■200706_01 海紅 2007/06/01-15:24 No.[1694] |
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街の灯に壁となりきり蛾の眠る | |||
研究室の海紅
2007/06/10-10:51 No.[1700]
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蛾:誰からもコメントがないね。 海:おまえさんが嫌われ者だからかもしれない。 蛾:嫌うのは自由だが、生物学的には蝶と同じ仲間なんだけれどね。 海:感性だからね。理屈を言っても受け入れられないだろうね。 蛾:芭蕉に「俳諧は俗語を糺すことだ」という言葉があったね。 海:うん。 蛾:この句の蛾はまだその域に達していないのかね。 海:そうかもしれない。 | |||
福次郎 2007/06/10-17:42 No.[1701] | |||
僭越ながらコメントを。 久々に訪ねてみたら、あら、蛾が拗ねてるじゃないですか。 景はくっきり浮かんできます。砂色の壁に、平たく息を潜めて張り付いてる姿です。家の玄関先などで、見かけたくはないけれどもたまに見かけます。 蛾は光の周りを、当人(当蛾?)が嫌になるほど飛んでいるイメージがあるので……そのあたり、どうなんでしょうか。 それと関係ない話題ですが、かの朔太郎はよく「蝶類」なんて言葉を使いますよね。あれって「蝶」なんでしょうか、それとも「蛾」なんでしょうか。悩むところです。 | |||
山房の海紅 2007/06/11-09:56 No.[1702] | |||
あれは孤独の色合いだから、色柄豊かな「蛾」でなく、「蝶の群れ」としてボクは読んでいる。 | |||
三木喜美 2007/06/13-12:25 No.[1706] | |||
この句は初め何を含んでいるのかよく解りませんでした。でも凝視してみると、この世に蝶ではなく蛾に生まれてきてしまった宿命の哀しさみたいなものを感じます。蛾を擬人化してよむと、人にあまり好かれない容姿あるいは生き様ではあるが一生懸命壁に張り付くように生きている姿がまたひたむきで、愛しささえ感じてきます。華やかさの陰でひっそりと、でも頑張っている人の姿が重なるのは少し深読みでしょうか。壁となりきり・・の中七にそれを感じました。 | |||
山房の海紅 2007/06/14-21:12 No.[1708] | |||
蛾:雨が降っている。 海:うん、午後からずっと雨だね。 蛾:少し寒いよ。 海:物置の陰にでも移ればいいのに。 蛾:でも、あそこは暗いからね。 海:いやか。 蛾:できれば…。 海:街の灯がみえるほうがよく眠れるね。 蛾:そう…。 海:書き込みがあったね。 蛾:うん。 海:嬉しかったね。 蛾:うん。 海:書き込みがあると、知らない自分に気づくね。 蛾:うん。 海:「芭蕉会議の集い」に来たらどうかね。 蛾:ウーム。 海:来れば…。 蛾:やめとくよ。 海:なんで。 蛾:蛾だからサ。 | |||
事務局内藤より 2007/06/15-17:08 No.[1710] | |||
蛾さんへ 芭蕉会議の集い「やめとくよ」なんて言わないで、ぜひご出席ください。 事務局一同、心よりお待ちしております。 ただ、お仲間をたくさんお連れの場合は、なるべく早めにご連絡ください。お迎えにあがります。 ちなみに・・・ 「蛾」さんと「海」さんの掛け合いを、海紅先生ではなく、本当の「海」と「蛾」の会話として読んでみました。(お許しください) すると「海」さんの「蛾」さんに対する慈しみの気持ちがあるように思われ、また、自由に動ける「蛾」さんが少しだけうらやましく、そしていつか去っていくことに寂しさを感じているように思えました。 話がずれてしまい申し訳ございません。 | |||