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 ■202407_02
 海紅   2024/07/17-13:31  No.[9222]
    病葉を睡蓮鉢が受けとめし

蛙星   2024/07/17-19:08  No.[9223]
 
    まず「鑑賞」と「解説」は似て非なるモノと思います。なので季語や文法の「解説」はすべきではない…と思いつつ、やはり今回もあっさりと解説から入ります。
季語の「病葉(わくらば)」…当初、読み方どころか季語だとも知りませんでした。不勉強を恥じます。ちなみに「睡蓮」も夏の季語ですが「睡蓮鉢」は季語ではないようです。
次に悩んだのが文末の「し」ですが、調べた結果、助動詞「き」の連体形だとわかりました。連体形止めは余情、余韻を表すので「受けとめたなぁ」「受けとめたことよ」といった感じでしょうか。
ここからやっと鑑賞です。一句全体に夏のギラギラ感が無く、とても哀れみに近い風流さを感じます。「睡蓮鉢」が僕は効果的でいいと思いました。芭蕉の代表句「古池や…」に近い、日常のひとコマをサッ!と切り取って写したような「侘び寂び」を感じずにはいられません。僕が「海紅句抄」の鑑賞を(勝手に)始めて一番の名句だと思いました。こういう句が詠めたら、辞世の句としても構わないくらいの秀句です。以上、長すぎる鑑賞、ありがとうございました。
 

千年   2024/07/19-20:10  No.[9224]
 
    そこに美しいものはないけど、その時の……
 

eiko yachimoto   2024/07/20-10:38  No.[9225]
 
    目的格助詞の「を」、主格助詞の「が」が堂々とつかわれていて
目を見張りました。「の」にしなくてもいいときもある!

 



 

貴美   2024/07/22-00:25  No.[9226]
 
    一瞬の見逃してしまいそうな景を詠み、それは同時に作者の心の内が反射された時だったのかと考えました。
明るくはないけれど閑さを感じます。

「…受けとめし」で余韻があるせいでしょうか、ただの情景に終わらない句に導いていると思いました。
日常の小さな一片一片に、凝縮された人生が詰まっているのだと。

 

海紅山房   2024/07/24-15:22  No.[9227]
 
    格助詞「の」と「が」は主に主語を構成したり、連体修飾語を構成したりする。

これは昔も今も同じで。つまり古典は「雨の降る」で、現代語は「雨が降る」であるという約束事はありません。ただし、蛙星氏の解説にあるように、「雨の」でなく「雨が」とした時は連体形で止めることが多い。そんな時代があったようです。

睡蓮鉢に〈病葉を受けとめる意志をシッカリと持たせる〉には「の」より「が」の方がよいかな。そんなふうに考えたのでした。

「日常の小さな一片一片に、凝縮された人生が詰まっている」(貴美)に気をよくして言えば、〈ボクは病葉より睡蓮鉢でありたい〉と思います。

病葉の句をあまり目にしませんが、紅葉(黄葉)のように美しく、好きな景色です。

いつもありがとうございます。
 



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