■201710_02 海紅 2017/10/18-13:12 No.[8457] |
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よからずや伊良湖の闇も秋風も | |||
茫るぺん
2017/10/20-11:04 No.[8458]
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このようなときって、ほんとうに ありますよね 。 芭蕉翁 の 作品 でしょうか 。 もし、翁 の お傍にいたら ──── 「 急がば 廻れ 。 ゆつくり ゆつくり 」と言って、さしあげるかも知れません 。 それから、次のようなことを お訊ねし、ご自分から少し離れて 「 発想 の 転換 」を なさるように、お奨めするかもしれません 。 「 もし、大切な方が、このような情況にあったら、どんな アドヴァイス を、なさいますか? 」とか、言って 。 でも、こんな 浮世 談義 を ご覧になられたら、泉下の芭蕉さまは、きっと 目 をパチクリ なさるでしょうね。 | |||
美知子 2017/10/22-11:44 No.[8459] | |||
伊良湖の闇も秋風もすてきでしょうね。 思わず旅情をそそられました。柳田国男が旅の途上、伊良湖岬で見た、砂浜に打ち寄せられた椰子の実のことを、友人の島崎藤村に話し、有名な抒情詩「椰子の実」がうまれたのですね。 私は行きたいと思いながら、まだ叶わずにおります。 作者が伊良湖を訪れた季節は秋ではなかったのでしょう。その時の伊良湖あるいは伊良湖岬を思いだしながら、秋の今、あの景色を包み込む闇も、吹き抜ける秋風もいいだろうなあと思い出していらっしゃるのだろうと。 「よからずや」で反語の反語で、「や」も強い意味ではなく、いいだろうなあと静かに思い起こしておられると思いました。 伊良湖は愛知県の太平洋側に細く突き出た渥美半島の先端。行きたいけど車でないと無理ですね。 私は「よからずや・・・・」と、まだ見ぬ伊良湖岬を思い描いています。 「よからずや」の解釈、間違っていましたらご指導くださいませ。 | |||
k 2017/10/22-13:06 No.[8460] | |||
「よからずや」は「良いではないか」と解釈しました。 ゆったりとした呼びかけに、江戸期の句のような印象を受けました。 ただ、伊良湖の「闇」となさったところがとても現代的です。昔なら、闇が当たり前なので「よからずや」とは言わないと思います。むしろ、「月」や「海」を詠まれたでしょう。 「伊良湖の闇」は真の闇なのでしょう。沖の灯りもみえないのでしょう。身を置いてみたいです。 | |||
yumi 2017/10/22-20:33 No.[8461] | |||
今「笈の小文」を読んでいる私は、伊良湖、知ってる、知ってる 鷹一つ見付てうれしいらご崎 でしょう?とはしゃぎたい気分。 「先人の句に学ぶ」で酢豚さんがこの句を紹介してくださって以来、好きな句になりました。 芭蕉さんの句は、鷹を見つけたのですから、昼であり、冬ですが、いくつかの歌にも詠まれている伊良湖崎の、日没後の暗闇と秋風もまた良いではないかと言われてしまえば、私は行ったこともないのに、頷くほかありません。波の音も聞こえているのかな……。 弟子の杜国に会えた喜びを鷹に寓した芭蕉の気持ちが、まだ風にまぎれているような気がします。 | |||
美知子 2017/10/23-19:55 No.[8462] | |||
そうでした。 芭蕉に思いを馳せながらの先生の御句と読むのが自然ですね。不勉強を反省。 安居さんの「先人の句に学ぶ」欄で拝見したことを思い出しました。改めて安居さんにお礼申し上げます。 kさんの優しさに敬服。芒るぺんさん、yumiさんに 感謝!俳句の深さを共有できるこの欄に感謝です。 書き込みお待ちしております。 | |||
yumi 2017/10/26-16:04 No.[8463] | |||
美知子さんのおっしゃる通り、皆さんの書き込み読むと勉強になります。なんだかふっと分かったような気になりましたので、もう1回書きます。 よからずや伊良湖の闇も秋風も は、これだけで岬の情景を想像させる秀句だと思います。 さらに、鷹の名所としての伊良湖の伝統(歌枕)のことを考えると、それをふまえ、かつ、それとはずらした「闇」や「秋風」をもってきた上での「よからずや」ではないでしょうか。 「鷹」とか「うれし」といった陽から、「闇」、「秋風」といった陰に転換させたところをゆったりと味わいたいです。 | |||