■200608_01_akapen 事務局 2006/08/11-16:13 No.[92] |
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ほうたると一緒に飛ぶや亡き父は | |||
梅田ひろし
2006/08/12-18:23 No.[93]
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亡くなったお父さんはきっと蛍が大好きだったのでしょう。作者は蛍を目の前にして、お父さんが蛍と一緒になつて飛んで来るように思ったのでしょう。父恋いのおもいの深さを感じさせる一句です。 | |||
千葉ちちろ 2006/08/13-04:08 No.[94] | |||
梅田さんと全く同じ想いです。心に沁みる一句でおもわずお父さんのご冥福を祈らずにはいられない気持ちになりました。今は都会はもちろんのこと、田舎でもなかなかホタルを見ることはできなくなりました。田舎にお住まいの方か、帰郷された時に詠まれた句でしょうが、ホタルの飛ぶ里をお持ちの方がうらやましい。 | |||
根本文子 2006/08/13-09:30 No.[95] | |||
明滅しては闇に光の尾をひいて飛ぶ蛍を見ていると、亡き父が確かに身辺にいるように感じられます。私も去年、伊香保の源氏蛍を見ながら作者の思いを身にしみて実感しました。 | |||
海紅 2006/08/13-21:31 No.[96] | |||
「赤ペン句会」の赤ペンには推敲という意味を込めてある。無記名で出す理由は、作者を気にせず、日本語表現として不十分な点を指摘しあって、お互いの研鑚に役立てようという真摯な志を持っているからである。 仲間褒めに終わらず、腹を割った意見交換をしたいと願っている。この句「亡き父は」という結びが落ち着かない。どうすれば座りがよくなるだろうか…。 | |||
千葉ちちろ 2006/08/14-05:36 No.[99] | |||
先生から「亡き父は」という結びが落ち着かない、自由に意見を述べよとのことなので、小生なりに考えてみました。「野辺の亡父(ちち)」としてみましたが、これでは葬式を終えてすぐの感じですかね。「霊」などという言葉はどうも重たい感じがするし、怖い感じもするし・・・。 | |||
伊藤無迅 2006/08/15-00:46 No.[102] | |||
以下少し、修正しました。 少し辛口になりますが、「ほうたると一緒に飛ぶ」がすこし散文的かなと思います。理由はたぶん助詞「と」と「に」にあると思います。また切れの「や」も「亡き父」につなぐ接続助詞的使い方であまり切れていないように思います。あるいはそれを狙った(軽い止め)かも知れません。下五はやはり体言止めにして句を安定させたいのですがこれはこれで余韻を出す効果を生んでいるかもしれません。それじゃ添削しなさいと言われると困りますが・・・「亡き」をとって「亡き」を表現できないでしょうか、例えば「父の顔」ではどうでしょうか。 | |||
大江ひさこ 2006/08/15-10:37 No.[103] | |||
この句を拝見してからコメントをしたいけれど…と迷っていましたが先生のコメントに力を得てというか質問の意味も込めてコメントをします。「赤ペン句会」は「日本語表現として不十分な点を指摘しあって」と書かれていましたのであそうかと思いました。私が迷っていたのは俳句を鑑賞、批評するときに作者の感情にどこまで踏み込んでもいいのかというようなことです。日頃おしなべて俳句の世界の人は優しくて、それが俳句という文芸を遊ぶ礼儀なのかなと感じています。このことも質問の一つです。わたしはこの句をとても平凡だなと最初に感じました。亡き人とホタルの組み合わせにおいてです。でもこの句はたとえばホタルを亡き人の魂に重ねているのではなくホタルと父が一緒に飛んでいるというところがおもしろく「亡き父は」という言葉がこの句を救ってはいるのだと解釈しました。先生が仰るようにそういえば日本語として「亡き父は」すわりが悪いのだとも今は納得します。私の父はとっくに亡くなったのですが、父の死んだ年の新盆に郷里へ帰ったその夜、庭を一匹のホタルが飛んでいるのをみつけました。私は今までにこのことを誰にも話したことがありませんでした。それは父であったに違いないと思っていますが、ホタルと亡父の取り合わせはあまりに平凡で、口に出すとそれは嘘になるような気がしているからです。 歳時記にほたるの句を探しました。 親一人子一人蛍光りけり 久保田万太郎 蛍火や疾風のごとき母の脈 石田波郷 ある筈もなき蛍火の蚊帳の中 斎藤 玄 赤ぺんさんの第一句に触発されて、こうなったら私も蛍と父を取り合わせて一句つくろうと今思っています。 | |||
伊藤無迅 2006/08/15-20:30 No.[104] | |||
ひさこさんの意見にすこし意見を述べさせてください。 >俳句を鑑賞、批評するときに作者の感情にどこまで踏み込んでもいいのかというようなことです。 これは難しい問題ですが、私の経験から言えば技術的な点であれば、あまり遠慮する必要はないと思います。指摘しあうことで俳句の醍醐味が解ってくるのであって、褒めあうことは、えてして単なる仲良し会で終わってしまい俳句の醍醐味が味わえないまま終わってしい、結果的に俳句を離れて行く人は以外に多いです。かって私が入っていたネット句会がそうでしたよ。 | |||
千葉ちちろ 2006/08/20-12:09 No.[107] | |||
小生もホタルと父の句を詠んでみました。 送り火の庭に一匹ほたる飛ぶ | |||
千葉ちちろ 2006/08/21-08:02 No.[109] | |||
小生の昨日作った句はなかったことにしてください。 秋の季語(送り火)と夏の季語(ほたる)が重なっていました。お恥ずかしい! | |||
伊藤無迅 2006/08/22-01:07 No.[111] | |||
どうも私はやはり、中7、下5が気になるのですが、中7は「一緒に飛ぶ」が、また下5は「は」の終わり方が・・・・ そこで、 亡き父の灯すはあれか蛍の夜 または 亡き父の灯すは明かし蛍の夜 亡き父の灯すは赤し蛍の夜 ではどうでしょうか?・・甘すぎますかね。 | |||
千葉ちちろ 2006/08/22-08:54 No.[112] | |||
無迅さんの添削の句を拝見いたしました。 私は元の句の「ほうたる」という言い方が「ほー、ほー、ほうたるこい」と呼ぶ声に聞こえて、これは生かしたいな〜と思い、無迅さんの句とあわせてつぎのように作ってみました。 ほうたるの点す明かりは亡き父か | |||
濱田惟代 2006/08/22-16:05 No.[114] | |||
赤ペン句会最初の句に選ばれ、皆さんから沢山の温かいコメントをいただきありがとうございました。暗闇の中光を点滅して飛ぶ蛍は幻想的で亡くなった人を思い起こさせます。この句は何もいい句を作ろうとしたわけでも技巧推敲ををしたわけでもなくすっと数秒で出来ました。あまりにさっと出来た句だったので掲載された時、この句が自分の句であることも忘れていたほどです。名前が出てびっくりしました。沢山の方々が一つの俳句に向き合い意見を自由に述べられる場の素晴しさは、芭蕉会議の素晴しさです。皆さんのコメントから沢山勉強させていただき感謝です。改めて私自身が推敲し又作り変えました句は「ほうたると一緒に飛ぶやお父さん」亡くなっていること全体から分かるので「亡き」はいれなくともいいでしょう。「ほうたるは父の化身か魂か」ちょっときざですね。 | |||