継橋のほとりにある喫茶店「つぎはし」であった。まさに、「つぎはしさんもとんだことを引き受けてしまいましたネ」という顛末である。勿論、私達は美味しいコヒーを頂いて、大満足ではあったが。そして「芭蕉会議」用の案内もさっさと出来ていた。
次に、日時であるが、6月の8日(土)・9日(日)か月末のどちらかなら海紅先生の都合が良いとのこと。月末では梅雨真っ盛り、雨を覚悟しなくてはならないと思っていたら、幸い、8日(土)に決まったので梅雨の初めは本格的雨にはならないと、ホッとしたのも束の間、今年は梅雨入りが平年より10日も早まってしまった。丁度紫陽花の時季で、紫陽花には雨が良く似合うとはいえ、歩くには、足元が濡れるのは厳しい。ところが、この日は梅雨晴れ間?と言うより梅雨に入ってから、この辺りは一向に雨が降らない。畑はパサンパサンで種まきが出来ず近所の農家は困り果ていたのである。次の句が、状況を良く表わしている。
弘法寺の紫陽花静かに雨を待つ 馨子
私たちにとっては、さほど暑くもなく文学ゆかりの地をそぞろあるくには、丁度良い天気となった。JR市川駅北口を出ると間もなく弘法寺の参道、大門通りに入る。石畳の両側にレトロな昔懐かしい商店がつづく。
花南天真間の小路の小間物屋 無迅
とここまで、何時もの吟行記のつもりで、皆様の忘備録にでもなればと思いながら書き進めて来た。そして、本人も「大袈裟にしないで」とおっしゃっていたので、書かないつもりであった。が、10日(月)の「芭蕉会議掲示板」を覗いて仰天した。な・何んと、
肩の付け根が骨折していました。腕を動かせないことは骨折のせいでした。つくまではアームスリングで腕を肩からつって動かさない。骨がついたらリハビリをするそうで頑張ります。本当のこというとまだ信じられません、実感がわきません。
心配してくださいまして有り難うございました。
とあるではないか。山茶花さんの書き込みである。9日(日)の朝、山茶花さんに電話をしたら「だいぶ、楽になったが、明日整形外科に行ってみる」というので、すっかり安心していたのに、まさかのまさかである。
実は、大門通りに入って間もなく椎名さんの携帯に「市川駅のトイレで転んで、今駅務室で休んでいるので、誰か来てほしい」と山茶花さんから連絡があった。私は、近くにいた眞杉さんに声を掛けて走った。何があるか分からないので、複数、若い人が良いと咄嗟に判断をした。市川駅について駅務室に向かうと、若い女の駅員さんが丁度部屋から出てきて救護室に案内してくれた。余り、広くはない部屋のベットに、山茶花さんは腰かけていた。「トイレの階段の所で転んで左の腕を打った。」と言う。出血や腕が腫れている様子もなく、大丈夫そうなので駅員さんにお礼を言って、運賃の清算を済ませ、皆に合流することにした。眞杉さんになるべく刺戟の少ない湿布を買ってきてもらうことにして、私は山茶花さんの腕を取って歩きながら話し始めた。「階段で転んで、そうしたら、みんな親切なの、手を貸して起してくれたり、大勢の人が声を掛けてくれて、中には救急車を呼ばなくちゃとか」、「大勢の人がいるはずだから、直ぐ分かるから見てきて欲しいと言ったのだが、いないというの」・・・。
この日、山茶花さんと月子さんは直接句会場へ行くことになっていて、時間になったし、メンバーも揃ったので私たち一行は既に出発していた。一足違いであったのだ。
話ながら、ゆっくり、ゆっくりと歩く。私が、手を取っていたのは、痛いはずの左手。山茶花さんは痛がる事もなかったので、少し安心をしたのだが、結果は、最悪であったのだ。薬を買った眞杉さんが信号の所で追いついたので、すぐに湿布を1枚貼った。
「冷たくて、イイ気持ち」と山茶花さん。あとは、民家の壁に市川の書家による万葉の歌のパネルが掛けられている「万葉の道」をパネルや花を見ながら歩いて行った。石畳は、うっかりすると躓く。その上、この通りは自転車が多くて怖い。眞杉さんには皆と合流してもらい、私と山茶花さんは喫茶店「つぎはし」に荷物を預けて手児奈堂へと向かった。
入江の名残か、池には白い睡蓮の花が咲き、亀がのんびり甲羅干しをしていた。遠出は出来ないので、かつて北原白秋も寄宿した亀井院(真間の井)を見て句会場に戻った。
もう、そこにはほとんどの参加者が戻っていて、食事を取りながら句を作っていた。
須和田公園・郭沫若記念館まで足を伸ばした人は何人もいなかった。
弘法寺近辺は初めてという方が多かったが、また来ることはないのではと思うと、少し残念だが、弘法寺の境内を抜けて墓地添いに降りれば、すぐ芳澤ガーデンギャラリーがある。落ち着いた小さな庭があり下見の時は絵画展示していた。この日はピアノコンサートが行われていたようだ。そこから、五分程度で須和田公園に着く。須和田公園は弥生時代後期の遺跡を整備して公園としたもので、春は桜が見事で花見の名所となっている。6月の初めは、小さいながら薔薇園が見頃のはずである。
郭沫若記念館は文学者・歴史学者・政治家として活躍した郭沫若が約10年間亡命生活を送った真間川のほとりの旧宅を移築したもので、前庭は芝桜が美しい。
本当は4月に皆さんをお連れしたかった。弘法寺の境内にあった伏姫桜は推定樹齢400年のしだれ桜で、これは是非お見せしたい。4月、染井吉野の咲き始める頃に満開になる。毎年見に行くが、毎年違う。桜は難しいのだが、今度行く時には皆さまにお声掛けしますネ。
下見に行った時には気がつかなかったのだが「つぎはし」のマスターが神作光一先生の歌碑を教えてくれたので数人で向かった。三宅相舟先生の揮毫になる、その碑は弘法寺の階段下、左手の坂を登り切った弘法寺茶室遍覧亭跡に立っていた。平成25年4月に建立されたばかりである。
古木なるしだれ桜を仰がんとひたすら登る御寺への道 神作光一
神作先生は市川市とゆかりが深く、弘法寺からそう遠くない「じゅん菜池緑地」にも歌碑がある。お気付きの方もいたと思うが、弘法寺の奥に古墳があった。この辺りは万葉時代の伝承が今に伝わるのを見ても分かる通り、古代から人が住んでいた。縄文時代の貝塚は約60発見されていて、全国有数の貝塚密集地である。弘法寺から少し足を伸ばせば、里見公園、『野菊の墓』公園、矢切りの渡し方面に至る。下総中山には法華経寺・東山魁夷記念館がある。市川は見どころ満載なのである。
さて、今回市川に来ていただいたが、反省点が幾つかあった。集合場所のJR市川駅の改札口は北口ではなかった。中央口だったのだ。思いこみとは恐ろしいもので、北口は確かにあったが、中央改札口を出て右手方面への出口が、北口であった。「北口改札口が無かったので探した」と言う方がいたのは、ごもっともなことである。幹事2人は思わずうつむいてしまった。
それと、時間。無迅さんに句会の進行をお願いしたのだが、時間の打ち合わせをしていなかったのである。選句、披講、合評となって議論沸騰、折角盛り上がってきたのに、ふと気がつくと、閉店の時間に近い。このままでは、お店の方に迷惑をかけてしまう。仕方がないので、合評は懇親会の席でということにしてもらったが、結局中途半端になってしまった。
マスターの勧めで、継橋の投句箱に各自の俳句を入れて、懇親会場に向かった。結果発表は来年の4月、忘れた頃に福が来るかもしれない。お楽しみに。
懇親会会場は市川駅のすぐそば、もう目の前という時携帯が鳴った。「おい、どうなっているんだ。店から、何度も電話が入っているぞ」。家からである。店に携帯の番号を告げていなかったので、何回も電話が入ったらしい。4時半から5時の間に入ると予約していたので安心していたら、店では4時半から準備万端整えていたのである。30分遅刻という事で、3時間が2時間45分の飲み放題・食べ放題となった。この食べ放題なのであるが、コース料理が終ったところからの注文となり、注文品が残ったら買い取り制で、別料金を払わなくてはならない、飲み放題の方も定額には生ビールが入ってない。結局プレミアムをつけた。プレミアムは飲まない人の分もつけなくてはいけないのだ。歩いた後だもの、生ビールでなくちゃ。良くこの値段でやっていけるなと思っていたが、やっぱり。でも今回飲み放題に八海山が付いていたから、まあ、いいか。偶然かどうか、終わって店を出た時、エレベーターの前で若い店長さんがにこやかに見送ってくれた。
最初、参加申し込みの出足が鈍く、やきもきしたが結局20人の参加。皆さんそれぞれに楽しんでいただき、日頃の憂さは外において、明日からの活力にしていただいたようで、幹事冥利に尽きる。私も、句会には何が何でも、参加しなくてはの組である。皆さまにお会い出来るのも楽しみの一つなのである。何時までもそんな会であって欲しいと願う。
皆さま、本当に有難うございました。
そして、次の句会にも、お元気な山茶花さんにお目に掛かりたい。
<尾崎喜美子・記> |