■201207_02 海紅 2012/07/17-15:58 No.[7902] |
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読むことに書くことに倦み水を打つ | |||
椎名美知子
2012/07/26-12:49 No.[7904]
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どんな書斎かしらと、思いをめぐらす時、軽井沢の堀辰雄文学館の奥にある、林と芝生の中の涼しげな書斎(書庫)を思い浮かべました。 堀辰雄の強い希望があって出来たという10畳位でしょうか、お気に入りの本を本棚に納めるために建てられた、障子のある和室。 誰にも煩わされることなく、自然とともにあるような書斎でした。そんな書斎でしょうか。 「読むこと」「書くこと」にも飽き、庭下駄を引っかけて芝に水を打つ。自然の涼風を感じます。きっと蝉の声も聞こえるんじゃないかと。 「水を打つ」は、気持ちのゆとり、その環境と、相乗効果で、涼を充分感じさせていただきました。きっと疲労も回復されることでしょう。爽やかさを感じて、思わず久しぶりの投稿です。 | |||
伊藤無迅 2012/07/28-01:43 No.[7905] | |||
椎名さん、堀辰雄の書斎私も見ました。確か辰雄はその書斎完成後、間もなく他界してしまうと記憶しています。昭和六十年代に渡部昇一の『知的生活のすすめ』が出て知的生活がブームになり、俄に書斎が注目を浴びた時代がありました。あの頃は書斎が男の夢でした。時代が過ぎ、自分の時間が潤沢に出来、子供が離れて行き、ようやく書斎らしきものを得るのですが、そこでの過ごし方がまた問題。深読み癖がある私には、掲句はそういうものへの言外の言も含まれていると、自戒を含めて思うのであります。 | |||
椎名美知子 2012/07/28-11:18 No.[7906] | |||
無迅さん、ありがとうございます。 投稿を読ませていただくだけで楽しんでいましたが、いざ投稿してみると、書き込みを待っていて、書き込んでくださるのは本当に嬉しいですね。 そういえば、掲句には書斎という言葉はでていません。すぐ想像を拡げるのは、きっと私たち(私?)の年代の書斎への憧れかもしれませんね。とすると、豊かな時代でなかった分、夢や憧れを多く持つことが出来た、よい時代を過ごしたといえそう。句の解釈も読む側の年代によって異なるということになりそうです。 「水を打つ」の実感も、冷房のない時代、夕方、一日の終わりの充実感とともに、水を打った庭の気持ちのよさを知っているから、さわやかさを感じるんですね。解釈のルーツを考えてみるのも楽しいですね。 結局、掲句がそれだけ幅のあるいい句ということになりますね。 余談ついでに。 堀辰雄の書庫が完成したのは、亡くなる10日前で、収める本を図表にして準備していたのですが、「すでに外出さえできなかった辰雄は合わせ鏡でみながら、この書庫に本が収まるのを楽しみにしていた」と多恵子夫人の著書『山ぼうしの咲く庭で』に書かれていましたね。 | |||
伊藤無迅 2012/07/28-12:23 No.[7907] | |||
辰雄の書斎の話、そうでしたか、涙なしには読めないですね。 以下は余談の蛇足ですが、 辰雄は追分で、題名は忘れましたが老舗旅館の女将の一代記を書いてますね。あの女将と浄瑠璃寺の少女がダブルのです。辰雄は女性を描くのが本当に上手い作家だなーと思いますね。 | |||
椎名美知子 2012/07/29-11:39 No.[7908] | |||
本当にそうですね。油屋旅館の女将でしょうか。さがしてみることにします。ご存知の方、教えてください。 いろいろお話が発展していくのも、この句があればこそで楽しいですね。ありがとうございます。 | |||