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◆ 大江ひさこ『黒マント13号(最終号)』を読む 伊藤無迅

芭蕉会議の嵐山吟行のとき、月子さんから『黒マント13号(最終号)』を戴いた。白と黒のシンプルな表紙の表題の下に「個人詩誌」と書かれている。ページを括ると二段組の構成で比較的余白が多い。このため思わず読みたくなる。章構成は、まず詩とエッセイ、次に「月子自在」と銘打った俳文風のエッセイがあり、最後に「内田百闔ハし旅・百間川のほとりから」という長編エッセイからなる三部構成である。いずれも月子さんらしい感性が埋め込まれており、実に味のある作品集である。
前二章については、すでに堀口希望さんが、芭蕉会議のホームページで的確な書評を述べられている。したがって、ここでは希望さんが触れられなかった「内田百闔ハし旅・百間川のほとりから」を中心に読後の感想を述べたい。

■ 再録「内田百闔ハし旅・百間川のほとりから」
まずタイトルが気になる、「写し旅」とは何だろう。この疑問は、読み進めてゆくうちに納得する。百閧フ故郷・岡山の状景描写を、百閧フ作品から実に上手に且つ、ふんだんに取り込んでいるのだ。さりとて全体のシチェーションは、紛れもなく作者(月子さん)視点を外れることはない。面白い文章構成である。私事で恐縮であるが、小生は昨年から「論文を読む会」に参加している。その発表資料をまとめる際、丁度このような構成になることが多い。幾つかの著書を読み、先人達の英知から得たものと、自分の考えを入れた全体ストーリーを整理する上で実に便利である。最近、この文章構成を得て一人で悦に入っていたが、すでに月子さんが自得・体現していた訳である。
全体のストーリーは、百閧ェ幼少年期を過ごした岡山の地を、百閧ェ自ら記した文章と共に辿る紀行文という体裁となっている。作者は、このような文章構成から「写し旅」としたのであろうことは、すでに述べた。作者(月子さん)に関係した記述はわずかに三ヶ所である。一つは急死した作者の父が、病床で読んでいたと思われる百閧フ本を発見する場面と、その父が好きだった「ちぎりごんにゃく」の記述、三つ目は父の故郷にその遺骨を納める旅で乗った片上鉄道の沿線に触れる記述である。この風景は作者が少女時代に親しんだ風景でもある。
この作品を平易に読めば、確かに百閧フ「写し旅」である。しかし小生はその奥に、ながながと横たわるものを感じる。結論から言えば、それは作者の父ではないか、と思っている。
本文の書き出しは、作者が、いきなり百關の土手に立つ場面から始まる。そう言えば、この作品は全体を通して「土手」のイメージが色濃く付きまとう。たとえば百閧フ『冥途』の中の小論「冥途」からは、
   高い、大きな、暗い土手が何処から何処へ行くのか解らない、静かに、冷たく、
   夜の中を走っている。
という書き出しの一節が引用されている。また『冥途』に収載されている作品の中には、「土手」という土手そのものへの想いを綴った作品もある。勿論「土手」の一節も、土手そのものを「若い時の感傷」として効果的に引用されている。土手、それは結界と見てよいだろう。或る世界と或る世界を結ぶもの、あるいは分けるものが土手のイメージである。そしてそれは「冥途」にも通じるイメージでもある。
作者の父が、人生の最後で岡山県人たろうとして読んだと作者が推測する百閧フ本、その世界に自らが立ち、自らをも彷徨(さまよ)わせようとした作者・・・・それは、「父へのレクイエム」ではなかったか。
土手のイメージを通して、ながながと横たわるもの、それは作者である月子さんの、月子さんらしい父への鎮魂ではないだろうか。
作者には「家族といると必ず機嫌を悪くした父」という少女時代の感懐がる。そのようなとき「ふっと家族を救ってくれ」た、父の好物「ちぎりごんにゃく」を囲んだ思い出がある。しかし、この感懐はどうも作者にとり、あまり触れたくない感懐でもあるように思われる。この永く閉ざされていた感懐は、これもまた百閧フ作品が関係する。百閧フ作品を映画化した鈴木清順の映画「ツィゴイネルワイゼン」である。そこで出会った「ちぎりこんにゃく」を囲む食卓の場面。その瞬間に、ある結界が解ける。それは「父と百閨A百閧ニ私と父との故郷」を結ぶ結界である。
作者は本文中、父について「終生岡山を恋い、帰ることのなかった百閧ニ同じ思いを持つ自分を、そこに重ねていたふしがある。(中略)百閧フ文学に託し、岡山人になろうとしていたように思う」と述懐している。
しかし、本作品で作者と父との関係を知るには余りにも情報がない。手がかりは「父のいる食卓の日」の「ちぎりごんにゃく」と、急死した父の枕もとにあった百閧フ本だけである。想像を逞しくすれば、気難しい父と作者の関係が、うっすらと浮かび上がる。作者が安息を得るため、しばしば訪れた百閧フ世界、これと同質なものを父に見出したのは、皮肉にも父が死の間際まで読んでいた百閧フ本であった。たぶん作者は、それまで父の世界に入るなどは、思いもよらないことではなかったか。その閉ざされた結界に分け入ろうと思わせたものは何か。父の「高い、大きな、暗い土手」を、百閧フ手をかりて越えて見ようと、そう思わせたものは、果して何なのか。
子が親の年齢になり、始めて、そして、しみじみと分かるものがある。
あるいはそれなのか・・・・。
しかし、それは分からない、作者もそれは黙して語らない。

結界はしばしば月子さんが遊ぶ、自身のレクエイムの場でもある。それは百閧フ次の言葉と符合する。
「一年かニ年経つと大概忘れてしまふ。それを今度自分で自分の気持ちの様に綴り合わせる。その方が真実だ。(中略)「冥途」には夢があるかも知れないし、僕のポエトリーがあるかも知れない。あれは五年、十年、或は二十年掛つて組立てたものです。」
この文章に出会ったとき、作者は「百閧ニ手を握り合ったような感動を覚えた」と作品の終盤で告白する。
しかし、作者の姿勢は飽くまで控えめである。最終章で「私は何か言わなくてはならないのだけれど、」と逡巡の色を見せる。そして自分で組み立てたものと同じものが先人にあれば、それを優先する。
最終章の三島由紀夫の言葉がそれを語る。
   記憶のほうが本物で、現実の丸ビルのほうが幻像ではないか、と錯覚  
   されることがある。文章の力というのは、要するにそこに帰着する。

この言葉と小生が挙げた仮説「父へのレクエイム」は矛盾しない。
何故なら、鎮魂こそ結界なのだから。

「月子ワールド」は当然のことながら、月子ポエトリーで組み立てられたものである。そこは、文字通り「月子自在」がよく効いた、広く深い慈愛に満ちた世界である。そうです、そこは、ひとつの結界なのです。
そして、その結界の結晶こそ、前二章にある作品群なのです。
どうぞ、もう一度『黒マント』を手にとって、ご鑑賞あれ!

                           2010.12.12
拙守庵にて 伊藤無迅

 





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