白山句会 大宮盆栽村吟行報告
日時 平成25年2月24日(日)
吟行 盆栽村(さいたま市北区)
句会場 盆栽四季の家
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☆ 谷地海紅選 ☆
月影てふ盆梅ありき名のごとき |
つゆ草 |
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春待ちの盆栽北向き南向き |
月子 |
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春疾風筆走るごと松うねり |
馨子 |
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春浅き盆栽村は風強し |
喜美子 |
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庭先に馬のにほひと紅き梅 |
由美 |
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春疾風銘青龍の五葉松 |
無迅 |
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盆梅に矮鶏の寄りそふ日和かな |
希望 |
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白梅の鉢えらんでるお嬢さん |
由美 |
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一目惚れせし盆栽に春日差し |
つゆ草 |
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一村を盆栽にして冴返る |
ひぐらし |
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☆ 互選結果 ☆
6 |
一村を盆栽にして冴返る |
ひぐらし |
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6 |
慎ましくけふの日を咲く梅の花 |
良子 |
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5 |
盆梅の大地を掴む根張りかな |
ひぐらし |
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5 |
春疾風銘青龍の五葉松 |
無迅 |
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4 |
白梅の花二つ乗せ枝走る |
海紅 |
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4 |
春待ちの盆栽北向き南向き |
月子 |
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4 |
シャリといふ盆栽の枯冴返る |
無迅 |
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4 |
盆梅の咲きみち一花だに散らず |
希望 |
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4 |
艶やかに紅筆といふ梅のあり |
馨子 |
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4 |
梅蕾む盆栽町は塀高し |
海紅 |
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4 |
広重の「盆栽売り」や江戸の春 |
馨子 |
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4 |
盆栽の漲(みなぎ)るうねり寒戻る |
無迅 |
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3 |
盆梅に矮鶏の寄りそふ日和かな |
希望 |
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3 |
盆栽の無口決めこむ春疾風 |
良子 |
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3 |
梅の香や小さき鉢の大宇宙 |
喜美子 |
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3 |
盆栽の庭は仙境風光る |
希望 |
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3 |
盆梅の幹に生命の滾(たぎ)りかな |
ひぐらし |
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2 |
春嵐昨日のことと言える日を |
美知子 |
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2 |
春浅し盆栽園の松ゆたか |
富子改め、山茶花 |
2 |
身を捩り枝先伸ばし梅真白 |
美智子 |
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2 |
春疾風筆走るごと松うねり |
馨子 |
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2 |
ひな段の端でそと咲く沈丁花 |
泰輝 |
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2 |
補陀落に見立つ盆景戻り寒 |
美智子 |
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2 |
辛夷の芽天に向ひて日を掴む |
通済 |
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2 |
矯めたるをゆかしく咲きぬ鉢の梅 |
月子 |
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1 |
月影てふ盆梅ありき名のごとき |
つゆ草 |
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1 |
切る矯める愛の苛めの梅真白 |
文子 |
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1 |
寒風も何するものと根張りかな |
ムーミン |
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1 |
春浅き盆栽村の風強し |
喜美子 |
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1 |
東風うけて水面にゆれる五葉松 |
こま女 |
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1 |
オカメ梅ひょっとこ踊り鉢の中 |
美雪 |
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1 |
我が宇宙盆栽の桜ほどの春 |
美知子 |
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1 |
からみ合ふ幹に優しき春日差し |
つゆ草 |
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1 |
庭先に馬のにほひと紅き梅 |
由美 |
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1 |
浮世絵の盆栽売りの声うらら |
ムーミン |
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1 |
一目惚れせし盆栽に春日差し |
つゆ草 |
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1 |
盆栽となりたき野辺の冬木の芽 |
文子 |
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1 |
椿姫隠れ居るぞや白椿 |
美雪 |
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1 |
冴返る鉢の中にも蒲公英が |
こま女 |
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1 |
庭の風やはやはと吹け梅の香に |
ムーミン |
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<宇田川良子・記>
☆ 合評 ☆
披講後の合評で、句中の「 」(かぎカッコ)が話題にのぼった。先生のお話を要約すると、〈句読点やクエスチョンマーク同様に、近代になって誤読を避ける目的で、親切心から定められた表記法。ただし目上の人に対しては「親切」が失礼にあたることがあるから要注意。俳句は江戸の古式に遊ぶという側面があるから、付けなければ意味不明の場合を除いては不要。作者の判断に委ねてよいだろう。ただし無駄を省くという態度を忘れない方がよい〉。
<尾崎喜美子・記>
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☆ 参加者 ☆ <順不同・敬称略>
谷地海紅・米田かずみ・伊藤無迅・三木つゆ草・大江月子・宇田川良子・
小出山茶花・水野ムーミン・谷美雪・中村こま女・菅原通済・根本文子・
堀口希望・西野由美・植田ひぐらし・真杉泰輝・平岡佳子・椎名美知子・
合谷美智子・佐藤馨子・尾崎喜美子 |
< 尾崎喜美子・記 >
【大宮盆栽村吟行記】
この日、定刻前に土呂駅に着くと、ほとんどの方は既にいらっしゃっていて、そのうち何人かは、陽当たりの良い場所に避難をしていた。何しろ風が強く、そして寒い。
総勢19人が揃った所で、「大宮盆栽美術館」に向かう。途中風のため二手に分かれてしまい「どこへ行ってしまったのかしら」と心配している所へ、東門(裏門)からご一行が到着。一安心したのも束の間、希望さんを「土呂駅」に置いてきてしまったようだ。が、今は携帯が有り、こんな時は便利である。連絡がついて、無迅さんが迎えに行った。
「大宮盆栽美術館」は2010年に開館したばかりの新しい建物で、コレクションギャラリー・企画展示室などの瀟洒な建物と、それらに囲まれた盆栽庭園・盆栽広場からなる。入口を入るとロビーがあり「季節の一鉢」として紅筆という紅梅が飾られていた。その名のとおり蕾の先が筆の様に尖っている。咲いた花の形はどんなであろうか。
艶やかに紅筆といふ梅のあり 馨 子
ギャラリーにある寒桜は咲いていたが、庭園の花海棠はまだ蕾である。四季折々、展示物も異なるであろうし、同じ鉢でも違った趣を醸し出す。これを堪能するには何度も訪れるしかないのであろう。
部屋を真、行、草の格式に分けた「座敷飾り」コーナーも素晴らしい。健気に春の強風に耐えていた庭園の盆栽も、まさに芸術というにふさわしいものであった。銘のついている盆栽もあり、それらしい雰囲気を醸しているのには感心させられた。「双鶴」は、確かに二羽の鶴が寄添うようである。
春疾風銘青龍の五葉松 無 迅
月影てふ盆梅ありき名のごとき つゆ草
企画展示室では浮世絵に描かれた盆栽や、盆栽の歴史に関する資料が紹介されていて、私達には懐かしい巣鴨、谷中、下谷、駒込等の地名が見える。
盆栽は貴族や大名にも珍重されたようだが、それをお世話する役はさぞ大変だったのではないかと思う。相手は何しろ生きている。もし、枯らしてしまうようなことがあれば、自分の命だって保障の限りではない。つい最近、管理を依託された業者が盆栽を枯らしてしまい訴訟になったというニュースがあったばかりである。
かずみさんの句会案内によれば
大宮盆栽村は、関東大震災後、東京駒込の植木職人が盆栽栽培に適した広い土地を求め都下駒込・巣鴨から移住、拓いた場所で、戦後は、欧米諸国にも注目され、今でも年間五千人以上の外国人観光客が訪れる。盆栽職人の住む家々の佇まいは、早くから周囲に気を配る地域協定が行き届き閑静そのものである。盆栽村を歩くと、ほぼ中央に句会場の「盆栽四季の家」がある。
と、紹介されている。
盆栽村はJR「土呂」駅・東武野田線「大宮公園」駅周辺の一帯を指す。一般に開放された盆栽園が点在し、庭の入れの行き届いた民家も気持ちが良い。
一村を盆栽にして冴返る ひぐらし
「蔓青園」で倒れかかった盆栽を見つけ知らせると、レインコートを着て水遣りをしていた職人さんが振り向いた。それは、青い目の外国の方であった。句会場の「盆栽四季の家」を確認して、それぞれ盆栽村の探索に出掛ける。シーズンともなれば、多くの人で賑わうのであろうが、さすがにこの季節、行き遇う人も少ない。
句会場の裏にNHK「趣味の園芸」に出演中の山田香織さんが経営している「清香園(せいこうえん)」があり、四、五人が盆栽体験をしていた。建物の前では、職人見習いらしき人が盆栽の雑草をピンセットで抜いていた。ピンセットは目から鱗、ひとつの発見であった。かえで通りを行くと、明治から昭和にかけて活躍した漫画家・北沢楽天の使った道具などを展示した[漫画会館]があった。楽天は日本で最初にカラー漫画を作成した人であると言うことである、知らなかった。それより吃驚(びつくり)させられたのは、何処にも係の人がいないことで、勝手に入り一巡りして又、勝手に出た。しかし、裏庭には気づかず、お散歩マップに載っていた金色のコイを見逃してしまった。残念!!
少し先へ行くと「○○会社」と表示があるが、一見しもたや風の家の庭先に見事な紅梅が咲き誇り、陽だまりには、な、なんとポニーがいたのである。去り難く、しばらく眺めていたが、動く気配もないので句会場に戻ることにした。
「盆栽四季の家」は、18世紀初めに建てられた東角井光臣家の居宅の一部を移築、模写復元したもので、昭和59年(1984年)12月20日に開設されたとある、約30年経っていることになる。なお東角井家は大宮氷川神社の宮司の家柄である。
入口を入ると「たたき」があり、囲炉裏の切られている板の間があるが、火がない。皆が盆栽村の散策から戻り、それぞれ持参したお弁当を広げるが、とにかく寒い。せめて、入口の戸を閉めて風を防ごうとしたら、管理人からクレームがついた。皆、吹き晒しの中で黙々と食べる。京都府綾部から遠来の平岡さんが「京都も寒いけれど、こんなに風の強いことはありまへん」と驚いていたが、いかに関東名物の空っ風とは言え、こんな日も珍しい。
句会場である座敷に入れる時間となり、机を並べて句会の準備が終わり、ストーブが運び込まれると、やっと人心地がついた。かずみさんが用意してくれた熱いお茶が何よりのご馳走で、また添えてくれた加賀名物の栗蒸し羊羹もとてもおいしかった。
今回、かずみさん、無迅さんに下見から懇親会の予約など、何から何までお世話になった。その上、かずみさんは、お茶とお菓子を吟行の間中持って歩いてくれたことになる。
頭が下がる。感謝・感謝である。
句会にはインフルエンザに罹って回復途上、体調の万全でない海紅先生が、駆けつけて下さった。皆「大丈夫かしら」と心配しながらも、先生のいらっしゃらない句会では盛あがらない。矢張りうれしい。先生有難うございました。
かずみさんの言葉通り「春疾風の3字が何度も目に飛び込む句会席、砂塵が舞うほどの悪天候」であったが、参加した皆の心は充分満たされたように思う。決して忘れることのない吟行となった。句会を終えた私達は、懇親会場直行組と氷川神社参詣組とに分かれて行動することになった。
氷川神社は2400年以上前の第5代考昭天皇の時代に創建され、聖武天皇の時代に「武蔵の国一宮」と定められた日本でも有数の神社で、関東一円の信仰を集めている。「大いなる宮居」と称されたのが大宮の地名の由来となっている。
我々は、元神領であった大宮公園を横切って進む。広大な境内は約三万坪もあるという。その昔、母が良く「女学校で一緒だった東角井さんは学校から帰る時に大宮駅から他人の土地を踏まないで、家へ入った」と話していたのを懐かしく思い出す。
そういえば以前、一の鳥居から参道を歩いたことがあった。一の鳥居は中山道との分岐点になっており、埼玉副都心駅から五分位の所にある。一の鳥居から社殿までは、なんと二キロ近くあり、途中まで車道ではないのに車が通っている。車道では無い証拠に、参道に面した家は、道路認定が取れないので参道に対して背を向けて建っているのだ。公園の沼にはオナガガモが泳ぎ、裸の大木には夕暮れ時で、ねぐらに帰ってきたカラスが群がり騒いでいる。何か所もそんな木が有り遠くで聞くその声は「列車の音?」と紛うばかりである。梅園の紅梅が優しい香りを放っている。
思ったより時間が掛かり、少々後悔し始めた頃いきなり目の前に朱の楼門が現れた。五時を回っていたので楼門は閉ざされ、本殿への参拝はかなわなかった。外から参拝を済ませ神橋を渡ると空には、まんまるお月さんがかかっていた。日暮れが遅くなったものである。周りはまだ薄明るく、月は白かった。我々は懇親会場へと足を速めた。
< 尾崎喜美子・記 > |