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 ■200801_02
 海紅   2008/01/18-14:09  No.[3033]
    冬草の冬といふ字の淋しさよ

三木喜美   2008/01/24-09:59  No.[3216]
 
    私は冬が大の苦手で一冬中冬眠していたい程です。冬の嫌いな私は冬景色の美しさよりも寒さと淋しさで心が閉鎖的になってしまい、何をやる気も起こらずひたすら耐えるのみの心境です。ですのでこの句はとても共感できるのですが冬草の緑が色の乏しい冬の色として尚更その淋しさをかもし出しているように思います。これが春草だったら同じ緑でも息吹を感じるところですが冬草であるがため感触が全く違ってきます。漢字の姿と言うか字の持つイメージがこれほど淋しさを言い切ってしまうと、むしろ親しささえ感じるように思えるのですが・・皆様はどのように思われたでしょうか。
 

宇津野信将(うつのしんしょう)   2008/02/03-00:58  No.[4220]
 
     春夏秋冬と時間が巡る中で、冬は淋しく、又それを顕著に示したかのような冬という字自体の淋しさにはじめて気づかされました。感動しています。17字という制約の下にいかに言外の含みを表現できるのか、換言すればいかに読者の居場所をつくるのか、ということが俳句において大切なことなのですね。というよりもこれが俳句なのだとわかりました。
 辞書的な知識によりあらゆることをその概念的な定型として理解すること、これはある面では有効なことでありますが、そうでない場合も多々あるということに雑談等を通じて悟りました。俳諧に限らず文学と真剣に深く向き合うことでそうした姿勢ができあがるのだと思います。
 来年度はProfessorの講義を受講できるかどうかは今はまだわかりませんが、どのような講義を受けるにせよ、辞書的な知識によりそれを理解したものと考えることなく、それはそれで一つの有益な指針であるとして、学んでいこうと思います。しかし、卒業するか否かはわかりません。今はただ勉強をがんばろうと思います。



P.S. あとProfessor。もう一個偶然があったんですよ。
僕は彼と年齢が同じなんですね。彼も24で試験を受けて25からその結果としてその職業をはじめています。僕も過去に多くのことがあり、大学の学年とは別として同じ年齢なんです。

がんばります。

                     
 

宇津野信将(うつのしんしょう)   2008/02/03-10:23  No.[4265]
 
    しかしながら、Professor。

 Professorは故郷が雪国でありますので雪の白さは生活の中に埋もれていたと思いますが、私の場合、さほど雪の無い場所で育ちましたので、雪の白さは淋しい冬における彩りの一つと思います。

 今朝、目が覚めたら雪国でした。朝の底が白くなりました。ちなみに妹は『雪国』の中の「悲しいほど美しい声」の女性と同じ名前と漢字であります。

敬具
 

山房の海紅   2008/02/04-10:31  No.[4374]
 
    詩は明鏡に似ている
きちんと見つめる勇気があれば
かならず見つめる者の表情をうつしだしてくれる

こんなことを言い続けてきた

ふとした刹那
己が慶びや愁いを見つめるための刺戟に
拙句がなれたとすれば
作者としては光栄と言わねばなるまい
アリガトウ 
 



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