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 ■200911_02
 海紅   2009/11/17-13:43  No.[6846]
    棺持つほかなき教師片時雨

研究室の海紅   2009/11/17-19:22  No.[6847]
 
     挽歌である。
 人は十代で一度や二度は死にたいというどん底を味わう。そうして、そこから立ち上がる。そんな過去をもたない大人は信用できないと学んだ。以後、人を見るときはいつもこれを物差しにしてきた。高等学校の教師を数年やった。担任をしていたクラスの一人が自ら人生を断った。自分の高等学校時代が甦った。教師の無力を味わった。棺の一方を持ってあげることしか出来なかった。人は悲しい。

 作者が最初に書き込んでは、誰も続けて書いてくれないかもしれないと迷ったが、結局書いてしまった。出来れば、この書き込みで、皆さんが臆することのありませんように…。

 
 

mitiko   2009/11/17-20:45  No.[6848]
 
    棺と担いでる肩に、時雨が降りかかる。
顔を上げ、涙とともに水滴が流れ落ちる。
体の中の慟哭に、やさしく包み込むような時雨。
 けっして忘れることはできないけれど、
この思いと共に生きて行く。
 臆することはないですよ。生きて往く過程で何度このような場面に遭遇したことか。
 心の中の部屋に、同居して生きています。
 
 

山房の海紅   2009/11/18-07:47  No.[6849]
 
    ありがとうございます。ホッとしました。
 

つゆ草   2009/11/18-09:40  No.[6850]
 
    先生の句を読んでドキッとし、そしてコメントを読みmitikoさんの文を読み目頭が熱くなりました。多くの悲しみを知っている人はその何倍もの優しさを秘めていることを知りました。誰人にも細やかなお心遣いをなさる先生の深い優しさの原点はこんなところから慈しまれていったのだと思い知らされ、また「生きて往く過程で何度このような場面に遭遇したことか」というmitikoさんのお言葉も心に沁みました。悲しさも苦しさも共に受け入れてこそ人は生きていけるのかも知れません。重みのある深い1句として心の奥に残りました。
 

eiko yachimoto   2009/11/20-16:27  No.[6851]
 
    「世の中の常なきことを知るらむを
情つくすなますらをにして」

 大伴家持

*たまたま今朝バスの中でこの歌を読んでいました。。。
 

ポプラ   2009/11/20-21:18  No.[6852]
 
    句を読んだとき、情景が浮かばなかったのですが、海紅さんの「挽歌である・・・」との書き込みでよくわかりました。前書きや説明も時にはあったほうがいいと思います。教え子の自死に遭遇したとき作者も若かった、残された親御さんに対し掛ける言葉も見つからなかったに相違ない。「教師として無力を味わった」心情が現れている句だと思います。切なくなります。
 

佐和子   2009/11/20-21:23  No.[6853]
 
    遣る瀬無く切なく、片時雨とは秀。
 

ちちろ   2009/11/21-08:55  No.[6854]
 
    皆さんのコメント通り本当にやるせなくせつない句ですね。教師の無力を味わい、棺の一方を持ってあげるしかないせつなさ。涙を流しながら、(一方では時雨が降り、もう一方では晴れている片時雨と重ね合わせ)心の中では自分の無力さに自嘲の泣き笑いをするしかない気持ちだったのでしょう。
 

千年   2009/11/26-23:33  No.[6855]
 
    言葉でつながることができること・・・
を感じました。
 



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