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 ■200811_02
 海紅   2008/11/18-13:38  No.[5914]
    木枯の武士を慕ひしお仙とか

ちちろ   2008/11/20-07:33  No.[5929]
 
    どなたもコメントがないので恥を忍んでコメントします。
この句も本当に難解です。
「木枯の武士」とは誰のことでしょうか。映画・TVで上条恒彦が歌い、中村敦夫が主演して有名な「木枯らし紋次郎」は上州新田郡三日月村の農家育ちで10歳で一家離散の浪人で武士ではないし、三宅島かどこかに島流しにあった時に知り合ったのは「お仙」ではなく、たしか「お久」だったような・・。
また、「お仙」と言われてすぐ頭に浮かぶのは松山容子が歌い、大信田礼子が主演した「旅がらす・くれないお仙」だし。
あとは「笠森お仙」くらいしか頭に浮かびません。
それとも「木枯の武士」には特別の固有名詞はなく、さあ〜と現れ、さあ〜と去っていった木枯らしのように冷めた男のことが忘れられない女心を詠った句なのでしょうか。どなたか教えてください。
 

大江月子   2008/11/21-09:24  No.[5933]
 
    この句一読「お仙泣かすな馬肥やせ」というのがあったなあ何だっけと、ネット検索したら東京消防庁の書き込みに「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」これは、徳川家康の家臣であった本多作左衛門重次が、戦場から妻に送った手紙文として知られ、簡潔にして要を得たこの文は、手紙文の手本として今日でもよく紹介されています。 ...」とあり思い出しました。確か福井の短い手紙文コンクールかなんかでキャッチフレーズにかかげられていませんでしたかしら。その「お仙」だと鑑賞してはいかがでしょうか。
 

佐和子   2008/11/22-20:42  No.[5934]
 
    はじめに自信のない投稿ですがこれは如何でしょうか。
 浄瑠璃本
 五ッ目、三嶋のお仙段
 「恋伝授文武陣立」

 北条時政−三嶋のお仙
句意から離れているような気がしますが参加します。
 

三木喜美   2008/11/24-10:14  No.[5950]
 
    色々な場面が想定されて何だか楽しくなりますね。今までに無い句の登場でとても新鮮な思いで拝見しています。私はちちろさんが述べられていた特別の固有名詞をもたない方に心が動いています。例えば寒地に単身赴任している夫に妻が会いに行くとか、木枯らしが吹く頃知り合い悲恋に終わった彼を思い出しているとか、ユーモアの影にちょっぴり哀しさもありで、想像がひろがるように思うのです。こんな句の作り方もあることに驚きました。
 

美知子   2008/11/27-17:37  No.[5959]
 
     面白いですね。私も参加してみたくなりました。 
 江戸谷中・笠森稲荷の前に水茶屋があり、そこにお仙という看板娘がおり、鈴木春信、歌麿の浮世絵に描かれるほどの美人で、お仙を目当てにいつも大勢の男衆が集まってきたとか。ゆかりの大円寺あたりの谷中まつりは10月13,14日にあったとか。
 大勢の男衆にちやほやされても、木枯の吹く季節になれば、なおのこと恋しいのはただお一人の方。ちょっと浄瑠璃の世界に入ってみるのも。勝手な解釈、想像、すいませ〜ん。


 

佐和子   2008/11/27-21:27  No.[5962]
 
    千年さん飲酒の修行は一回だけでした。
余一郎さん風邪なんですか。

 お二人とも十一月はあと三日です。
 

余一郎   2008/11/28-09:03  No.[5965]
 
     冬になればオイラは              /
 渡り鳥 渡り鳥になる            /
 暖かい南の島を求めて           /
 オイラには慕う心は           /
 無理 理解は無理           /
    /
 オイラには関り御座いません ビュ―
 

梨花   2008/11/29-09:27  No.[5973]
 
      藤揺るる傷も力と思へる日      梨花
 

山房の海紅   2008/11/29-09:53  No.[5974]
 
     いつも拙句をご高評いただき恐縮。
 公私にわたり少し忙しく、ご無沙汰しています。十二月に入れば芭蕉会議に復帰しますのでよろしく。

 会員から、海紅句抄に不思議なコメントが続いているとのこと。のぞいてビックリ。
 「深い傷」一連のコメントの主に申します。おそらく、サイトマナーをよくご存じない方とお見受けしますが、このコーナーは鬱屈のはけ口や自画自賛に不似合いですので、ご自分の素姓を明らかにして、海紅宛お手紙をくださるよう、おすすめします。
 自分の言うのもおこがましいのですが、ボクは割合学生の苦情を聞いてしまう性格で(そんな性格が嫌いなのですが)で、こうしたコメントをいただいても、どなたなのか、思いつく人がいません。あしからず。

 なお、「深い傷」一連のコメントは一定期間をおいて、管理人の手で削除されます。これまたお含みおきください。
 
 

山房の海紅   2008/11/29-10:03  No.[5975]
 
    藤揺るる傷も力と思へる日      梨 花
 チョーク汚れの肩に春の蚊     海 紅


よき句を賜り感謝いたします。脇を添えて、これにて仕事に戻らせていただきます。
 

ちちろ   2008/11/29-11:10  No.[5981]
 
    気分の悪いコメントが続いていますね。コメントする場所を勘違いされているのでは・・・。大学当局へ直接言えばいいのに・・。
 

不徳庵後悔   2008/11/29-15:01  No.[5982]
 
    ちちろさん御無沙汰しています。小生の不徳の致すところです。

 梨花・海紅の発句脇に、明るい春の第3をお願いします。大きく転じてください。

 なお、参考になるようでしたら、「お仙」の句の自解をいたします。十二月になるかもしれませんが…。今後ともよろしくお願いいたします。
 

自句自解   2008/11/30-09:55  No.[5987]
 
     この句ができたのは、まだ大学院生だったと思う。ある年の初冬、赤羽学先生らの御尽力によって、信州大学で俳文学会が行われた。三日目は実地踏査で、バスで北国西街道(ホッコクニシカイドウ)をめぐる。この街道は松本城下から山間地に入り、猿ヶ馬場峠を超えて善光寺へ向かう芭蕉や一茶ゆかりの道で、いわゆる脇往還である。参加者の中に俳人の赤堀五百里さんがいらして、紅花先生と懐しそうに話をされていたが、「ひと句会やりましょうか」ということになった。私の「お仙」の句はその際に出句したものである。
 初学の徒である私には、この踏査のすべてが新鮮であった。中でも、峠にあったという茶屋の娘の美しい片思いの伝説にはうたれた。娘の名はお仙。村の若者たちのあこがれの的であったが目もくれなかった。あるとき、お仙は茶屋に立ち寄った旅の武士に恋してしまう。だがその武士は、猿ヶ馬場峠を越える際に、山賊に殺されたことを夢で知り、お仙は哀しみのあまり自害して、武士のあとを追う。たしかこんな話である。「木枯の」の「の」は武士に掛かる連体格助詞だが、間投助詞「や」を少し弱めた役割を担うと、俳文芸研究会の席上で森川昭先生に教わったことがあり、以後よく用いていた。「とか」は伝聞であることを明示したつもりであった。
 

ちちろ   2008/11/30-12:22  No.[5988]
 
    「不徳庵後悔」さんは先生だったんですね。自句自解を読みました。やはり説明があるとこの句の意味がよく理解できてよかったです。「とか」は伝聞であることを意味していることはわかっておりました。
連句の第三については今、考え中ですのでいましばらくお待ちください。明るい春の句ということですので、晩春、晩春ときてますから次も晩春でいきます。

それにしても「深い傷」「豚に真珠」の方は同じ人だと思いますが、随分としつこい人ですね。だからイジメにもあったのでしょうか。注意しても「馬の耳に念仏」「犬に論語」ってところでしょうか。
 

ちちろ   2008/11/30-14:31  No.[5989]
 
    第三を考えてみました。
晩春、晩春ときて次も春の句を続けるときは三春でしたね。

 藤揺るる傷も力と思へる日   梨花
  チョーク汚れの肩に春の蚊  海紅
 風光る川面を渡る唄聴きて   ちちろ

 

自句自解   2008/11/30-15:56  No.[5990]
 
     チチロサン、アリガトウゴザイマシタ。コレデ、後悔カラ海紅ニモドリマス。
 

芭蕉会議事務局   2008/12/01-15:32  No.[6000]
 
    本コメント掲示板の趣旨に反する内容の書き込みがございましたので、削除いたしました。
本コメント欄は「海紅句抄」への感想、コメント等を書き込みいただきますよう、お願い申しあげます。
今後とも芭蕉会議をよろしくお願い申し上げます。

芭蕉会議事務局
内藤邦雄
 



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