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 ■202405_02
 海紅   2024/05/16-17:00  No.[9198]
    ひなげしを五月生まれの我に買ふ

蛙星   2024/05/17-08:18  No.[9199]
 
    まず、疑問に思ったのが「ひなげし」と「五月」の季重なり?という点ですが、これはよく読めば「五月」は「生まれ」にかかっているので季語としては役割りを果たしてない(季語としては弱い)ので、その点は問題ないと解釈しました。
ただし!立場をわきまえずに初めて句の批判(?)をさせていただきますが、一句が「立板に水」のようにサラサラっと読めてしまい(うまく表現できなくてすみません)、この句が成立するのなら、例えば「盆梅を二月生まれの我に買ふ」でも一句として成立してしまうのでは?と思ったのは…僕だけでしょう。
先生や他の会員の皆さんからの「いやいや、蛙星の批判は間違いだ」とご教示いただけると幸いです。
 

citron   2024/05/19-08:55  No.[9200]
 
    里中さんのコメントが的確ですね。確かに何の月でも何の花でも、取り合わせれば一句として成立すると思います。この句は何でもない出来事を特別だと感じて切り取ったものではないでしょうか。
五月の花はカーネーションや花橘など、ひなげし以外にも様々です。「吾」ではなく「我」の表記が男性的な印象です。
したがってこの句は(男性と思われる)作者が「あえて自分のためにひなげしを買ったよ」と何気ない、それでいて普段とは異なる日常を詠み残そうとしたのではないでしょうか。長文失礼しました。
 

蛙星   2024/05/22-04:35  No.[9201]
 
    少し時間が空いたのでダメもとの逆説を。もしかしたら「我」とは「自分自身」ではなく「誰か(二人称)」を指す可能性もある気がしてきました(対称の人代名詞。おまえ、あなた、そなた等)。この説だと、例えばご主人が奥様へ何気なく花(ひなげし)を買ってきたよ…五月生まれだったからネ…なんて台詞も成立するのではないでしょうか?考えすぎだとは思いますが…。
 

山房の海紅   2024/05/23-11:29  No.[9202]
 
     この句の消費期限(今月末)が近くなりました。香りよきcitronさんの書き込みがあったことで、蛙星さんの「他の会員の皆さんから」という希望が叶ったと考えて、作者としてはこれにて降参し、凡作をお読みくださった御礼にかえて、詩論(私論)を述べます。
 桜(花)に「無常」という花言葉があるように、「ひなげし」にも「盆梅」にも象徴的な意味があります。意味がある以上、凡作「ひなげしを」や蛙星さんの例句「盆梅を」は共に俳句の資格を備えています。その資格は作者と関わりなく備わります。そう考えて、(衆議を楽しむ芭蕉会議では)凡作を恐れず句作を楽しんでください。
 「季重ね」や「一句が〈立板に水〉のようにサラサラっと読めてしまい」云々については、すでに文学史的な見解を表明していますので触れません(希望があれば機会を設けます)。
 なお、思うところあって、ボチボチですが「海紅山房日誌」も再開し、参考に供するよう心掛けています。
 いつも、ありがとうございます

 

蛙星   2024/05/23-14:52  No.[9203]
 
    先生、それにcitronさん、今回は特に勉強になりました。僕は性格なのか、どうも句を見るとパパッ!と句意を判断したがる悪い癖があり、後でその裏にある句の真意を知ってから「あぁ…」となる始末です。今回もcitronさんの「吾」と「我」の違いにうなされ、先生の「ひなげし」と「盆梅」の違いには、名の通り自分の凡才ぶりに気付かされました。これが落語なら「粗忽者」で愛嬌もありますが、俳句では良くないですね。次回からは少し落ち着いて鑑賞させていただきます。どうもありがとうございました。
 



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