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 ■200902_01
 海紅   2009/02/02-12:12  No.[6189]
    人の眼に接写レンズに梅白し

三木喜美   2009/02/02-21:44  No.[6193]
 
    またまた先取り失礼。皆様接写レンズを見たことありますか?それはそれは美しい世界なのです。白梅などは我が眼を疑う様な清楚で愛しい姿で、紅梅よりも早く咲くこともあり待ちに待った春がもうそこ迄来ていることの喜びに溢れています。この句はまさに眼に映った白梅に明るい希望の光を私は感じます。写真大好き人間より。
 

谷地元瑛子   2009/02/03-17:09  No.[6198]
 
    梅の花をみるとき、民族の記憶の古層的先入観や
不確かな知識がないほうが
いいことを
この句は言っているのかなと感じます。

家のちかくの丘の中腹に咲く立派な梅の木は
ボヌールの描いた花咲くアーモンドの木のようです。

 

三木喜美   2009/02/04-19:34  No.[6201]
 
    谷地元さんの深い読みに感服致しました。先入観や不確かな知識を排除するために眼前の接写レンズと言う言葉を使った等と考えてもみませんでした。単細胞な己が恥ずかしいです。でも特に花は接写レンズを覗くと感動しますので機会があったら覗いて見て下さい。
 

しんしあ   2009/02/06-23:44  No.[6212]
 
    誰の眼にもそれは機会の眼にさえも、梅は白く映る。
それでも僕達は同じものを見てもその見方は人それぞれでその解釈も何通りもある、だから・・・というような先生の意図を感じました。

僕の見る現実の僕の解釈は正しいかのかどうかはわかりません。それでも自分の視線の先に写るものにふはふはとした未来を少なからずも感じることができています。

そんなことを改めて思わせていただきました

 

天野 さら   2009/02/13-19:30  No.[6235]
 
    接写レンズと言うものを知りませんが人の目と対比させていますから無機的なものという意味で使われたのでしょう。人の眼に映る白とレンズでみる白は同じであってもそこに受け止める感情のあるなしで大きなちがいがあります。ものを見るときただ表面の形や色だけで見るよりは人間である以上心を働かせて受け止めることの大切さを詠んでいるのではないでしょうか。梅を見て業平を思う人、亡き親を人を思う人,別れた恋人を思う人、ふるさとの梅林を思う人等様々でしょう。そこから詩が生まれていきます。ただ対象の写生だけでなく人の眼から心を通してみることの大切さを詠んでいると思います。目ではなく眼を使われているのはまなざしでそこに心を感じます。
 

ちちろ   2009/02/13-19:34  No.[6236]
 
    この句について何か言いたかったのですが、うまく纏まらないままでした。そうしたところ、さらさんのコメントが出てわが意を得たりという感じでした。さらさんの鑑賞さすがですね!
 

天野 さら   2009/02/14-21:25  No.[6237]
 
    ちちろさん、お久しぶりです。お褒め戴いて恐縮しています。たぶんに私の主観が入ってしまったコメントだと後で航海しました。先生は人の眼と接写レンズを並べているだけで人の眼で見ること云々とは何も説明をされていません。その後はご自由に解釈してください、と言うところでしょうか。私はその先を勝手に詠んでこうではないかと思うと言うコメントでした。果たして之でいいのかしら。他の解釈もあるでしょう。どなたかお書きくださればうれしいです。
 

三木喜美   2009/02/15-10:52  No.[6238]
 
    さらさんの眼差しと言う含蓄ある人の眼と写生と言う無機的な形の対比の解釈もまたちちろさん同様成る程と思いました。その時のその人の心の在りようによってその対象はさまざまに捉えられるのは想像の許すところだと思います。写生はあくまで見たままの生の姿です。私は接写レンズの特性が普通に肉眼で見たときより数段美しく見えるのにいつも感動しているものですからつい目先のことに気がいっていまいます。形に惑わされることなく真の心で見なさいよと言う教示も含んでいるのかも知れないと、ふと思いました。
 



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