■202103_02 海紅 2021/03/15-15:55 No.[8846] |
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捨てに出し手紙の束や風光る | |||
citron
2021/03/23-19:51 No.[8847]
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「風光る」の言葉から、手紙の内容の良し悪しに関係なく、それを取り巻く交遊関係や出来事が懐かしむべき思い出として浄化されたのではないでしょうか。 前向きに一歩踏み出そうとする様子が伝わってきます。 | |||
りつ 2021/03/24-11:28 No.[8848] | |||
ちょうど『七部集』を解説から開いたところでしたので、上野洋三が引用した「たのしきに居て、淋しきをたのしむ『東西夜話』の支考や、芭蕉の高山伝右衛門あて書簡にある「ほのかなるようにあれかし」のことばを思い合わせながら、この作品を味わいました。 | |||
りつ 2021/03/25-20:33 No.[8849] | |||
上記8848の間違いに気付き訂正します。 芭蕉書簡の宛先は、高山伝右衛門ではなく、林桐葉でありました。 眼の所為ばかりでなく、そそっかしくて申し訳ありません | |||
山房の海紅 2021/03/26-08:46 No.[8850] | |||
焼き捨てて日記の灰のこれだけか 山頭火 昨日、朝日カルチャー新宿の講座の資料を作っていて、山頭火に上記の句があることを思い出しました。 ボクの句は昔読んだ山頭火の句が、無意識ながら脳裏に残っていたのかもしれないと思いました。 両者は山頭火に嘆きがあるのに、ボクの句はさばさばとして執着がないことだと思います。 山頭火は嫌いじゃありませんが、嘆いているうちは俳句にはならない。ボクはそう思っています。 今回もお二人のよい読者を得られました。ありがとうございます。 | |||
千年 2021/04/15-20:53 No.[8856] | |||
後出しで失礼いたします。いただいた手紙、処分するけれでも、言の葉に対して感謝の気持ちを風光ると表現されたのだと。 | |||