名月や門に指しくる潮頭 芭蕉
この句は、先日「先人の句に学ぶ」に、先生が解説とともに出してくださった一句です。これを拝見したとき、私は十五夜の日に潮頭を見に行こうと決心しました。今年の十五夜は六日でした。その日私は用があって、夕方から日本橋の浜町に居ることになっていたので、対岸の芭蕉ゆかりの地である隅田川河畔を歩いて、満月と潮の様子を見るという計画を思いついていました。
六日はあの通りの嵐になったのですが、私はせめて川だけでも見たいと、日暮れてその方向を目指しましたが、なにぶんにも風雨ものすごく、この年寄りがみっともないことになってもいけないと断念することにしました。翌日は晴れて、十六夜の月が我が家のテラスからも美しく見えました。そして今日八日は、今年初めてのような秋晴れになりました。
私は二日遅れの月を見に行くことにしました。大江戸線の森下駅を地上に出たのが午後五時十五分でした。もう辺りは暮れかけていたので、私は月の出を逃してはいけないと、隅田川まで急ぎました。月は芭蕉記念館の方向に出るはずだと見当をつけて、まず万年橋を渡って、芭蕉像のある史跡展望庭園の対岸で、川沿いのテラスへ下りました。そこには息を呑むような水の光景がありました。川の水がテラスのフェンスの裾を越えて、テラスの半分ほどまでを潮が洗っていました。少し風もあったので潮頭が幾重にも押し寄せて暗い足下まで迫る勢いでした。
これほどまでに潮位が上がっているとは思いがけないことでした。右にオレンジ色に明るく照らし出された新大橋、左にピンクの電球でライトアップされた清洲橋が見え、対岸の正面には青く照らされた芭蕉像がある位置です。
その像のある辺りに満月が登るはずです。高い建物に囲まれた空には、まだ月の気配もありません。登り切る前の月の出を見たいと思っています。新大橋の上に行けば見えるかも知れない。万年橋を引き返し、さっきとは反対側の芭蕉像のある側のテラスを、新大橋の方へ急ぎました。途中には「大川端芭蕉句選」の碑が点々と置かれていて、新大橋近くに「名月や門に指しくる潮頭」の句がありました。その句碑の近くまで水がきています。その潮を芭蕉の像が見下ろしています。走るように新大橋の上に出て月を探しました。橋の上は昼間のように明るく、辺りの明るさに照らされた真綿のような色をした水がゆさゆさと下を流れています。とうとう月は見つからないと、橋を渡りきったその時に、低いビルとビルの間の、わずかな空の空間に、まだ上りはじめたばかりという色をした大きな月が見えたのです。芭蕉記念館と新大橋の、ちょうど真ん中の辺りで、そこをどちらに動いても、もう月は隠れるのでした。
ほんとうにうれしかったのです。文字さえも読めるような明るさのその中で、さっきの水の感激と月の感激が、私に一瞬広重の「名所江戸百景・深川州崎十万坪」の芦原の広がりを彷彿とさせ、月の芭蕉庵に寄せてくる潮頭と、その音を聞いたように思いました。
今夜のお月見に付き合ってくれた連れと別れて、来たときとは川の反対側、浜町から地下鉄に乗って帰って来て、これを書いています。今日の内にと書き始めましたが、少し日付を越えました。興奮まだ冷めやらず、長くなってしまいました。(2006/10/9)