■200608_02 海紅 2006/08/14-02:54 No.[97] |
|||
夏痩せの母の見てゐる方をみる | |||
千葉ちちろ
2006/08/14-05:15 No.[98]
| |||
昨日はお盆で実家に帰ってきましたが、89歳の母が元気にしているのを見てとりあえずは一安心しました。しかし、子供として夏痩せをしている母の姿を見るのはつらいですよね。親には永遠に生きていて欲しいのですが、運命の別れが段々と近づいてきて、老いていく親を見るのはなんとも言いようのないものを感じます。 | |||
三木喜美 2006/08/14-10:16 No.[100] | |||
昨日私も田舎のお墓参りに行って来ました。外出がままならなくなってここ何年も墓参の出来ない母の代わりでもあるのですが、その母も痩せ細っていつも体調が良くありません。この句には言葉に出来ない優しさと哀しさを深く感じます。私の母と重なるところもあり忘れられない一句となりました。 | |||
梅田ひろし 2006/08/14-18:18 No.[101] | |||
私にも九十五歳になる義母が居ますが、一年一年と衰えてきているように見えますが、本人は至って元気にふるまっています。この句、お母様のことを淡々と表現しているのですが、そのことが反ってお様母に対するおもいの深さがしみじみと伝わってくる句になつています。作者のやさしさに頭が下がります。 | |||
久保寺勇造 2006/08/16-08:30 No.[105] | |||
啄木は母を背負いこの作者は戯れられない痩せ細ったもう会話すら困難な母親とじっとしている。 いつの世でも母はふくよかで健康であって欲しい。夏痩せの母と表現する冷徹さが深いそしてなお深い母親への愛情を感じる。会話はもうなくていい。いつまでも母の子であって時間が保たれたらそれでいい。 | |||
椎名美知子 2006/08/16-11:05 No.[106] | |||
もう10数年前になりますが、私の母が亡くなったのは7月の末で暑い最中でした。すっかり痩せてしまい、着替えをさせるときは細っていく体を見るのが辛く、生き延びてほしいと思うより、楽にしてあげたいと思ったものです。5月に癌が重篤になりもう数日という命を「看病で奇跡的に抜け出した」とお医者さんに言われたもののその後の暑い季節を生きるのは辛かったろうなあと思いました。母の意を汲むのは母の見ているほうを見て、判断し母に聞く、何かをするの繰り返しとなりました。 でも母と並んで、同じ方向を、母の見ているほうを見られたかどうか、もっと静かな時間が持てたらよかったなあと、先生の句を拝見して思いました。しみじみと静かな情感が伝わってきて、母と娘とは違う、語らなくてもわかり合える母と息子の一服の絵を見ているようで、私もとても好きな句となりました。 | |||