■201809_01 海紅 2018/09/03-15:28 No.[8567] |
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鉦叩たたき行く末疑はず | |||
つゆ草
2018/09/11-07:09 No.[8568]
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久しぶりにコメントを入れさせていただきます。鉦叩きは家の周辺で夏の終わり頃からずーっと鳴く声が聞こえています。それが他の虫の音はあまり聞こえないのです。考えてみれば、蜩もトンボも近頃見かけなくなりました。昆虫達の生体系も変化しているのを感じます。田舎に行けばきっと降るように鳴き声が聞こえるのでしょうが、コンクリートの都会にはもう無理なのかなぁと悲しくなります。せめて鉦叩きだけは何時末までも我々を癒してほしいと願う今日この頃です。この句はそんな思いが含まれている様に感じました。 | |||
松江 2018/09/11-15:08 No.[8569] | |||
悲しいといえば、人間以外の生きものの方がもっと悲しんでいるのでしょうか 先週 鎌倉八幡宮の蓮池のまわりで蜻蛉を見かけたし蝉はわんさか鳴いていて、はちすは一斉に顔を向けていました。自然にはこちらから挨拶まわりに出向くご時世なのかもしれませんね この句から 清々しい安堵の心持ちが起きました | |||
啓子 2018/09/12-21:56 No.[8570] | |||
鉦叩は鳴く虫の中でも「チンチンチン・・」と鳴くというよりまさに鉦を叩いているような、一途さを感じます。そのいつまで続くとも知れぬ愚直ともいえるようなひたすらな一途さ、その果てに何があるんだろう、どこに行きつくのだろうとも思えます。しかし、その行く末を疑わずに鉦叩はたたき続けるのだろうと思いました。私は「たたき」も「疑はず」も主語は鉦叩ととりました。 | |||
山房の海紅 2018/09/14-16:26 No.[8571] | |||
鉦叩が鉦を叩いている。この虫の名は仏を念ずる鉦叩から名づけられた名前だと思うと、その修行の行く末を少しも疑っていないように澄んで聞こえることよ。 まずは表現通りに読んでいただく。そうすると、以上のようになりましょうか。啓子さんの解釈の通りであります。その後の鑑賞は人それぞれでよろしいのでしょう。 | |||
つゆ草 2018/09/17-08:42 No.[8572] | |||
先生が沢山いる季語の虫の中から鉦叩きを詠んだ意味が納得した様な心地となりました。深いですね。修行が足りない我を感じています。 | |||