■201011_01 海紅 2010/11/01-16:39 No.[7018] |
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送り来し丹前われが背に余り | |||
eiko yachimoto
2010/11/02-10:05 No.[7019]
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砧打つ夜山裾の家 もし匿名でしたら 『女はいつも送り出し待っている存在です』なんて 書いてもいいのかもしれません??? | |||
ポプラ 2010/11/02-11:08 No.[7020] | |||
丹前、なつかしい響きです。綿が入っていて温かかった。 最近では歌舞伎で見かけるくらいですが・・・ 作者の「背に余る」で余計ぬくもりが感じられます 送ってくれる人がいる、なんと豊かな幸せでしょう | |||
山房の海紅 2010/11/03-10:16 No.[7021] | |||
砧は夜と決まれるものゆえ、たとえば 送り来し丹前われが背に余り 海紅 山ふところの砧打つ家 瑛子 これでは時間が戻ってしまうという心配があらば、懐旧は表六句に忌むという古式はあれど、発句が発句ゆえに次のごとき脇も考えられよう。 送り来し丹前われが背に余り 海紅 耳に残れる砧打つ音 瑛子 遊んでいただきありがとうございます。 | |||
ちちろ 2010/11/03-11:59 No.[7022] | |||
小生も田舎から東京へ出てきた最初の冬前には褞袍(どてら=岩手では丹前のことをどてらと言いました)を母が送ってくれたことをこの句を見て思い出しました。四十九年前の昭和三十六年のことです。田舎を思い出す句です。 連句の方は確かに先生ご指摘の通り、三冬から三秋に季戻りになっていますね。表六句での懐旧を忌むということは別にして、懐旧なれば時間が戻ることも可能と初めて知りました。第三を雑でいってみます。 送り来し丹前われが背に余り 海紅 耳に残れる砧打つ音 瑛子 少年の山恋ふ瞳かがやきて ちちろ 付きすぎかもね。 | |||
山房の海紅 2010/11/03-17:53 No.[7023] | |||
懐旧ならば、いま砧の音がしているわけではないから、発句と合わせてそれなりに完結するという意味です。こんなルールが江戸にあるかどうか未確認です。 少年の山を恋ふ目はたしかに発句脇のシーンに近いですね。 | |||
eiko yachimoto 2010/11/03-18:36 No.[7024] | |||
送り来し丹前われが背に余り 海紅 耳に残れる砧打つ音 瑛子 少年の山恋ふ瞳かがやきて ちちろ そぞろ歩けば豪速球来る 瑛子 ーーーーーーーーーーーーーーーーー 先生、ちちろさん、ありがとうございました:)) | |||
ちちろ 2010/11/04-10:03 No.[7025] | |||
やはり付きすぎですよね。直そうと思いましたが、瑛子さんより第四が入りましたのでこのままにしておきます。 | |||
ちちろ 2010/11/06-12:09 No.[7026] | |||
第四まで来たので、表六句まではいきましょうよ! 送り来し丹前われが背に余り 海紅 耳に残れる砧打つ音 瑛子 少年の山恋ふ瞳かがやきて ちちろ そぞろ歩けば豪速球来る 瑛子 ほろ酔ひて北の大地の小望月 ちちろ 先生!表の六句を締めてくださ〜〜い。 | |||
山房の海紅 2010/11/07-11:25 No.[7027] | |||
送り来し丹前われが背に余り 海紅 耳に残れる砧打つ音 瑛子 少年の山恋ふ瞳かがやきて ちちろ そぞろ歩けば豪速球来る 瑛子 ほろ酔ひて北の大地の小望月 ちちろ 綿虫群れて離れざる庭 海紅 ありがとうございました。 | |||