■200608_02_akapen 事務局 2006/08/22-12:02 No.[113] |
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滝しぶき音の全貌やっと見え | |||
堀口 希望
2006/08/22-23:17 No.[115]
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滝音は大分前から聞こえているのだが、しぶきが懸かるほどの所まで来て、初めて「音の全貌」が「見え」たという。「滝の全貌」でなく、「音の全貌」を詠んだ点がすばらしい。難をいえば、下五を「見え」と連用形で止めているので、どことなく川柳めいた調子になっているのではないでしょうか。 | |||
伊藤無迅 2006/08/22-23:51 No.[116] | |||
滝つぼからの滝しぶきで音のみの世界が、一瞬の風で音に似合う全貌を現してきた。という滝という一つの世界を表現した完成した一句と思います。この句の眼目は「音」、作者は全貌を現さない滝を予め音で予想をしていた訳ですね。敢えて問題を上げれば、下五の「やっと見え」の表現でしょうか。 ・「やっと」を使ったことで、やっと見えたという 時間経過だけの狭い感動範囲になってしまった。 句が広がるように、例えば単に「見えてきし」か「見えにけり」とし、読者に余韻を与えれば、素晴らしい句になると思いますが如何でしょうか。例えば、音から想像していた滝より大きかったのか、幅は広かったのか、高さは・・・・とその全貌が気になります。 なお、「見えてきし」であれば上五、下五は入れ替えたほうが座りは良いと思います。 | |||
濱田惟代 2006/08/24-00:18 No.[117] | |||
心の動きがよくわかる句です。終わりのやっと見え」がやれやれといった感じがします。伊藤さんの言われるように滝に対しての感動があったらもっといい句になるのではないでしょうか。読んでみて全体の響きも落ち着かないので最後は静かな言葉のほうがすっきりしてすわりよいように思います。以前台風の翌日、伊豆の浄連の滝を見た時大雨の為水かさが増えて、ごうごうと言う音がまるで獣が吼えているようでした。この方の句と似た状況だったかもしれません。先に音だけが響いてきてあとから滝があらわれて是が音の正体だったのかとまじまじと眺めましたが其のときの句です。「台風の明日の滝の吼えてをり」 | |||
三木喜美 2006/09/01-15:22 No.[125] | |||
赤ペン投句には沢山の句がある中未熟な私の句を早々と出していただいてありがとうございました。恥ずかしくて直視出来ず、又自分の句でありながら一人歩きする怖さを実感しました。皆さんに批評されるのは初めてなので、とても良い経験になりました。今後もこれにめげず句作りに励みたいと思います。三木喜美より | |||