■202004_02 海紅 2020/04/17-14:22 No.[8747] |
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閉山の果ての閉校花辛夷 | |||
citron
2020/04/21-20:37 No.[8748]
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鉱石の採掘でしょうか。閉山すれば働き手やその家族が去り、地元の活気は衰える。閉山と閉校は濃く結び付いているのでしょう。 そんな哀しい町を辛夷の花の色―その白さがはかなく照らし、残された人々を救っているように感じられました。 | |||
し 2020/04/21-21:59 No.[8749] | |||
閉山、閉校…ですから、花辛夷は淋しく咲いています。 思い出が置き去りにされるように感じます。 白い色は、先の見えない始まりの色ですね。 | |||
粒 2020/04/22-11:22 No.[8750] | |||
閉校と聞くと耐え難い悲しみ,淋しさと同時に憤りの虫が、もぞっとします。 「授業のなかった学校」に通った世代です。 でも今、辛夷が咲いて見上げることができる。落葉高木。コブシ辛夷の名は果実やつぼみの形が「拳」に似る事から。(図鑑 散歩道の木と花) この句の辛夷には、開拓者魂が宿っているのかもしれませんません。 | |||
粒 2020/04/22-13:40 No.[8751] | |||
公園で見た丈高い木は、いま、盛りの美しく優しい こぶしでした。 | |||
山房の海紅 2020/04/25-15:17 No.[8752] | |||
citron、し、粒さま。 コメントありがとうございます。 外出がままならない日々ゆえ、慰み種に雑談を少し。 ボクの郷里は石炭採掘で栄える鉱山の町で、複数の財閥系が入り込んで国策を支えていました。 完全な閉山は平成初頭ですが、実質的には昭和40年前後には斜陽化して、経済的余裕があって、賢明なる人々は早くに町を出て、都会へと生活を移していたようです。 ボクはその鉱山でなく町工場の息子でしたが、鉱山の景気に左右される暮らしに違いはなく、高等学校に入るころには家計が立ちゆかなくなり、不幸を恨んだりしたものです。 辛夷の花は郷里の校歌に歌われる木の花で、春が来て辛夷の花をみると、必ず懐かしい友だちの顔を思い出します。今回は春の句ですが、同じテーマで次のような秋の句を詠んだこともあります。ナナカマドを知らない方は、ネットででも御確認ください。火に7回くべても燃えない、といういわれのある木ですが、実も紅葉も強烈で、これまた郷愁にかられる木であります。季題の勉強の足しになるか、外出自粛の慰みぐさにおしゃべりしてみました。日々お気をつけ下さい。 ななかまど真つ赤に燃えて閉山す 海 紅 | |||
Eiko Yachimoto 2020/04/30-16:39 No.[8753] | |||
ななかまど真っ赤に燃えて閉山す 旭川の井上靖記念館の入館記念スタンプの意匠が素敵でした。「赤い実の洋燈」とあって、ななかまどが彫られています。 今は小説を読まない私ですが、昔、原田康子の釧路もの?が 大好きでした。そこにもななかまどが出てきたと思います。 | |||
山房の海紅 2020/04/30-21:54 No.[8754] | |||
原田康子の『挽歌』、三浦綾子の『氷点』など、昭和は北海道も文学も元気でしたね。ボクはあのころ、郷里の北海道を日本文学史的には外国同然に思っていて、いわゆる京都中心の日本文学を知る必要を感じていて、古典の世界に埋没してしまった。 | |||