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 ■200610_02
 海紅   2006/10/23-20:39  No.[234]
    ネクタイを外して紅葉山に入る

久保寺勇造   2006/10/24-08:29  No.[236]
 
    正装しての集まりもおわりました家路に着くにはたっぷり時間があります。そうだ折角ここまで来たのだからあの紅葉山に行ってみよう。乗り物から降りる周囲の人達とは服装が違いすぎます靴だってピッカピッカです。
 上着はまだ其の儘としておもむろにネクタイを外しました。間もなく歩いて背広を肩に掛けました。
そんなに場違いの男ではなく何か周りの景色と調和してきました。
 

久保寺勇造   2006/10/25-21:58  No.[237]
 
    この句も後を引きます。外したネクタイは何処に仕舞いましたでしょう。もちろん背広の胸ポケットですよね。
 ハンカチのように覗かせて無造作に見せています。
当日は晴れていましたね行動を実行させました第一の要素です。この登場人物は何を考えながら山道を登ったでしょうか、それはやはり前に来た時の楽しい思い出ですハイそう思います。
 さて取留のない句感想を今日もいたしました。皆様の
紅葉山行の感想などもお話ください。
 

椎名美知子   2006/10/28-12:23  No.[243]
 
    久保寺様
私も何か書かせていただきたいと打ち込んだら、なにかのぐあいで全部消えてしまい、諦めていましたが再度書くことにしました。
ネクタイを外すということはリラックスタイムに入るということでしょうね。ご講演か一仕事終えて、開放されたほっとした時間。ふと目を転じると、紅葉しはじめた山に気づき、また時間の余裕もある。ネクタイはありませんが、共感を覚えました。でも、これを奈良にいらっしゃったときの御作と考えると、あるいは違う意味があるのでは・・・。
かつて大和路を歩いたときのことを思い出しました。
三島由紀夫の「豊饒の海」の最後の舞台となった大和路の日照寺(ちがっていたらごめんなさい。作中別名。)に何度も通ったとのこと。あの寺に至る道をあるいはたどられたのでは・・そうでなくても大和路をたどるのは古人の思いをたどることとすれば、それを知る作者であったら、ネクタイは外されただろうと想像をたくましくしました。余計なことを書いて、ここまできて投稿をためらったのですが、えーっとばかりに投稿します。久保寺さん、続けてお願いします。
 

椎名美知子   2006/10/29-11:08  No.[246]
 
    「豊饒の海」の作中の奈良近郊のお寺は円照寺で、作中は「月修寺」でした。
上の投稿文、下から5行目「三島由紀夫の」は「三島由紀夫は」です。
俳句はことばがすくない分、読む側に多くの想像の世界をゆだねられていていいですね。誤植もおそれず書き込み続けます。

 



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