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 ■201211_02
 海紅   2012/11/16-14:01  No.[7948]
    おもかげに母ありいつも毛糸編む

山房の海紅   2012/11/24-21:30  No.[7949]
 
    大学院生のころ、村松紅花先生御夫妻をお誘いして、先生に師事する萩花・紅魚・海紅で、白馬は八方尾根にある大学の山荘へスキーに出かけたことがある。黒沢明の映画『白痴』さながらの雪景色であった。六十歳前後の先生をむりやりスキー場へ引っ張り出したが、奥さんは終に決心することができず、寮内でひとり編み物をしていた。スキーは日中のみで、夕食後は毎晩句会になった。「おもかげに」の句は、その句会で奥さんをスケッチしたものである。その際に奥さんが編み続けていたセーターは、なぜかボクがもらうことになった。三十年以上も前の話である。

 自句自解の趣味はないが、一句がどのような情況で生まれるかという一例として、多少の参考になるかもしれないと考えて、筆をとった。同族ゆえに、近親ゆえに憎悪する。わたしにとっての母は、そのような存在であったが、息子にセーターを編んでよこしたり、自ら着物や丹前を仕立てて送ってきたりし続ける、情の濃い人であった。そんな母を嫌っていたのだから、息子とは残酷なものである。後悔しきりだが、もう手遅れというしかない。
 

大江月子   2012/11/25-10:58  No.[7950]
 
    先生の母上のことを打ち明けられる文章は、一年と少し前に大往生で亡くした母なのに、今になって母のことをふと思わない日のない自分に少し重なって思われます。息子と娘の母を嫌う嫌い方は多分違うのです。でも私は嫌うというより女として母を恨みました。喧嘩をしたことのないぶん根の深い恨みです。でも今私の一挙手一投足に母がいて発した声さえ母が呼んだように思えるのです。親とは我が身が親であることも含めてなんとも恐ろしいものですね。

別の話です。俳句は約束を守るなら、一句を詩の一行としてとらえ俳句は作れると私は誤解していたことに最近気がついたと思います。詩という言葉は曖昧ですが、詩も歌も俳句も詩の文芸とくくられたりしますね。
俳句はそこにある詩ではない。日本古来の独特の言葉の
伝統の研鑽のうえに成り立っているのが俳句であり、時代が変わっても俳句の伝統は不滅なのであろうと。
言葉の表現は楽しく魅力的ですが俳句と出会ってからの居心地の悪さから少し抜けられるかなと、次の句会に希望をつないでいます。とまたおおげさなことを…。
先生ありがとうございます。
 

山房の海紅   2012/11/26-19:15  No.[7951]
 
    月子さん、コメントアリガトウございます。「俳句はそこにある詩ではない。日本古来の独特の言葉の伝統の研鑽のうえに成り立っているのが俳句であり、時代が変わっても俳句の伝統は不滅なのであろうと」という発言は妥当。ただし「独特の言葉の伝統の研鑽のうえに成り立っている」のは何も日本の短詩型に限ったことではない。西欧の詩も、細かな伝統を踏まえて作られ続けている。日本の詩人がそれを知らないだけではないか、学んでこなかっただけではないか、という風なことを考えたことがあります。新体詩を実にいい加減に輸入して、それを近代と決めつける傾きがあったのではないか。そんなことを考えたりします。
 

大江月子   2012/11/26-20:55  No.[7952]
 
    ありがとうございます。ひきつづき一生懸命想いをめぐらせてみます。
 

一興   2012/11/30-04:09  No.[7953]
 
    「ぼくは母が大嫌いだった」とおしゃったお言葉がずっと心に引っかかってましたが、反抗期の青年にある類いだったみたいと人づてに聞き、なぜかほっとしたのでした。この句を通して今のお母様への想いは、全くの素人の私でもすっと心にしみ込んでいき、17文字に暖かく包まれました。そして、昨年亡くなった母を思い出し一人涙もしました。自分なりに親孝行を精一杯やったつもりでもそれで十分だったとは思えず、また、もし何も出来ないうちにお別れしたのであれば、たとえ仕方のない事情があったとしても、後悔は小さな十字架となり背負っていくことになるのだろうとも思いました。だんだんと母に似ていく私を、今度は子供たちがどの様に感じていくのだろうと、思いは果てません。
 

山房の海紅   2012/12/01-10:08  No.[7954]
 
    一興さんへ。「好き」と「嫌い」は同じ心のはたらきなんだと教えられたり、読んだり、考えたりしたことがあります。虫のいい話ですが、母への親不孝は、この句でゆるしてもらおうと思っています。なんだか予定調和的なむすびで甘いかもしれませんが。お母さまのことを十七音で思い出してみませんか。
 

一興   2012/12/01-20:05  No.[7955]
 
    コメントありがとうございます。表裏一体ですね。親不孝をされたとは思ってもいません。ただ、誰でも自分の気持ちを素直に出せるようになるには、時間が必要なこともありますね。
自分を何かに託し表現できることを羨ましく思いますし、生まれでた作品は分身のようなものと聞いたことがあります。
おそらく難産のすえの私の分身は、我が家の犬…いえめだかにも失礼な位のものでしょう。
しばらくは、読ませて頂くことに専念したく思います。
 

  2012/12/04-15:49  No.[7956]
 
   
 

森田 京子   2013/01/06-14:15  No.[7965]
 
    母、79歳になりました。
編み物、木目込み人形作りが大好きで、贈り物するためにせっせと励んでいます。最近になって素直に受け取る
ことができるようになりました私です。
  毛糸編む一目一目に母が居る   
 



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