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 ■201404_02
 海紅   2014/04/16-12:17  No.[8112]
    生きてあること鴉聞き蝶を追ひ

千年   2014/04/16-20:19  No.[8113]
 
    「行く春や」を感じました。
 

大江月子   2014/04/19-11:54  No.[8114]
 
     千年さん、ほんとうに先生のこの句にぴったりの鑑賞のきっかけを作って下さいました。詩の言葉とはまた違う俳句の一行の言葉に救われることがあるという鑑賞をどのように書き出したらいいのかと考えていました。「元気のなかった私が、思いがけない俳句の一行に出会って、元気になれそうだ」という言い方は許されますよね。この年齢なると、もともとその傾向にある私は、人の死というものを死んだものはしょうがない、私も死ぬ、というふうに受け止めますが、このたび一人の恩ある方の突然の死と遭遇し、まさに「行春や鳥啼き魚の目は泪」の心境にあります。この芭蕉の句は久富哲雄『おくのほそ道』(講談社学術文庫)の中で『…移り過ぎて行く春をとどめることのできない詠嘆の情を述べたものであるが、それは一つの惜春の情であり、惜別の情にもつながるのである。過ぎゆく春との別れを惜しむのは人間だけでなく、鳥は哀愁にみちた声で啼き、魚の目も涙でうるんでいることよ、…」とあります。
 そして、そこへ海紅先生の句。「生きてあること鴉聞き蝶を追ひ」生きていればこそという当たり前と言えることを表現されているかに見えるこの句の「生きてある」と上五を詠い「こと鴉聞き蝶を追ひ」と続くリズムが私の心の内なる想いを捉えて離さない、という今の出会いです。私にとって今鴉の声は亡くなった方の声であり、蝶は彼岸で舞う幻の蝶と考えます。でもこの世のこともあの世のことも、夢も現も幻も「生きてある」ということ。なんと素敵な句でしょう。と思います。
 先年の夏の海紅先生の琵琶湖(湖南)でという句もまた浮かんできます。 
 「どっこいせいしっかりせいと踊唄  海紅」

  春風を泪の目で追ふ行方かな 月子 
 お粗末ながら私には俳句もあったと。今は先生、千年さんに感謝している次第です。
 

茫るぺん   2014/04/27-11:12  No.[8115]
 
    ゆるやかに くもはながれ
のどかに なくからすのこえ

はなやぐひかり のなかを
なつにむけ かすかにきおう ちょうちょ

くさ・き が かぜになびく


こころは ゆったりながれ

ときは しずかにすぎてゆく



「生きてあること」ニハ。

ミズミズシイ カンセイ ガ イッパイツマッテイル。
コレハ ソノ一端ノ 空想的追体験。 
 

山房の海紅   2014/04/30-21:32  No.[8116]
 
    御鑑賞ありがとうございます。親しい人を亡くし続け、四十年にわたり芭蕉を読み続けて、このごろようやく鴉の声に、蝶の舞に素直に感謝する気持ちが育っています。思春期以来脅かされている生の不安は、今を懸命に暮らすことでしかぬぐい去ることはできないのだ。誠実に生きよう。そんなことを思った時代の句です。
 



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