■200609_02_akapen 事務局 2006/09/25-19:00 No.[174] |
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片陰が跡切れてすこしまわり道 | |||
千葉ちちろ
2006/09/26-07:12 No.[175]
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またまた難しい句が登場しましたね。「が」は連体修飾格の「が」で「の」の意味だろうと思いますが、問題は「跡」の解釈だろうと思います。「片陰の跡」というのは「片陰の痕跡」ということでしょうか。そういう意味ならちょっと「陰の痕跡が切れる」というのもおかしいと思うのでこの「跡」をどう取るかですね。この句に対する私の解釈ですが、ジリジリと太陽が照りつける中を軒や庇、高塀などのわずかな日陰を拠り所として歩いていたが、陰が途切れてしまったところがあるので、すこし遠回りにはなるけど回り道してでもなるべく陰のある方を選んで歩いたことを詠んだものと思いました。そうなると「片陰が途切れてすこしまわり道」でよさそうな気がします。どなたか「跡」の解釈を含め、句意をご説明願います。 | |||
安居正浩 2006/09/26-13:01 No.[176] | |||
辞書をひくと、「途切れて」は「跡切れて」とも書くので、千葉さんの解釈でいいのではないのでしょうか。 | |||
千葉ちちろ 2006/09/26-15:05 No.[177] | |||
安居さん、ありがとうございます。確かに「途切れて」を「跡切れて」とも書くのですね。はじめて知りました。お恥ずかしい。ということは「が」はあくまで主格の助詞の「が」ですね。そうすると私の解釈で大体あってるわけですね。でも「跡切れて」でも意味はわかるのですが「片陰を伝ひて」とか「片陰を求めて」などはどうでしょうか。 | |||
千葉ちちろ 2006/09/26-18:40 No.[178] | |||
「跡切れて」は「途切れて」と同じだということは広辞苑で確認しましたが、どうしても漢字の使用が気になって漢和辞典で調べました。細かいことはさておき「跡」と「途」の字の意味は当然違っていますので、この句の「とぎれて」はやはり「途」を使用すべきだと思います。例えば「うたう」でも「歌う、謡う、詠う、唄う、謳う」があり、「よむ」でも「詠む、読む」などがあるように皆主語などが何かによって使用する漢字が違ってくると思います。「跡」は陰の痕跡が切れたような印象になると思いますので、この句で「とぎれて」を使用する場合はやはり「途切れて」の漢字の使用の方がよいのではないでしょうか。 | |||
伊藤無迅 2006/09/26-23:45 No.[179] | |||
ちちろさん、小生も「途切れて」のほうが自然で良いと思いますね。さてもう少し内容に立ち入らせてもらいます。この句は季語が「片陰」、片陰は特に真夏の昼時はほっとする涼を与えてくれるもの。この句はその片陰を季語としてよりも、「片陰」そのものをまともに詠み過ぎていると思いませんか?そして誰もが思うストーリーで、説明しすぎていると思うのですが如何でしょう。すべて言い切ってしまっているように思います。後に残るのは「そうでしょうね、暑いから」と納得してしまう。むしろ「途切れたから戻ってきた」というフレーズのほうが面白いと思うのですが・・・ (またまた、辛口ですみません) | |||
千葉ちちろ 2006/09/27-07:11 No.[180] | |||
無迅さん、「途切れて」にご賛同いただきありがとうございます。ところで「片陰」を季語としてよりも、そのものをまともに詠み過ぎているのではないか、とのご指摘ですが、季語とはどのように捉え、扱えばいいのでしょうか?是非教えてください。辛口だと恐縮されているようですが皆で勉強する場(皆はとっくに知っていて小生だけかもしれませんが)になればいいと思います。 | |||
濱田惟代 2006/09/27-21:01 No.[181] | |||
片陰が途切れて困った気持ちが感じられます。作者は又まわり道を承知で涼しい道を歩いていったのでしょう。 [跡切れて」を「求めて」としたらどうでしょうか。 [片陰を求めてすこしまわり道」 | |||
伊藤無迅 2006/09/28-02:07 No.[182] | |||
季語は、実は俳句にとり決定的な意味を持っていることは、皆さんご承知のとおりです。短歌の枕詞同様和歌から引き継いでいる季語には、それこそ千年の重みがあります。従いまして季語は通常の言葉より、はるかに重みのある言葉として捕らえねばなりません。例えば「片陰」一つとっても、「片陰」だけで充分独立した存在で「片陰や」と切った場合、この「片陰」の背後には極端に言えば千年の重みのある言葉に豹変します。千年の間に幾万人が、詠み込んだ重みのある言葉になるわけです。だから「片陰」と言っただけで、人それぞれに「片陰」に対する想いが一瞬のうちに頭に浮かぶわけです。従いまして、極端に言えば、そういう「重み」に、様々な言葉をぶっつけてその効果を競うのが俳句かも知れません。そろそろ谷地先生からコメントのあった付け合い、または二句一章論に入る訳ですが、季語をそういうふうに見て、先ず認識することが重要かと思います。そう見ると「片陰」を文字通りの「片陰」として、詠むとちょっともったいないと私は思ってしまいます。「片陰や」と切って、人情の機微や生活の断片を言葉にし、「片陰」にぶっつけると、とてつもない世界が開けることがあるわけです。このぶっつける妙味が俳句かもしれません・・・・と小生は思っています。 長文ごめんなさい。 | |||
千葉ちちろ 2006/09/28-07:18 No.[183] | |||
無迅さん、ありがとうございます。無迅さんのおっしゃる意味がなんとなく理解できます。古の人たちが長年にわたって培ってきた季語に対する思い入れをもっと重みとして感じ取って欲しいということですね。それなりにわかるんですけど難しいものですね〜。初心者として句を創るのが怖くなってきました。 | |||
伊藤無迅 2006/09/28-13:01 No.[184] | |||
ちちろさん、二句一章論を引き出すため、話を難しくしてしまったようです。ごめんなさい。手元の資料(石寒太著『現代俳句の基礎用語』・平凡社2003.1)によれば、句の途中に「切れ」の無い句を一句一章といい、臼田亜浪が提唱、これに対して大須賀乙字が上記の「切れ」を重視した二句一章説を提唱した、とあります。初心者にはいきなり二句一章は難しいかもしれませんですね。誤解を与えたかも知れませんが、俳句の作り方でどちらが良いとは言えません。一句一章句でも名句はたくさんあります。「をりとりてはらりとおもきすすきかな 蛇笏」などですね。そういう意味では例句は明らかに一句一章です。二句一章は一種の約束事ですから、その意味を知ることで俳句の鑑賞がぐっと広がり、同時に作る上でも技法的選択肢が増えるのでぜひマスターして戴きたいとの想いが強すぎたようです。 | |||
千葉ちちろ 2006/09/28-16:08 No.[185] | |||
無迅さん、またまたご丁寧な解説ありがとうございます。ご安心ください。下手は下手なりに一生懸命考えるのも楽しく思っておりますので、俳句に対する心構えや技法などを少しづつでも吸収しながら創作を続けますので今後ともご指導よろしくお願いいたします。ところで無迅さん、「途切れて戻ってきた」というフレーズにした場合は、例えばどんな句になるでしょうか。 | |||
伊藤無迅 2006/09/29-00:40 No.[186] | |||
そうですね、俳諧味を狙って、 片陰の途切れ逍遥戻りをり 片陰の途絶えて戻る散歩かな 片陰の途絶えて散歩戻りくる というところでしょうか。 あまり面白くないですかね? 例句のほうが趣がありますかね? | |||
千葉ちちろ 2006/09/29-07:29 No.[187] | |||
無迅さん、ありがとうございます。なるほどな〜って感じです。小生の好みとしては「片陰の途絶えて戻る散歩かな」ですね。「片陰」を伝って歩くのは急ぎの用ではなく、「逍遥」とか「散歩」という言葉の方がピッタリですね。例句の方も「が」を「の」に変えて「片陰の途切れてすこしまわり道」にすると若干味が変わるような気もしますね。 | |||
根本文子 2006/09/29-11:44 No.[188] | |||
楽しく拝見しています。日盛りの「片蔭」は本当にほっとしますね。無尽さんの二句一章説に共感しますが、この句の場合は「まわり道、又は、まはり道」に作者の気持ちが表現されているので、「片陰の途切れてすこしまわり道」に賛成。ところで「片陰」か「片蔭」か迷いませんか?『歳時記』の例句を見ると草田男の句に「片陰」と見えますが、ほとんどが「片蔭」ですね。俳句の場合は草冠のある方が、先生の言われる「情」において、より表現力があるような気がします。 | |||
根本文子 2006/09/29-11:56 No.[189] | |||
無迅さん申し訳ありません。お名前を打ち間違えてしまいました。私も何かすてきな名前を名告りたいものです。 | |||
千葉ちちろ 2006/09/29-16:49 No.[190] | |||
根本さん、こんにちわ。「片陰」か「片蔭」かについては漢和辞典も一応見ましたが、やはり「蔭」の方が草木の日陰という意味があって建物の軒や塀の陰よりも木陰のあるところを歩いている感じあって涼を感じますよね。実際に作者はどちらを歩いたのかは別にして・・。8月の清澄庭園での吟行の際、根本さんは「片影を拾い句友の輪に入りぬ」という句を詠んでおられます。このときは「影」を使っており「かげ」も色々あって使い分けが難しいですね。 ところで根本さん、早くすばらしい俳号をつけてください。 | |||
伊藤無迅 2006/09/29-21:53 No.[191] | |||
なるほど、ちちろさんの言われるように、 >「蔭」の方が草木の日陰という意味があって、 >建物の軒や塀の「陰」よりも木陰のあると >ころを歩いている感じあって涼を感じますよね。 陰も一字で趣が、がらっと変わりますね。 | |||
小出富子 2006/10/04-10:32 No.[192] | |||
私の句について、多くのコメントをお寄せ下さいました皆様、ありがとうございました。ご指摘のありました「句意」につきましては、ちちろさんの解釈そのままです。「陰」については、緑蔭ではなく塀伝いに歩いていたので、この陰にしました。「が」については、声にだして詠んだ時の響きが美しくないので、悩みました。「跡切れて」については、途切れて、でいいと思いましたが、念のために広辞苑を引き、(とぎれて)は、跡切れてとありましたので、この字にしました。 なんだか、堅苦しい書き方になってしまいましたが、これから句を詠む時の、良い宝物を戴いた気持ちでいっぱいです。 | |||