■202408_01 海紅 2024/08/01-13:39 No.[9228] |
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今日よりは秋の扇と思ひ手に | |||
蛙星
2024/08/04-00:21 No.[9229]
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この句に解説はいらないでしょう。 句意は読んだまま「暑い日が続いてるが、気がつけば今日からは秋の扇なんだなぁ…と思いながら手に取った」といった感じでしょうか。 この句を僕(青二才)が詠んでも実感がないからダメです。先生(いぶし銀)が詠んでこそ、サマになる一句ではないでしょうか。どことなく人生の哀愁も感じる、いい句だと思います。 | |||
千年 2024/08/08-22:00 No.[9230] | |||
遺品というでもなく扇が多く残されている。 その涼しさの有難さの句。 | |||
海紅山房 2024/08/14-21:43 No.[9231] | |||
「春は名のみの春の寒さや」(早春賦)というように、四季の変わり目の気配は微妙に前の季節を引きずって始まります。つまり、立秋はちっとも秋らしくないのです。 でも古人は「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは。雨にむかひて月を恋ひ、たれこめて春のゆくへ知らぬも、なほあはれに情けふかし。咲きぬべきほどの梢(こずゑ)、散りしをれたる庭などこそ、見どころ多けれ」(徒然草137)と書いて、桜の満開や満月にしか関心のない人を無風流と軽蔑しています。ボクはこの兼好の美学が〈自分を清めてくれる〉と信じて毎日を送っています。「秋の扇」の句はそんな思いの産物でした。 千年さんの書き込みには、御自分の境遇にひきつけた、連句人らしい脇句の呼吸が感じられました。なお、はからずもボクと二人三脚のごとく書き込んでくれる、このところの蛙星氏にも感謝します。 | |||