■201108_01 海紅 2011/08/03-11:45 No.[7353] |
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流星や時はすべてを浄めしと | |||
むらさき
2011/08/04-17:05 No.[7354]
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天体の神秘にふれたとき、心のふしぎに気づかされた ー ということでしょうか? 澄みきったお心のありよう そのもの をテーマに、表現されているようで・・・。 ふっと、「 閑かさや岩にしみ入る蝉の声 」 を、連想しました。 あの句を、あらためて読んだある日 ” なんと清澄な境地か! ” と、深く心を打たれました。同時に、風物を素材に詠みながら 精神性を高らかに謳える芭蕉という人に驚きました。 今回の句は、あの芭蕉の句にどこか面ざしが似ているので、連想されたのだと思います。 透明度の高い作品ですね! | |||
山房の海紅 2011/08/06-05:20 No.[7355] | |||
暑中御見舞い申し上げます。 東京から今の住まいに転居して驚きました。時々流れ星が見えるのです。季としては初秋(八月半ば)のものとされますが、実際は季をもたない。なぜこの季節に落ち着いたのか不勉強でわからないのですが、いろいろことを考えさせることは確かです。 子どものころのあやまち、大人になってからの、教師としての失敗、研究者としての弱さ、人の親としての後悔、そして親不孝者としての自分などなど、流星を見たあとの時間はいろいろなことを考えてしまいます。 それは星が生まれるまでの悠久の時間、欠け落ちて、剥がれ行く時間、地球の大気圏に入り込もうとする人なつこさ、燃え尽きる潔さといったものが連想させるのかもしれませんが、結局は時間というモノが煩悩を清めて、何もなかったことにしてくれる。それでいいのだ、それで仕方ないではないか、などと考えたりもするのです。 こんなふうに、老いを迎えよう(もう来ている?)としている海紅であります。 附記 以上いろいろ書きましたが、順序はいろいろ考えた結果として、この句ができたということではありません。句は不意に生まれるのです。そのあと、いろいろなことが思い起こされる。ですから、拙句をきっかけにして、みなさんがみなさんなりの思いを綴ってくれることに感謝しているのです。テストのように、みんなひとつの答えに落ち着くようなら、芸術など要らないと思うことさえあります。 いつもありがとうございます。 | |||
むらさき 2011/08/06-20:53 No.[7356] | |||
先生 皆さんへのご挨拶 と 、私のコメントへの「コメント」 ありがとうございます。 流星をご覧になれる環境にお住まいとは、ステキですねえ〜! 毎回 作風がちがっていて、ひそかにあらたな境地へ挑戦されているように感じられ(私の勝手な推測?)、それがまた新鮮なのです。 それに、先生は 季語を厳選(?)し、句のなかに ”なくてはならないもの ”として位置づけていらっしゃる。 季語は、句のなかで重要な役割をはたしている。 これらは、コメントをしつづけてこそ 気づけたことなのです。 海紅句抄は、私にとって、かけがえのない勉強の場になっております。 ほんとうに、ありがとうございます。 瑛子さんのように、そのうち付け句ができる日がくれば嬉しいのですが・・。 | |||