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■202502_02 海紅 2025/02/17-16:32 No.[9302] |
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後ろ手の賢治に似たる麦を踏む | ![]() | |
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千年
2025/02/17-21:53 No.[9303]
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篤農家の面影がまず浮かびました。似たる、踏むの「ウ」音に地道な日常性を感じました。 | ![]() | |
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蛙星 2025/02/17-22:43 No.[9304] | ![]() | |
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僕にはどうしても「似たる」がわからなかったです。 もしかしたら体言に続く??とも思いました(例えば「似たる(男が)」 や、「似たる(姿で)」などの「男が」「姿で」の部分が隠れている)。 意味はわかるし、情景も浮かびます。もちろん先生の作ですから間違いないんでしょうが「似たる」から「麦を踏む」がシックリこない。「麦自体」が「後ろ手の賢治」に「似ている」ように感じてなりません。それが古文をちゃんと勉強してこなかった証拠かもしれませんが。 これは「批判」ではなく「疑問」なので「蛙星ったらバカだな」と笑っていただければ結構ですから。長々とすみませんでした。 | ![]() | |
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海紅山房 2025/02/18-11:02 No.[9305] | ![]() | |
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蛙星氏の〈「似たる(男が)」 や、「似たる(姿で)」などの「男が」「姿で」の部分が隠れている〉という指摘は作者の意図と一致しています。ネットで「宮沢賢治 画像」などと入力すれば、後ろ手の有名な写真が出てくるはず。 なお、切れ字については、芭蕉の「(切れ字を)入れずして切るる句あり(中略)切れ字に用ふるときは、四十八字みな切れ字なり」(去来抄)に従っています。拙句は「似たる」で切断されていますが、同時に下五と接続している。詩歌の切れとはそのようなものと学んできました。 | ![]() | |
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蛙星 2025/02/18-15:40 No.[9306] | ![]() | |
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なるほど!先生の御解説で納得です。 僕は「切れ字」のなんたるかを理解できていませんでした。今さらながら勉強不足を恥じる次第です。お騒がせ投稿、失礼致しました。 追記・これは勉強のチャンスと思い、古本ですが岩波文庫の去来抄(三冊子・旅寝論を含む)を注文しました。 | ![]() | |
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eiko yachimoto 2025/02/21-14:57 No.[9307] | ![]() | |
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海紅先生の佳句にうなります。 賢治からの引用を付句にだしては 「eikoさんは賢治好きだねえ」と言われたことを 思い出します。「僕はよくわからなくて」と おっしゃる湯浅先生に自分の信じる「宮沢賢治の 理想」という本をよんでいただいたりしました。 賢治は世界人でした。 | ![]() | |
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貴美 2025/02/22-23:37 No.[9308] | ![]() | |
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海紅先生 麦を踏む人は賢治のような姿なのか、もしかしたら 賢治その人なのか思いがけず幻想をいだきます。 本棚の天沢退二郎の宮沢賢治を開いて、俯き加減に後 ろ手にくむ賢治の写真や、好きな猫のスケッチを久し ぶりにみました。永訣の朝も。 この一句で、その俳句から飛びだしていっとき別の 時空に旅をしたようでした。 変な感想を失礼致しました。 | ![]() | |
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