■202411_01 海紅 2024/11/01-15:23 No.[9262] |
|||
昔ここに純喫茶あり冬ざるる | |||
辻 貞夫
2024/11/02-22:53 No.[9263]
| |||
肺浸潤で四年間の療養のあげく、やっと入った大学、友人もなく息の詰まるようなキャンパス。そこから這い出して 見つけたのが、古びた場末の喫茶店。そこで巡り逢ったのが、チャイコフスキーだった。スクラッチノイズ入りの『 悲愴]を聴きながら、にがいコーヒーを啜っていたーー。 40年も前の想い出。その店は、いつの間にか今は無い。 | |||
蛙星 2024/11/02-23:37 No.[9264] | |||
気の利いた鑑賞はできませんが、ご容赦を。 きっと作者(先生)のキャンパス近くの実景でしょうと推測します。「純喫茶」がいいですね。これが「小料理屋」とか、まして「フィリピンパブあり」なんて句では詩情に欠ける気がします。 その純喫茶もよく通われていたのでしょうか。しばらく足が遠のいた間にもうなくなっている…とても冬が似合う景ですね。 春や夏ではウキウキしますし、秋ではつき過ぎな気がしました。やはり「冬ざるる」でしょう。 以上、失礼致しました。 | |||
千年 2024/11/06-22:57 No.[9265] | |||
昔ここに純喫茶あり冬ざるる 帰路を照らしてくれる凍月 | |||
美知子 2024/11/08-17:09 No.[9266] | |||
先生のこの句、辻さんのようにそれぞれの思い出を引き出されているのではないでしょうか。 蛙星さんの感想、いつも読ませていただいています。 | |||
海紅山房 2024/11/10-15:31 No.[9267] | |||
美知子さんから、「読まれたお一人お一人が、自分の物語が掘り起こされたのではないでしょうか」という感想が届きました。まったく同感で、作者冥利に尽きます。作者の「純喫茶」がどこかなど、どうでもよいですね。辻貞夫さん、蛙星さん、そして千年さん、ありがとうございます。 下手な第三を付けてみました。お笑いください。 昔ここに純喫茶あり冬ざるる 海紅 帰路を照らしてくれる凍月 千年 上野発夜行列車の汽笛にて 海紅 | |||
海紅山房 2024/11/10-15:38 No.[9268] | |||
小さな喫茶店 椎名美知子 ゆっくりしていらっしゃい マスターは珈琲を置くと 店の隅で本を読んでいた この街に引っ越して 長い通勤時間がなくなり すぐに見つけた駅前のこの喫茶店 映画音楽「エデンの東」が低く流れていた 夕方の私の好きな時間 帰路を急ぐ人々の中 かすかな期待とときめき 窓辺の席で外をながめていた 久しぶりで訪れたこの街 喫茶店の名は「ラフィア」・・・ このあたりだった 閉ざされた数軒の店 閑散とした昼下がりの街 昔語りを邪魔するものはなにもない | |||
海紅山房 2024/11/10-15:48 No.[9269] | |||
上記の詩に添えられていた美知子さんの便りの一部を、彼女の了解を得て紹介します。 辻さんが御自分の人生を振り返り、蛙星さんがボクの境遇に寄り添ってくださり、千年さんが脇を付けてくださり、なんと美知子さんからは詩を頂戴しました。仕合せをかみしめています。 美知子さんのお便りの一部とは以下の通りです。 ************************************ 私も懐かしくなり、詩を作りました。いい時代でした。下手な詩ですが、お読みいただけましたら幸いです。 先生の句から思い出を掘り起こされることが多く、その叙情を楽しませていただいております。 先生のおっしゃるように詩の世界を持っていることは、自分の居場所があっていいなあと思っています。 | |||
つゆ草 2024/11/10-17:06 No.[9270] | |||
椎名さんの詩素敵ですね。ちょっと前、椎名さんから高田馬場の「うつわ」という古い喫茶店を知らないかとお電話を頂き私の住んでいた街ながら知りませんでしたが、どうも思い出の喫茶店という事でした。私の住む自由が丘にも珈琲カップをお選べる喫茶店があり気に入って通っていたのですが、いつの間にか無くなってしまいました。古い喫茶店にはドラマがありますね。皆様の想いがしみじみと感じる先生の名句だと思いました。 | |||
美知子 2024/11/10-23:00 No.[9271] | |||
ありがとうございます。 先生のこの句に出会わなかったら、きちんと振り返ることも、書き留めることもなかった、切なさも伴った懐かしい 日々。心に響く句、共感できる句で出会えて嬉しいです。 | |||
貴美 2024/11/12-00:56 No.[9272] | |||
先生の名句にいざなわれて、皆さんの綴る感想や思い出、素敵な詩も生まれて..これは大きな連句の世界ではないかしらと、仕合せをかみしめているという先生の言葉をよみながら何故か私まで良い気分です。 名句とはこういうものでしょうか。 受け取った一人一人に違った思いを喚起させ、それなのにどこか繋がっているものがある。 思い出を私も少し書いてみたいです。 純喫茶といえば育った街の駅の近くに「上高地」という名の店があったことを思い出します。中学生の私にはちょっと大人の世界という感じでした。入ってみたいなと内心思ったものです。 少し大きくなってからはクラシック曲が大音響の中野の純喫茶、銀座のガード近くや浅草にも。どの店も、木製の手すりと赤いビロードの椅子があり、ステンドグラスも何故か多かった。コーヒーカップも柄入りの洋風で。タバコ臭いジャズが流れる新宿の店もありました。店たちは時の中で、多くは姿を変え消えてゆきました。 今様のお洒落なカフェも楽しみますが、あの古臭い純喫茶も愛する時間をくれたのだったと気づかされます。 純喫茶に「冬ざるる」を詠んだ先生、素晴らしい句を有難うございました。 | |||