■201112_01 海紅 2011/12/01-16:07 No.[7421] |
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寒林に消ゆる異人の恋人と | |||
むらさき
2011/12/07-15:16 No.[7422]
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コメントさせていただきます。 心中を予感させます。”心中願望の昇華”の、過程の句でしょうか??? 危うい「心の闇」をテーマにしながら、抑制のきいた格調の高い作品です。 1 抑制的なのに、高貴な香りのようなオーラが漂っています。 (なんと、厳粛な句なのだろう!と思いながら 言葉の意味を ひとつ ひとつ 味わっていると、 突如 ”官能性が、高貴な香りとなってたちのぼってきて”・・。正確には たちのぼったように感じられたのだが。 あまりに突然のことで、私は一瞬 「 おおっ」と たじろぎ 何が何やらわからなかった。 しばらくして、ふっと、2カ月前によんだ 横尾忠則(画家)と 瀬戸内寂静(尼僧・小説家)の対談(〜2000年)のなかに、”類似した体験”が語られていたのを思いだし、ページをめくった。 横尾は、三島由紀夫をとりあげ、彼の文章はむしろ観念的なのに、読んでいるとエロスが立ち上ってきて「 どうしようもなかった」と語っていた。 横尾も 私も、作品の余情や余韻に 感応・反応したのであろうと思うが、横尾は、それを「 三島さん自身のもつエロスが言霊になってこっちに伝わってくるのかな 」といっていた。 余情・余韻を「言霊」と表現する横尾を、私は面白いと感じた。 言い得て妙だとも思った。 ) 2 「心の闇」を みつめようとする真摯な姿勢 や 創作に対する 謙虚な態度が ”厳粛な表現 ”を生み、”世話物のストーリー ”を、より洗練された作品へと昇華させているように思います。 ( 芸術家は、時に狂気すれすれのところで 勝負しなければならない。 しかし、そこで狂気に呑まれてしまってはおしまいなのだ。やはり、どこかに現実とのバランスを保持しておかなければならない。 そこで 重要になるのが、上記のような姿勢・態度ではなかろうかと思った。) ありがとうございました。 累々とけものに仮装か冬木立 むらさき | |||
山房の海紅 2011/12/09-14:32 No.[7423] | |||
累々とけものに仮装冬木立 むらさき ペチカはじけて続く朗読 海紅 「仮装か」の「か」は要らないように思います。 | |||
2011/12/11-07:41 No.[7426] | |||
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むらさき 2011/12/11-17:54 No.[7427] | |||
先生 「 ペチカ 」の句 付けていただき、ありがとうございます。 また、冬木立についてのご指摘も、ありがとうございます。 | |||
研究室の海紅 2011/12/12-13:25 No.[7428] | |||
おや、つゆ草さんの附句が削除されましたね。 ボクの脇は発句を室内、つまり昔話の読み聞かせなどが続く煖炉のそばから、窓の向こうに見える景と定めたものです。獣に仮装する冬木立を、昔話に聞き入る子どもたちの眼がとらえたものにしてみました。 夏冬の句が発句の場合は同季を二句でやめ、第三は無季か他季にすることが多いようです。発句の世界を離れることはいつの場合も第三の鉄則です。 | |||
つゆ草 2011/12/12-21:54 No.[7429] | |||
すみません自信が無いのに出しゃばり投稿し反省し削除しました。割り込んで申し訳ありませんでした。 | |||
むらさき 2011/12/14-10:47 No.[7430] | |||
コメントを追加させていただきます。 「寒林に消ゆる異人の恋人と」は、視点を変えると、人間存在の、根源にかかわる 深い苦悩や悲しみを 「象徴化」したというか、”象徴的に詠んだ 作品 ”とも いえますよね〜!? また、「満天の澄みわたり大銀杏散り」が、仏教的宇宙観を詠み 「 空 」の境地の具現化と考えれば、これは、”真逆の境地”を詠んでいらっしゃいますよね? ところで、飛躍して恐縮ですが、 心中の瞬間、突然 いのちの大切さに気づいて、断念し、そこから 「 色即是空 」へと 転換・展開する可能性は、「創作的には、 あり でしょうか? 」。 創作意欲を削いではいけませんので、お応えはいただかなくても、大丈夫です。 ありがとうございました。 | |||