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 ■200709_02
 海紅   2007/09/20-15:35  No.[2219]
    秋桜と海をみてゐる安吾の碑

久保寺勇造   2007/09/22-06:30  No.[2220]
 
     安吾の生誕地、新潟の海が見えるところでしょうか。安吾には秋桜が似合うかもしれません。
碑文は1946年に発表された〔石の思い〕の一説です。
「私のふるさとは
 空と海と砂と松林だった
 そして吹く風があり風の音であった」
 

椎名美知子   2007/09/22-11:24  No.[2221]
 
     『石の思い』の碑文、いい文ですね。この碑があるところ、教えていただけたらと思います。

 「ふるさとは語ることなし」の安吾の碑は、新潟の海の近く護国寺の松林の小高い丘にあります。安吾が少年時代、孤独な心を暖めたところで、「石の思い」の文章のとおりのところですね。
 夏を過ぎた今頃の日本海はもう沈んだ色をしているのでしょうか。秋桜は群生しているのに、一本一本は孤にあると、秋空の下にゆれている花の姿を見ると思うのです。秋桜、海(日本海)、安吾。この句が寂しさが際立つのはそのせいかなあと思いました。
 碑のあたりに安吾の姿を見た・・・と思った日のことを思い出しました。静けさの中で聞こえてくるのは海鳴りの音。秋桜の青臭い香り。安吾の寂しさ。共感。しばし、身を置くことが出来ました。
 
 一つの句から、読む者の中にあるものが引き出される、俳句の持つ力、世界って、すばらしいですね。

 

久保寺勇造   2007/09/22-12:49  No.[2222]
 
     私の投稿訂正。一説は一節です。

〔石の思い〕の碑文のある所
JR新潟駅万代口からバス
「万代シティー・新潟美術館」行き乗車
(東大畑通2番町)下車
新潟大神宮、二番目の鳥居の近くにあります。
 

椎名美知子   2007/09/23-10:01  No.[2223]
 
     久保寺さま ありがとうございます。すぐ近くに行っておりましたのに気がつきませんでした。
 「人は自分の持っているものしか旅から持ち帰れない」というゲーテの言葉を思い出しました。


 

久保寺勇造   2007/09/25-10:19  No.[2224]
 
    安吾のギョロリとした目が日本海に灌がれている。
純潔で求道的の徹底的にやる処までやる決して堕落者の目ではない。一直線に向いている。
 織田作が太宰がそして安吾が逝って戦後文学は終焉した。この句の作者はここで暫し佇む。
秋桜が咲いている。またいつの日か訪れるかも知れない。
 

堀口 希望   2007/09/28-12:20  No.[2225]
 
    拝読したあと、もう一つ心に引っかかるのは、中七で切れるのか(即ち「みている」が終止形なのか)、それとも「安吾の碑」にかかるのか(即ち「みている」が連体形なのか)がはっきりしない点にあるように思います。「みている」主体は作者なのか、安吾の碑なのか…。
きっと愚問なのですよね。「みている」のは作者にきまっている?
 

天野 さら   2007/09/29-09:17  No.[2226]
 
     お久しぶりです。永いことお休みしていたのでコメントするのに勇気が要りました。
「海を見ている安吾の碑」と読んでいますが安吾を象徴しているように思います。碑が建っている景色を詠っていて碑が見ているとも取れますが海を見ている安吾、その人の碑といったんきれるような気がします。そして作者はあくまで傍観者で句には登場しないのではないでしょうか。季語の秋櫻がこの句をとても明るくしています。「海を見ている安吾の碑」だけではどうしようもなく暗いイメージです。きれいな花でちょっとした風にも敏感に反応する秋桜、きれいでとぎ済ませれている安吾の心にぴったりです。じつは安吾のことは余り知りません。いつか調べてみたいと思います。椎名さんのゲーテの意味深い言葉の引用、いい言葉に出会いました。夏の疲れで体調を崩していましたが先生の句からもゲーテの言葉からも元気をいただきました。ありがとう御座いました。
 

三木喜美   2007/10/01-14:00  No.[2227]
 
    天野さんお久しぶりです。暫く登場しなかったので心配してました。少し勇気がいる気持ち良く解ります。安吾の事は私もあまり知らなかったのですが大学の生涯講座で少し知り、久保寺さんが仰るとおり生きることに正直な故苦しみ決して堕落者では無いことを理解しました。その暗いイメージも秋桜と海で払拭され優しさと哀愁さえ感じます。そしてそれは「安吾」を見ている作者の心そのものだと思います。
 

天野 さら   2007/10/01-22:00  No.[2229]
 
    三木さん、いつぞやはお世話になりました。古代蓮の写真がとてもきれいでした。正直に生きる人は哀しいおもいや寂しい思いを度々余儀なくされるような気がします。
生き方がどちらかというと下手な私には安吾の気持ちがすこしわかります。いつの時代でも時代の波に乗れない人はいるようです。そんな人か吐き出すものが素晴しい詩であったり、小説であったりするのかもしれません。

 

久保寺勇造   2007/10/03-00:39  No.[2230]
 
     もう「石の思い」を読まれましたか。碑文に出ている一節に触れたときは矢張りあなたも感動せずにはいられなかったでしょう。
 父のこと母のこと中学の時どうして東京に転校してきたかが詳細に書かれていますね。ふるさとを想う気持ちと純粋の心の持主であることが伝わってきます。
この句より坂口安吾の著書に親しむことが出来ました。
 

天野 さら   2007/10/06-00:40  No.[2235]
 
    この句に最初にコメントされた久保寺さんの文中に、安吾の「石の思い」の一節がありましたがこのたび「石の思い」を読んでこの文とめぐり会い、とても嬉しく思いました。「私は今日も尚、何よりも海が好きだ。」の文に有るように安吾は本当に海が好き、なんども海が出てきます.学校を休んで天気のよい日は海の松林でねころんで一日を過ごす、そして落第する。安吾の心の中には子供の頃から親から愛され無い深い悲しみが積もっていた。悪いことをしてお母さんの関心を引く幼い子供のような気持ちがあったのかもしれない。この哀しさは切ないほど心を打ちました。海を眺めているとその悲しみが和らいだ安吾、海や空や風は感覚のとぎ済まされた人には何かの力を与えてくれます。広く深い海に母親の愛情を重ねていたのではないでしょうか。「海と空をみていると・・・何か心がみたされている。」亦「・・・充ち足りていられる」とあります。気に入った文は「私は憎み怖れる母に、最もふるさとと愛を感じており海と空と風の中にふるさとの母をよんでいた。つねに切なくよびもとめていた。」「私は何時も空の奥、海のかなたに見えない母をよんでいた。ふるさとの母をよんでいた。」母は理想的なまぼろしの母をよんでいたのでしょうか。終わりまで読んだ時、この句は安吾の心に重ねてお母様を思い出し心の中でよんでおられる句ではないかと思いました。ふるさとの海の町で過ごした少年時代を思い浮かべながら・・。この句のおかげで初めて安吾の小説を読みました。切なさで胸が閉め付けられる思いでした。、
 

市川千年   2007/10/11-23:32  No.[2241]
 
    「私は海をだきしめていたい」。昭和22年1月「婦人画報」初出。安吾にこんな題の短編小説があるのを一昨日古本屋で発見しました。「・・・私はふと、大きな、身の丈の何倍もある波が起って、やにわに女の姿が呑み込まれ、消えてしまったのを見た。私はその瞬間、やにわに起った波が海をかくし、空の半分をかくしたような、暗い、大きなうねりを見た。私は思わず、心に叫びをあげた。・・・」。この小説の最終部分の一節です。波をこんなふうに表現できるすごさ。波うつ海を媒介にして、秋桜がより一層可憐に、安吾の思いがより一層愛おしく感じられてきました。
 



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