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 ■201109_02
 海紅   2011/09/16-13:35  No.[7388]
    一陣の風とんぼうの逆立ちす

つゆ草   2011/09/20-12:55  No.[7389]
 
    どなたもコメントがないので入れさせていただきます。ようやく涼しくなり秋風に舞う蜻蛉が似あう頃となりました。何年か前SLを撮りに長瀞の川原に行った時それはもう沢山の蜻蛉が飛んでいて、この句のような光景を眼にしました。でも逆立ちだから、もしかしたら鉄棒などに一列に止まった蜻蛉が風に尾を羽よりも上に向けしっかりと止まっている光景かも知れませんね。少しユーモラスな句と思います。蜻蛉には子供の頃遊んだ楽しい郷愁の思い出があります。
それとも薄い透き通った羽に対する何か別の深い意味を含んだ句なのでしょうか?
 

むらさき   2011/09/23-17:06  No.[7390]
 
    つゆ草さん こんにちは。
長瀞の川原へSLの撮影に!−なんて、カッコイイですね!
ところで、海紅句抄を過去にさかのぼってみていたら、
2008/09/02 に、今回と同じ句が掲載されていました。
「美知子」さんのコメントには、つゆ草さんのような
うつくしい風景がつづられていました。

句の再登場は、あまりにご多忙で 提出されたことを忘れていらしたから(笑)、 かしらネ? それとも、再び 同じ状況に遭遇されて 詠んだら 同じ句になってしまったとか(笑)?
芭蕉にも、よく似た句が時々ありますし、それも 「有り」でしょうか?

それでは、私も コメントさせていただきますネ。
 

むらさき   2011/09/23-18:06  No.[7391]
 
    辛口のコメデイをみているようです。

トンボが逆立ちするのは、暑さによわいので翅やお腹に風をあて体温調整するため ー と、一般にはいわれているようですが・・・。

しかし、この句の状況は、「一陣の風」。
一陣の風の到来は、小さな生き物にとって 命にかかわる大事件。人間なら 大津波に相当するかもしれない。
逆立ちの姿勢はー 1)単に風にあおられてのことか?
2)動揺している過程なのか? 3)あるいは、抵抗を減じ 風をやりすごすという、本能的な智恵・生体の防衛反応なのか? それは、トンボにしかわからない。

けれど、一陣の風にあおられ、翅をすぼめ(?) 一本の棒のような 逆立ち姿勢の 「 とんぼう 」の、一見ユーモラスな姿勢は、裏をかえせば 小さな生き物の 必死にいきる姿であることに変わりはない。
それをコミカルに表現することによって 「飛ん坊(笑)よくがんばっているね〜! いいぞ! いいぞ!」と、エールをおくっているような・・雰囲気も感じられてきます。

辛口のコメデイが 応援歌にもなるという、このパラドックス・逆説的な表現が、おもしろいなあ と思いました ( 私だけの感じ方かもしれませんが )。
「 あるがまま 」が、期せずして、逆説的な表現にもなっているということでしょうか???
季語も、蜻蛉・トンボ・とんぼ ではなく「とんぼう」。
まさに「 虚にあそぶ 」ご境地 !

[軽み]とは、「あるがまま」とか。 その 「あるがまま」が、実は、 実にむずかしい〜(嘆)!

ありがとうございました。


闇一面ただ蟋蟀の鳴りわたる   むらさき


 

大江月子   2011/09/24-08:33  No.[7392]
 
     俳句とはなんだろうと、考えています。今手元にある歳時記を読み通すということをしています。平凡社・昭和34年初版の、富安風生編『俳句歳時記』全五巻・各約700ページ。箱入り革表紙、ハンドタイプで非常に軽いのですが、文字が7ポ(これが活字だというだけで開くたびに感激ですが)非常に読みにくくもあります。「秋」を読み終えて夏を半分ぐらいのところです。例句の新しいのは存命の方では金子兜太の若い頃、広瀬直人あたりまでです。始まりはもちろん芭蕉以前からです。読んでいると立ち止まって離れられなくなるような句にときどき出会います。それを書き留めて置くのも楽しみです。その句のどこがどういいのかよくわからないんですが、景色や言葉の表現がいいというのでもなく、共感でもないようにも思います。何かこう人生の先人に「してやられた」それと「うつくしさ」といいますか…。そうこうしているうちに今一人の俳人に添いたいと思うようになっています。それは誰なのかもう少し見極めたからでないと明かすことはできませんけれど…フフ。
 さて先生のお句

 一陣の風とんぼうの逆立ちす  海紅

 わたしもこういうふうに詠めたらよかった。でもノートには書き留めません。最近はあまり見る機会がありませんが、なつかしく鮮明によみがえる光景です。ノートにとどめない理由は、たぶん景色にも表現にも共感しすぎるからではないかと思うのです。とんぼは風にあおられて逆立ちします。ほんとうに可愛く美しい。
 

研究室の海紅   2011/09/24-12:27  No.[7393]
 
    二度目の掲出とはウカツでした。過去38年ほどの句を整理して掲載しているはずでしたが。こうしたご指摘はありがたい。お礼申し上げます。

俳句とはなにか。これには古典の研究者が答えなくてはいけない。現代俳人には答えられない。いつか、その機会をつくります。
 

むらさき   2011/09/24-12:35  No.[7394]
 
    月子さん
俳句の奥の奥をとらえたい−と、感性を澄ませてご自分をみつめていらっしゃるご様子!
私は、まだまだそこまでには ほど遠い状態です。
自分は いま何を感じているのか? 感じたことをどう表現できるか?−と、考えている。すると、ふう〜と、言葉が浮かんでくるというレベルです。表現力の弱さも実感しています。
「ノートにとどめない理由は、たぶん景色にも表現にも共感しすぎるからではないかと思うのです。」ーに、とても繊細な月子さんを感じます。
未熟な私に、まじめに・正直につきあっていただけるのはとてもありがたいと思います。

( [後述] : なんか トンチンカン なことをしてしま ったようです。ご無礼 いたしました。 )

 

むらさき   2011/09/24-20:27  No.[7395]
 
    先生は、以前に提出なさったことを 忘れていらしたのですね!
先生は、いつも私たちに誠実に接してくださいますし、ご自身にも誠実に生きていらっしゃると 感じていたので、安心して、オープンにしちゃいました。
ご提出いただいたお蔭で、こんなに面白い句をゆっくり鑑賞させていただくことができ、私にとっては とてもよかったのですが・・。
 

谷木因   2011/09/26-01:27  No.[7396]
 
    大学のときが非常にめぐまれていたと働いてからわかりました。
一陣の風、そんなふわっと吹いた風にとんぼが流されてさかさまになった光景ですよね、、、、
今の自分みたい。。。。
毎日毎日、いやなことばかりで、
先生に会いたいです。



 

つゆ草   2011/09/26-09:03  No.[7397]
 
    その時の心の在り様でこんな風にもとれるのだ、と薄い透き通った羽の繊細さを感じています。
谷木因さんの「今の自分みたい」というコメントを読み心が痛みました。今は辛くてもきっときっと楽しいこともやってきます。時間がかかるかもしれないけれど・・それまで楽しかった思い出等を心に描いて拠り所にし、頑張って下さい。

改めてこの句のもつ幅の広さ、奥の深さをしみじみと感じています。
 

研究室の海紅   2011/09/26-13:28  No.[7398]
 
    すこし俳句がわかるようになったようだネ、木因君。イヤナコト、タノシイコトの二つは裏腹だ。必ずタノシイこともあるものさ。子供のころ、こんなことを父親に言われたものさ。

 俳句を作りなさい。人の世をよろこびなさい。
 

谷木因   2011/09/28-00:42  No.[7399]
 
    俳句を作りたいです。
 



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